テイルズオブゼスティリアをプレイしたので感想文を書いたぞ!!!
これはただの感想文だ。よってテイルズオブゼスティリアに興味のないひとにはなにも伝わらない散文である。読み進めるのならそれを承知のうえで読んでほしい。
結論から述べるとゲームはとても面白かった。アニメはマジでクソ。ゴミ。1話220円なので、25話すべて見るために5500円の無駄遣いをした。本当に無駄遣いだったが批判をするのに最後まで見てないというのは道理にもとるので全部みた(5話くらいで見るのやめようと思ったが我慢した)。
テキトーに思うままに書いてたら長すぎてしっちゃかめっちゃかになったので、項目ごとに弁別し、筋道だてて言語化しようと試みた結果が以下の散文である。
・システムについて1(戦闘システム)
これは恐らく評価の分かれるところだろうと素直に思う。本作ではシームレスバトルシステムが採用されており、フィールドやダンジョンなどで敵シンボルと接触すると戦闘が始まるというのはどこにでもあるシンボルエンカウントシステムとおなじだが、バトルフィールドがそのまま探索フィールドと一致するというFF7Rなどで見られるシステムとなっている。FF7Rは戦うことを前提とした敵シンボルの配置となっているが、ゼスティリアは明らかに戦うことを想定していない場所で接敵した場合でも強制的にその場所で戦闘することになる。岩が邪魔だったり扉の向こうに敵がいたりと、最初は戸惑うことが多かった。ぶっちゃけシームレスバトルにこだわる必要はなかったと思う。
シームレスバトルは置いといて、具体的なバトルシステムについて語っていこう。
まずこのゲーム、神依という仕組みが存在する。これは主人公が別のキャラと合体して強化された状態で戦えるシステムのことだ。この神依システムがゼスティリアの醍醐味といっても過言ではない。
まず神依化するとステータスが跳ね上がる。主人公のスレイと合体したキャラクターのステータスが単純加算されるので、倍近くになる。攻撃力も防御力も段違いとなる。おまけに広範囲攻撃で敵を薙ぎ払えるので爽快感が凄まじい。いちど神依を覚えると連続で神依を使いたくなるが、システム的に連続使用は難しくなっている。BGというゲージを消費しなければ神依化はできないので、序盤は神依で戦い続けることはできない。この問題は終盤まで、下手をすると終盤でも解消されない。上手にBGを貯めて維持していかないと連続で神依を使用できない仕様になっている。
で、神依はすごく楽しいんだけど、その神依の仕様にもやや問題がある。その問題を語るためにさらに戦闘システムについて補足しなければならない。
このゲームの戦闘システムの根幹として、「特技」「奥義」「天響術」のみっつの技の三竦みが挙げられる。
・特技では奥義を防げないが、天響術を防げる。隙も少ない。範囲も狭い
・奥義では天響術を防げないが、特技を無視して攻撃できる。範囲は中程度
・天響術は特技も奥義も天響術も防げるが、詠唱時間が長い。広範囲攻撃
こんな感じだ。つまり天響術最強。天響術で敵の攻撃を全部シャットアウトできる。が、しかし天響術は詠唱寺間が長いので敵に簡単に邪魔されてしまう。キャラクターの性能として、以下の特性がある。
通常状態の人間キャラは特技と奥義しか使えない。
通常状態の天族キャラは特技と天響術しか使えない。
神依状態の合体キャラは奥義と天響術しか使えない。
このような特性があるので、神依は強力だが神依化してずっと戦っていればなんとかなるという単純な仕組みではなくなっている。なぜなら神依は特技を使えないので、敵の天響術を防ぐにはこちらが天響術を先打ちするしかないからだ。そして天響術は判定が強いので敵に使われると非常に厄介。天響術を使ってくる敵には通常状態で戦ったほうが得策だったりもする。
これにストレスを感じるひとも多いようだ。そもそも敵が天響術を多用してくる場合、通常状態で戦ってもキツいので、この三竦みを非難するのはお門違いと言えるだろう。
神依状態のこのデメリットを非難する声は多い。なぜかというと、本作は敵がめっぽう強いのだ。神依で戦わないとあっさりやられてしまうくらい敵が強い。神依前提のステータスになっている。通常状態で戦う機会は、ストーリーが進めば進むほど減ってくる。通常状態ではまともにダメージが通らないからね。しかもすぐ殺されちゃうし。攻撃範囲の広さからも神依を選択する場面は増える。おまけに中盤以降は天響術を多用してくる敵が増えるので、神依が役に立たない場面が増えてくる。爽快感あふれる神依を使えないとあってはストレスもたまるだろう。
そんなおまえに朗報だ。ヘルプをよく読め。
ヘルプというかバトルブックというシステムの解説だね。メニュー画面から読めるぞ。書いてあることが多すぎておぼえきるのは難しいが、こんなことできねーかなぁみたいなのを探しながら読んでいると意外な打開策が見つかることも多い。敵の天響術を防ぐ手立ても載っているぞ。ただし、天響術を防ぐための方法としては記載されていないので応用する必要はある。
どうやって敵の天響術を防ぐのか。
1.こちらの天響術を先打ちする
2.ステップで回避する
3.神依時は天響術を防御できる!
4・フロントステップ!!!
敵の術を防ぐ方法はけっこう多彩にあるのだ。なにも困らない。特にフロントステップは終盤以降では必須の技術になる。これがないと上手に戦えない。
まずステップ回避は詠唱中も可能なことは知っておきたい。敵が寄ってきても目の前で詠唱を開始してステップで回避しながら強力な天響術を放つというのはわりと基本戦術だったりする。操作してない味方キャラが敵の目の前で術の詠唱を始めたときは「アホかー!!!」って思ったけど本当にアホだった。少し話は逸れるけど、このゲーム味方はアホで敵が賢すぎるんですよね。こっちがターゲットに指定したキャラは逃げていくのに、周りの雑魚は寄ってくるんですよ。頻繁にターゲットを変更しないと横と後ろからボコボコにされるというクソ仕様も理解すれば対応できたけどね。慣れるまでは大変だった。
話を戻そう。フロントステップは通常状態でも神依状態でも"特技扱い"になる、というのはおぼえておかなければならない。神依状態でも左スティックをちょんと前に弾くだけで敵の天響術を簡単に防げるのだ。連携の初段として活用したり、敵の距離が離れてしまったときや吹き飛ばし攻撃後のつなぎとしてフロントステップを挟めると、戦術の幅がぐっと広がる。
特技は隙の少ない攻撃で、フロントステップも隙は少ない。ただし、フロントステップは当たり判定が異様にデカい。判定も強い。ステップなので敵の攻撃を回避することもできる。おまけにフロントステップというくらいだから前進する。特技の中で前進しながら打てる技は実はない。ので、フロントステップは敵との距離を詰めながら攻撃できる唯一の方法だ。これをおぼえないでゼスティリアのバトルは語れないのだ(フロントステップに攻撃判定を持たせるには特定のバトルアクトが必要になる)。
敵の攻撃が激しくて防御するしかない! みたいなストレスのある状況でもフロントステップで楽々敵の攻撃行動を掣肘できるので、これからプレイするひとはおぼえておこう!(ちなみにこのゲーム、終盤で装備集めをするときにミクリオ(水神依)が無類の強さを発揮する。ミクリオを最優先で育成しよう)
・システムについて2(融合システム)
物語が終盤になると、敵が強くなって厳しい戦いを強いられる。戦い方を見直しても勝てなかったりもする。そんなときにやるべきなのは装備の見直しだ。
ゼスティリアは装備融合システムというものがある。これを活用することで驚くほど強くなることができる。序中盤はうまく武器スキルを繋げられず無駄なシステムと化しているが、終盤になってノルミンがそろってくると、これを併用することで好みのスキルを繋いで強力な装備を作ることができる。アトリエみたいだねって思ったけど、だいたい似たような感じである。
このアトリエシステムに馴染めないひとはゼスティリアを楽しめないかもしれない。素材を集めて合成してビックリするほど強力な武器を作る、みたいなの、楽しいんだけどね。楽しめないひとは楽しめないだろう。そういうひとはおとなしく難易度シンプルでプレイしよう。ヘルプにも書いてあるけど、難易度ノーマルは「バトルシステムと融合システムをよく理解している前提の難易度」と書いてあるので存外ムズカしい。素直に難易度を下げることをお勧めする。
ここで私が作った装備の数々を見てほしい。まずはスレイからだ! めちゃくちゃ苦労して強力な装備を練り上げた錬金術の極みがここにある!!!(ゲームが違う? うるせー)
スレイの装備は全部に祝福を施してあるのでわかりづらいが、上から順に「"血塗られし聖剣"と"影に寄り添う義剣"を祝福したもの同士をさらに掛け合わせたやつ(わかりづらいがこれしか説明のしようがない)」「イルミンスール」「マム・ベイン」「ドラゴンリング」「アダマントブーツ」をそれぞれ祝福したやつだ。
祝福するとスキルスロット1についているスキルの効果がダブルになる(2倍になる)ので、強力だが必ず祝福しなければならない類のものではない。むしろ後述するロゼやミクリオの装備はあえて祝福していなかったりもする。スキルの数を何個そろえたかで効果が変わってくるので、いたずらに祝福したりすると目当てのボーナススキルが発動しなかったりするのだ。詳しい説明は攻略サイトを読んでくれ!!!
スレイの装備はテンペストを15個そろえてルシファー(=消費SC半減)とワンダーを13個そろえてオーディン(=ヒット数が2倍になる)、さらにフェニックスを9個そろえてサウザンド(=1000以上のダメージを半減)を発現させている。さらにテンペスト効果で10hitごとにBG40%回復、ワンダーで敵を1体たおすごとにBG64%回復、戦闘不能防止180%(だいたい2回まで死んでも生き返る)みたいな感じで超強化してあるので、終盤の強敵も割と余裕で倒せるようになった。ここまで強化する必要はないけどね。
全員分の説明をするのは面倒なので画像で見てくれ!!!(ロゼとミクリオの装備について後述すると言ったがアレは嘘だ)
天族キャラは全員例外なくミスティックをふたつ重ねて、さらに属性ごとのエルム7を発現するようにした。ミスティック2倍で詠唱時間が80%短縮なのですさまじい広範囲高火力攻撃を一瞬で打てるうえに敵の耐性を無視できるという壊れ仕様と化す。私は2周したけど、1周目でもミスティックは必ず各キャラひとつは作っておきたい。
要するに戦闘はあれこれ考えて工夫することができてとても楽しかった! ということが伝われば満足である(バトルアクト"アドヴァンスドディヴァイン"をつけるとセイム13が台無しになるので敢えて外していたetc)。逆に後進のベルセリアはここまで工夫できないんだよね。スキルシートをなくしちゃったのは不満だ。
・ストーリーとキャラクターについて
「未完成品を売りつけた!」「分割商法!」などと叩かれているゼスティリアだけど、「え? どこが未完成なの?」というのが率直な感想だ。ゼスティリアはあれで完結していると個人的には思う。以下ネタバレ全開なので未プレイの方は閲覧注意。
物語は全体的に説明不足というかプレイヤーの想像力に頼っている嫌いが強いことは否めない。私も2周してようやく「なるほど」と首肯できた部分が多い。アリーシャの扱いに憤慨しているひとが多いようだけど、私はあれでよかったと思っている。っていうかみんなプリンセス好きすぎじゃね?
お姫さまっていうのは政治には口を出さないっていうか出せないものなんだよね。時代背景は我々の知っている地球の歴史とは異なるかもしれないが、導師様ご一行でもなければ、女の身でありながら政(まつりごと)を担っているキャラクターはフォートン枢機卿だけである。枢機卿も憑魔だったし、憑魔の特殊な能力がなければ表舞台に顔を出すことはなかっただろう。女でありながら政治の世界で生きていくというのは、現代社会でもなければ極めてまれな例なのだ。
そこはゲームなので……みたいな意見もあるかと思うが、ゼスティリアという物語についてよく考えてほしい。ゼスティリアは都合の悪い現実をこれでもかっていうくらい突き付けてくるお話だ。ご都合主義全開の舐めたアニメとはまったく事情が異なる。現代の倫理観やポリコレに染まり切った脳で物語を読み解こうとするからバグるのだ。
この世界観で女だてらに政治の世界に口を出そうというのは、それこそマルトランのようなパワーが必要だ。そしてマルトランは憑魔である。アリーシャのような甘っちょろいお子ちゃま理想論を掲げたところで世界は回らない。アリーシャに必要なのは現実をみて、足元を見て、人間を見ることだ。理想を唱えたところでひとは生きていくことはできない。特に災厄の時代と呼ばれる世界でアリーシャのような甘ったれが政治に携わればどうなるか。恐らくアリーシャ自身がイの一番に憑魔化すること請け合いだ。政治というのは利害と利害の落としどころをつけるための折衝を行う営みであって、理想を叶える舞台ではないからだ。
物語の終盤で、アリーシャがそういった複雑な政治性について理解を深めるエピソードがいくつかあって、ようやく前を向いて進んでいけるようになる。もしアリーシャが導師様ご一行として世界を旅して、世界の穢れを浄化していくストーリーだったら、アリーシャは自らの勘違いに気づくことができただろうか? スレイの持つ導師の力を己の力と勘違いをして、さらに理想論を振りかざす未来もあり得たかもしれないと私は思っている。アリーシャはそれくらい青臭いキャラクターだ。泥と手垢に塗れた政治の裏側を知って、それでも政治の道を志すのがアリーシャなのだ。
また、立場上アリーシャは一国のお姫様だ。敵対するローランスを訪れてひと悶着すら起きなかったかを考えれば、アリーシャがあの場で退場するのは妥当な落としどころだろうと思う。むしろ物語が違った方向に進んだ可能性すらある。完全に政治の話に掏り替わった可能性すら否めないだろう。物語の都合上、アリーシャにはあの場で退場してもらうしかなかった。そしてアリーシャはロゼとは共闘できない。主義信条、思想が違いすぎるからだ。
物語の中盤からロゼが加入するのだけど、ロゼの導師様組への加入動機はテキトーだった。そこはもうちょっと考えてほしかったかなーとは思う。その後、物語を引っ張っていくのはロゼである。私はロゼが大好きだ。しかしインターネッツの諸氏はどうにもロゼが嫌いなようだ。ロゼを理解できないという意見が散見されるらしい。先述した現代の倫理観やポリコレ脳でロゼの行いや思想を理解するのは無理があるだろう。
ロゼはとても力強いキャラクターだ。信じた道に殉じる覚悟みたいな強さももちろんあるし、なにより現実ってやつがそんなに単純じゃないことを知っている。そしてそれらをすべて受け入れたうえで「殺し」という稼業を営んでいる。そこで自分を正当化したり他責化したりしない、欺瞞のないキャラクターがロゼだ。そう、ロゼは「間違っていると知っていてやる」のだ。ポリコレ脳では理解できないキャラなのだろう。逆にオタクたちにそれほどポリコレが浸透してしまっているということだろうか。すわ恐ろしい事態である。おまえら、目を覚ませ。これはゲームだぞ。
どうにもね、「暗殺稼業をやっているのに穢れない」ロゼというキャラクターに理解が及ばないひとが多いようだ。皆さん、善悪二元論とか公正世界信念を深く内面化しすぎなんじゃないですかね? 頑張ったら報われるとか、正しい行いをすれば評価されるとか、そんな単純な話じゃないだろ、このお話。
・"穢れ"について
というところで"穢れ"の話に移行していこうと思う。
物語に深くかかわる概念である"穢れ"がよくわからない、というひとは多いと思う。正直に言うと、私も上手く言語化できるほど理解しているわけではない。"穢れ"はベルセリアにも登場する概念だが、ベルセリアでは"穢れ"はそこまで重要視されていない。ベルベットたちにとって"穢れ"は浄化しなければならない対象ではないからだろう。"穢れ"を祓う導師の物語がゼスティリアだとすれば、むしろ"穢れ"ている側の物語がベルセリアだ。
この"穢れ"というものがいったいなんなのか。恐らく現代の倫理観どころか人間の価値観で理解するのは難しいだろうと思う。劇中でライラが何度も何度もスレイを諭す言葉を口にしてくれている。自分で見て、自分で考えて、答えを出してください、と。単純な善悪で割り切れる概念ではない。善悪というのは人間が考えた、人間社会を維持するための規範であって、物語の"穢れ"とは異なる概念だ。人間という種族、あるいは社会にとって都合の悪い行いが「悪」であり、社会を存続するのに都合のいい行いが「善」とされているだけであって、他種族である天族に人間の善悪は適用されない。
ただし、概ね「悪」とされる行いが"穢れ"として描かれているので、「"穢れ"=悪」と考えてしまいがちではあるが、物語を進めるほどに「悪="穢れ"」ではないことが暗示されていく。その最たる例がロゼである。
ここを理解できないから、ロゼに抵抗感を抱くひとが多いのだろうと私は考えている。「殺し」を肯定的にとらえるロゼを受け入れられないひとは、"穢れ"というものをそのまま人間的な善悪の規範で断じようとするから「なぜロゼが"穢れ"ないのかわからない」という心理状態に陥る。道徳的な正邪の同定は、しばしば人間の認知をバグらせる。なにが正しくてなにが間違っているか、その線引きが曖昧な状態を許容できないひと、けっこういるんですよね。
"穢れ"というものについて思索するにあたって、私はひとつのキーワードとして「信仰心」というものが挙げられると考える。なにか宗教的な教義のお話ではなく、ひとびとが持つ素朴な信仰心だ。ライラやほかの天族たちがよく口にする「ひとびとから天族を敬う心が失われてしまった」という言葉が鍵だとは思うんですよね。
特定の宗教のそれではなく、純粋に「神」というものを信じる心、それらを大切にする心、敬い、崇め、奉る心。そういったものが「清浄なもの」であるのがゼスティリアの世界なんじゃないかなと、私は思うんです。ひとに優しくするとか、だれかのために身を削るとか、そういう人間社会における善の営みではなく、天族のような超常の存在を信じ、敬う心が失われた状態から"穢れ"が生まれるんじゃないかなと。逆にそれらを蔑ろにする心こそが"穢れ"の源なのではないかなと、私はそんなふうに考えてるんです。
純粋に「なにかを信じる心」を持つ者は"穢れ"ない。
この法則だと物語と整合的でわりとしっくりくるんですよね。だからロゼは"穢れ"なかった。ペンドラゴの司教も"穢れ"なかったし、ヘルダルフの腹心であるサイモンも"穢れ"を放たなかった。
では"穢れ"というものが具体的になんなのか。これを言語化するにはちょっと弱い。ロゼも司教もサイモンも"穢れ"ない条件には符合するが、"穢れ"を直接的に説明するにはちょっとバラバラな例なんですよね。「信仰心を失う」だけでは"穢れ"は発生しないので、明瞭な言語化を図るにはもう少し決め手がほしい。
・アフターストーリーについて
さて、アリーシャの有料エピソード「瞳に映るもの」の感想である。
ゴミ。クズ。だれだこの話を考えたやつは。表に出て来い。額に「肉」って書いてやる。
ロゼもライラもエドナも、そしてアリーシャもキャラが変わってる。本編の追加エピソードで二次創作をやるんじゃない。しかもこの内容でカネをとるとか狂気に沙汰でしかない。ぺらっぺらのショートストーリーで、本編の雰囲気をブチ壊すお花畑満載の桃色エピソードを楽しみたいひとにしか薦められない。
前述したけど、ゼスティリアの醍醐味は神依なのね。でもアリーシャは神依できないのね。この時点でゴミ。ロゼを使うか、天族キャラで天響術祭りをするかしか選択肢がない。私はエドナで「インフレイフレ~」ってやって遊んだり、ライラで「燃えて燃えて~」「ヒャッハー!」ってやって遊んでました。
お話も本編とほぼ関係ない。アリーシャが女の子として自己実現をする!!!みたいなストーリーなのね。はァ?って感じだった。マジでカネを返してほしい。
・アニメと比較して
さて、ここからはアニメの感想になるのだけど、酷評になるのでアニメ版が好きなひとはここで回れ右をしてほしい。
アニメ版も全部みたけど、まるで違うお話になってたね(ネトフリとかの動画サイトでも単話220円というレンタル扱いだったのでやむなくAmazon Prime Videoでカネを払った)。ゲームがあれだけ叩かれて、アニメが激賞されてるの、普通に疑問しかない。後述するけど、たぶんオタクの質が変わってきたってことなんだろうなと思ってる。私の感想を述べるなら、アニメはクソ。超つまらん。ゲームのほうが全然おもしろかった。ストーリーもキャラもね。
アニメのほうはアクションシーンとかすごい迫力で見世物としては面白いと思ったよ。でもゲームのキャラを使ったとてつもなく出来のいい二次創作みたいなシナリオだったね。アリーシャの追加エピソードと似たものすら感じた。ゼスティリアのストーリーをまるで理解していないのか、はたまた客に媚びた結果なのかは不明だけど、言葉は悪いが率直に言うと薄っぺらい話になっていた。
上述したように、ゲームのゼスティリアはお話自体がわかりづらい。二周以上やる前提で作られてる気さえする。話が重たいし、システムも難しい。私はベルセリアで予習してたので比較的スムーズに入れたけど、ゼスティリアから入るのは敷居が高い。だからといって話を単純化してまで挿げ替えてもいいってことにはならないだろう。アニメのストーリーはゲームのそれとはほぼまったくの別物になってしまっている。キャラクターもだ。
アニメのロゼはゲームのアリーシャみたいな弱さが露骨に表現されてるのね。ゲームのロゼは違くて、(これも書いたけど)殺しを罪だと認識し、自覚してなお迷わない強さがあった。悪だと糾弾されても揺らがない剽悍さがあった。清々しさがあった。アニメのロゼにはそれがない。それを持っているのはアニメのほうのアリーシャだ。
どんなにツラく苦しいことがあっても常に快活でカラッとした清爽さが売りのロゼがありありと不機嫌さを発揮するところなんか違和感しかなかった。怒るときは怒るけど引きずらないのがロゼだったのに、アニメだと普通の女になってしまっている。だれだよこの設定を考えたの。小一時間くらい問い詰めるぞ。
つまりアニメとゲームでは、アリーシャとロゼの役割があべこべになっている。アニメを見ていて強い違和を感じたのはそのせいだと思う。人気キャラのアリーシャに強さを、不人気キャラのロゼに弱さを担わせている。あくどい狡猾さを感じた。まぁ商売だから売れるほうに舵を切るのは当然なんだけど、モヤる。
アニメだと悩み苦しむロゼが描かれてるけど、ゲームでは描かれない。なぜかも語られている。ゲームのロゼは"そこ"をすでに通り過ぎているからだ。だからゲームのロゼは迷わなかったし穢れなかった。ところがアニメのロゼはまだ"そこ"にいるのだから、そりゃあもう違うキャラだろうって話になる。
最初の数話を見て、なんか世界観がおかしいなぁとは思っていたけど、途中から「弱者が生きやすい世界」みたいなキレイゴトが出てくるのがアニメのゼスティリアなのね。ゲームのほうは真逆とまでは行かないけれど、真っ向からポリコレに喧嘩を売ってる内容なんだよね。「弱者のためにキレイな世界を作る!!!」とか、ゲームのほうで見たスレイやロゼの言葉とはとても思えないんだよ。
馬鹿いってんじゃねーよ。弱者はいつの世でも生きづらいから弱者なんだよ。弱者が生きやすい世界ってのは、それまで弱者とされてきた人間にとって都合のいい世界というだけで、別の「生きづらい人間」を生成する世界でしかないんだよ。弱者性が別の属性に移譲されるだけなんだよ。悪の大王をやっつければ世界がキレイになるなんて薄っぺらい話じゃねぇだろゼスティリアは。そういう単純な善悪で峻別できない複雑な世界の在りようを描いて、それでも信じた道を征く、それがゼスティリアだろ? なんでこんな話にしちまったんだ?
なんやねん、あのデゼルの別れのシーンは。ゲームのシーンはすごく好きだったのに台無しやんけ。ロゼはあんな子どもとみたいに感情を撒き散らさないからロゼなんだよ。キャラ変わっとるやろ。ロゼの「おう!」にデゼルがどれだけ救われたかわからんのか。全部ブチ壊しやんけ。なんでこんな安っぽいお涙ちょーだいな話に掏り替えたんだよ。責任者でてこい。
ルナールがいいやつになってるのも納得いかん。ほんとはいいやつだったんだ!みたいなの、真面目に冷める。ルナールにはルナールの事情も強い思いもあった。彼の望みは社会に受け入れられるものではなかった。そして風の骨に牙を向いた。頭領としてケジメをつけなければならない(ルナールは風の骨の一員だった過去がある)。そういった個々の持つ複雑な事情感情を飲み込んで厳しい決断を下すのがロゼだ。それでも救おうとするのがスレイだ。それらすべてを蔑ろにしてご都合主義の設定に堕するのは到底許容しがたい。
ゲームのゼスティリアはそのへんをきっちりわかってるひとが話を作ってたけど、アニメのほうはおキレイな世界が大好きな腐れポリコレマンが書いたんじゃねぇかって勘ぐりたくなるくらいお話の出来が違う。
アニメのほうが激賞されるのだとしたら、オタクの精神的な耐久性能に問題があるんじゃねぇかって思ってしまう。これは近年のなろう系のお話なんかを見てても感じることだね。オタク、もうツンデレとかに耐え切れないの。最初からデレてないと我慢できなくなってる。たとえお話のなかであっても冷たくされることに抵抗を抱くようになったんじゃないかなぁと邪推している。だから厳しい現実を突きつけられると反感を抱いてしまう。結果、「やさしいせかい」しか許容できなくなっているのではないか。アホか、野菜生活でも飲んでろ。
アニメだと最終的にアリーシャの苦労が報われる形で幕を引いている。「こうしてしあわせにくらしました」みたいな結末だ。ゲームはそうじゃなかった。ハイランドとローランスが交渉のテーブルにつくところまで辿り着き、そこから訪れるであろう苦難を乗り越えて見せる、そんな話だっただろう?
話は戻るけど、アニメのスレイという人物とか"穢れ"への解釈というか、ゲームのそれとは明らかに違うんだよね。アニメのほうは善悪二元論的に"穢れ"が語られている。「わかりやすい悪」が"穢れ"みたいな話になってるのね。これにも違和感しかない。だれもが心に"穢れ"を持っている、みたいな。確かにそのほうがわかりやすいよ。ゲームのほうはわかりづらくて非難されたって節もあるからね。でもそうじゃないんだよなぁ。
ゲームではあんなに何度も何度もライラが諭してくれたのに、アニメだと勧善懲悪に堕してしまっている。わかりやすさという安易な陥穽にハマってしまった。違うだろうと。"穢れ"はそんな単純なもんじゃねぇだろう? わかりやすい善悪で弁別できないから"穢れ"と呼ぶんじゃないのか。その答えを考えろとライラが何度も諌めてくれたじゃないか。そんなライラが好きだったからDLCの水着も買ったんだぞ!!!(おっぱいとかそういう理由ではない!!!)
ふぅ、オタクたちに目を覚ませとか言いながら私もオタクだということに気づいた。こんなに荒ぶってしまった。反省しよう。
・総評
テイルズオブゼスティリアは6年も前のゲームだ。当時の炎上のことは寡聞にして知らない。当事者でもないのでそれについての言及は控えようと思う。
しかし、キャンセルカルチャーが猛威を振るう昨今だが、6年前ですら似たようなことはあったんだなぁ。猖獗を極めはじめたのはわりと最近だと思ったが、こんなもんはユーザーの感想だと割り切ればいいのにと思うんだが。
さて、総じてゼスティリアはとても楽しめるゲームでした。最近だとどうだろう、創の軌跡とおなじくらい楽しめたかな。私は零の軌跡と碧の軌跡は好きだけど閃の軌跡は嫌いなんですよね。キャラがクソ、話もクソ。閃の軌跡についてはもしかしたら後日まとめるかもしれない。とにかくゼスティリアはストーリーもキャラもバトルも全部おもしろかった。ゲームは花丸。アニメはゴミ。アフターストーリーもゴミ。そんな感じ。
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