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働きすぎは良くない。

先週の土曜日の朝のこと。
救急車とレスキュー隊とが、小塩の山を登って行った。
誰しもが、きっと農作業中の事故が起こったんだと、サイレンの音を聞きながら不安に思っただろう。
事故に遭ったのは、自治会の事務局長で、この小塩の里の色々なことに尽力した人だった。日頃からこちらが心配してしまうほどに、農業、自治会の事務、小塩の色々な組織の会計、空いた時間には公園の草切りなどと、休んでいる時間があるのだろうかとこちらが常に心配するぐらいに、ワーカホリックな人だった。

事務局長は病院に搬送された午前中に亡くなった。
小塩は彼抜きでは物事がまわらないというほどに彼の仕事に依存していて、以前から冗談で「〇〇ちゃんがいなくなったら大変ばい」などとおじちゃんたちは言っていたのが、それが現実のものとなってしまったのだ。

土曜の朝の事故以降、自治会の事務局と顔役が集まって緊急会議を開いたり、翌日にはお通夜、翌々日には葬儀があり、現役の自治会の事務局長の死去ということで役所関係からのお悔やみ等々、目まぐるしく1週間が過ぎ、今はぼんやりとしている。

葬儀に参列したにも関わらず、私はいまだに事務局長の死が本当のことと思えなくて、事務局長がいつも乗っていたのと同じ軽トラに、同じような体の大きな白髪の人が乗っていると、「あ、事務局長だ」と思い、その後で「あー、そんなわけなかった」と思うのを幾度となく繰り返している。

ご遺族や長年事務局長と付き合いのあった人たちの心痛に比べれば、私など4年ほどの付き合いでしかなかったのだからとは思うのだけれど、やはりいまだに苦しくなる。

それ以外にも、ここのところ身の回りの人々が悲喜交々と言った感じで色々とあった。それも悲の要素の方が多く、私自身も今後どうして行くべきなのかを考えるべきだろうと(悲の要素が多い訳では無いが)、自分が本当にしたいことをもう一度改めて考えようとしていた矢先だった。

友人知人や家族に起こっていることに心を痛めつつも、それでも自分の今後をどうして行くかの判断を間違えないように、粘り強く考えて行かねば。最善の判断をするためには、働き過ぎ、ワーカホリックでいることは最悪で、とにかく休みをゆっくりとって投げやりにならずじっくり考えることが何よりも大事だと思う。

お通夜や葬儀に参列した顔馴染みの農家のおじちゃんやおばちゃんたちに、
とにかく働きすぎんで、と言った。

働きすぎは、本当によくない。

追記
おばちゃまたちと働きすぎはいかんですねと話をすると、大概、「あんたも無理しすぎんこと」と言われる。実際のところ、バイト、地域事、家の維持と、たぶん自分は相当に無理をしているのだなぁと最近思う。無理が効かなくなっている現在、文章を書くなどの表現欲求がなくなりかけているのも、そんなあたりに理由があるのだろう。無理をやめたいな。

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