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まぶたの裏に見たのは、肩で息をしているCoccoだった

小竹向原駅に向かって歩いている途中、その後の仕事のキャンセルの連絡が入った。
職場に戻れば、やらなくてはいけないことは山のようにある。
でも、足が止まった。

私の仕事は、困ってる人と手を繋いで、一緒に歩いていくこと。
人生は山あり谷ありだが、この頃、坂を登れず、谷に滑り落ちてしまう人が続出していた。
慌てて手を取りに行くけど、その手を振り払われたり、「え、ヒール履いてんじゃん(何故もっと早く気づけなかった)」となったりで、兎にも角にも遣る瀬がなく、上手く導けない自分に嫌気だけが募っていた。

しんどい時、半ば無意識に、脳内でストレスをビジョン化する癖がある。
腐りゆく蜜柑のじゅくじゅく、干からびそうなアザラシのアウアウ。
居眠りをしている時に、それらのイメージが頭に浮かぶことが多い。
人間の防衛機制はよく出来ていると思う。
顕在化されたストレスに、上手くハンドリングせーよと語りかけられ、自分の限界値を探る。
先刻、電車でうつらうつら、まぶたの裏に見たのは、肩で息をしているCoccoだった。
あれは焼け野が原のCocco。

Coccoが浮かんだら、もうダメよ。
今日はもう職場に戻らないと決めた。

決められたら、あとは楽ちん。
イヤホンの音量を上げ、ポッケの中で手を温めて、知らない街をうろうろ。
洋菓子屋さんで美味しそうなケーキを3つ購入。
早めに仕事を切り上げる罪悪感に、手っ取り早く快楽を流し込む。
不釣り合いの贅沢を、生活の重しに使う。
そんな日があっても良いじゃんね。

開き直る心の余裕も生まれ、血の巡りが良くなったところに、ご飯に人を誘いたいという思いがぽっと咲いた。
だってまだ19時なのだ。次の日は休み。

「楽しくなくなる」と言われ、ぐうの音も出なかったあの日から、内側からぐう以外の言葉が出てくるまでは、人を誘ってはいけないと自戒してきた。
失敗から正しく学べる素直さが、まだ私にも残っていろと念じて、じっと省みて、最近ようやく言葉が湧いてきた。
足りない自分を認めること、そして、足りないものを人に求めないこと。
それが、私には出来ていなかったんじゃないか。

金曜19時の解放感にも助けられ、意を決して人に声をかけ、奇跡的にOKをもらい、20時に新宿で合流した。
相手が笑っているのを見られて、私にとってはとても楽しい時間だった。
でも、ピザ3枚と、蟹のパスタと、カルパッチョを食べたが、相手は途中から苦しそうだったな。
ご飯の後に行ったバーのママに「あなたはどこでも合わせられるけど、だからこそ、ここっていう場所が見つけにくいかもね」と言われた。
相手がタクシーの割り勘代をPaypayで送ってくれたのに、もらい過ぎだと思い、半分送り返しちゃった。

反省は尽きないけど、失敗から正しく学べる自分を信じて、仕事も生活も、ちょっとずつ成長していきたいです。
ね、Cocco。

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