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人生の目標。

先月の大雨で、我が家の川沿いの敷地に大きな木が流れ着いた。
私は男の人が2~3人いればどかせるだろうと思っていたのだけれどそれは素人考えで、ちらっと見た人が重機を使わなきゃ無理だよと言った。それをまた別の人にどうしたらいいですかねと聞いてみたら、〇〇ちゃんがよかろうとのことで今度はその人に相談してみた。
すると、その◯◯ちゃん(れっきとしたおじちゃま)は「あんたそれを俺にせろと言っとるの?ま、してやろ」と言ってくれて、その翌日の夕方、私が昼寝をしている間にさっさと片付けてくれた(翌朝、木がなくなっていて気がついた)。
ビールを1ケースお礼に持って行ったら、出来ることをしているだけだからお礼なんていらんかったのにと言われた。

ここ数日、頭の中でぐるぐると知人たちについて考えている。ずいぶんと前から知っている人たちが、それぞれ別に苦境に立たされていることを知った。

一人とは偶然スーパーのお惣菜売り場で遭った。久しぶりですね、お互い生きていましたねなんてたわいもない立ち話の一環で、「痩せましたね」と言ったら、お金がなくて1日か2日に1食しか食べていないのだと言う。世話になっていた人だったので、「2食分ぐらい奢りますよ、好きなものを私の買い物カゴに入れてください」と何だかんだで2500円分ぐらいのものを渡した。聞けば6月以降、職に就ていないらしく金がないのだという。職は探しているとは言うものの断られたりなんだりらしい。
本気で仕事とお金を求めていればとりあえずのお金を稼ぐことはできるように思ったし、必要があるのであれば生活保護を受ければ良いと思ったけれど、口にはしなかった。
もう一人の知人は仕事上でずいぶんと問題を抱えているらしいのだが、話を聞いているうちに解決の糸口を自分自身が見えなくしている印象な上に、私がパートタイムジョブについて割り切ってしているということを話したらずいぶんと批判めいたことを言われた。おそらくその知人の仕事上の問題解決に必要なのは割り切りだろうと思ったが、口にしなかった。

その二人が一番必要としているであろうことを口にしなかったことは、果たして合っていたのだろうかと自問自答する。
私が口にしなかった理由は、彼らにとって乗り越えなくてはならない壁は彼ら自身が一番よく認識しているように思うし、そうできないのにはもっと大きな理由があるからだろうと考えているからだ。彼らを理解したふうの私が何か言ったとて、彼らにそれが受け入れられるとは思えなかった。
何より、彼らの問題を解決できるほどの能力を私が持っているとはどうしても思えないのだ。
人の人生に無闇に介入することは自分を過信しているし、ましてや一緒に共倒れになることは意味のないことだ。

なので、我が家の木をどけてくれた人のように、知人たちの苦境をあっさりと助けることが出来るような能力と経済力を身に付けることを、今からの人生の最大の目標にすることにした。
どうするかは、ゆっくり時間をかけて考えていく。

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