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5% 「夢だった美容師を辞めて〇〇〇を目指した20歳」〜20代のこじみきの話をしようvo.1〜

こんにちは。こじみきです。

20回に分けてこじみきの20代の記憶を最大限に掘り起こして

記憶しておこう。というただの自己満企画。

インスタグラムのストーリーに目次を掲載したら何人かが「読みたいです。」と言ってくれたので挫けずにアウトプットしていこうと思う。

幼い頃からの夢だった美容師。

「大人になったら何になりたい?」

と幼い私に尋ねる。お勉強より、ファッションやヘアメイクが好き。放課は友人の髪の毛を束ねたり、落書き帳に可愛い女の子の絵を描いたり、ドレスのデザインを描いたりしている子だった。

強制的に放課は全員でドッチボールだ!という小学3年の時の担任が行った日はしぶしぶ外にでたけどあとはインドア派。

母方の親戚に美容師の方がいて、七五三などで着物を着せてもらったり、髪を切ったついでにしてもらえる編み込みが大好きで、

「大きくなったら美容師になる」

と決めていた。中学生の時不登校になって高校も行かずに中卒でいける美容専門学校の見学も行った。(結果的にあまり雰囲気が好みではなくて他の理由もあって高校は出た)

高校も出て、名古屋文化短期大学という短大卒で美容師の資格が取れるという一石二鳥な学校をたまたま高校の時のバイトの先輩の紹介で知った。(めっちゃ学費も高かったみたい。両親には感謝><)

そんな素敵な短大に通わせてもらい、美容院の就活も私の第一志望にサクッと合格してしまった。配属は岡崎市のサロン。

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やっと夢見た美容師になれる。

なのに私の心は騒つく・・・

本当にこれで良かったんだっけ?!




この時、私の心の中でもっとしたいことがあった。

言い出せないまま、美容室でのシャンプー練習も始まり、サロンの近くに引っ越しも済ませてしまった。

しかもシャンプー練習2回目くらいで、先輩の髪を洗った後で

「なんか痒い〜!」と私のシャンプーが気に入らなかったというかのように目の前で自分で髪を洗い直した。私は昔からタバコを吸う人がどうしても気に入らない。その先輩は美容室の裏でタバコを吸っていた。

この人と一緒に働くのかあ・・・・




憧れ、諦め、無理だと言われた「モデル」という職業

小学5年生の時にピチレモンという雑誌を買ってから、私は「モデル」という職業を知ってしまった。

友達と半分遊びで読者モデル応募した。

そして中学の時は雑誌に載っていた事務所にも応募した。

事務所、というか劇団だったのでモデルより演技レッスンが多くすぐに退団した。しかも退団には大金がかかったようで、両親の応援はもう無くなった。

退団したことを後悔してたくさん泣いた。

人生で最初で最後の後悔だったと思う。

そのあとに違う事務所に勝手に応募したが両親の許可は得られず、

親友に手伝ってもらってオーディションに行ったりした。

短大のヘアショーのモデルもしたし、名古屋でサロンモデルもした。

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卒業直前で、美容師を辞めることを決めた。

担任・就職支援の先生・両親。全員が敵になった。

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就職支援の先生に「就職を蹴るということはどういうことか?」

という文章を進路指導室で読まされた。声に出して。拷問だった。

担任にも、両親にも申し訳ない気持ちがあったが、それ以上に私はもう後悔したくなかった。


父親には「美樹ちゃんには額に傷があるから無理」とまで言われた。

母親も周りの人が美樹ちゃんモデルになったら?と私に声をかけると

「調子にのるので止めてください笑」と謙虚に言っていた。

私はすごく悲しかった。


だから20歳の誕生日プレゼントに

「額の傷を綺麗にする手術がしたい。」

と美容整形までお願いした。


・美容師を辞める。(後2年学生をするという条件付き)

・額の傷を治す。


この二つの足枷が無くなって、20歳の私の挑戦は始まった。


コネナシお金ナシのモデル活動のスタート

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まず、名古屋のスタジオで宣材写真を撮影して

バストアップと全身を撮った。(今思うとど素人丸出し)


そこからコネも何もないので当時のSNS・mixiで

【モデル・募集・オーディション】

と入力して、引っかかるものは応募した。

東京でも大阪でもいい。ファッションショーでもサロンモデルでもいい。

とにかく挑戦した。20歳なんてモデル業界だと遅いと思っていた。

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名古屋から何回夜行バスに乗ったかなんて覚えていない。

早朝に着く新宿や大手町のビル街は何回来てもワクワクした。と、同時に新宿駅は広すぎて何度も泣いた。

友達は誰もいない東京は私にとってめちゃくちゃ怖い場所だった。

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学生をしながらバイトもして作ったお金で、バスに乗って漫喫に泊まってコメダでご飯して。

撮影したり、オーディションに入ったり。

どうしたらコネができるのか?本物の人たちに出会えるのかなんて分からないままもがいていたなあ。(変な出会いもたくさんあったのでそれは別の章で・・・・♡)

謎にクラブで開催されるなんちゃって「ファッションショー」にも出たなあ。(その時は出られることが嬉しかった。けど今思うと謎の団体だった涙)

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就職した仲間くらい稼ぎたい!と始めたバイト

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美容師の就職を蹴った私は、就職した同級生と同じくらい稼がなきゃ!

と謎のプライドがあり、バイトを当時4つ掛け持ちしていた。

・キャバクラ
・コメダ珈琲でホール&キッチン
・テレアポ
・ガールズバー

おじさんの接客も、タバコも、電話も嫌いだった。
コメダ珈琲は高校生の時から馴染みがあったけど後は苦手なことだった。

だけど学校の前後はバイトして月に1回〜2回は東京や大阪に行くようにしていた。この時の話はきっとこの後にも繋がると思うのでこのくらいで♡

これだけバイトしていたから、気付いたら父親の扶養からはみ出ちゃって後から驚かれたなあ笑。

「何でこんなにバイトしたの?!」と両親に後々バレたから

「就職した同級生くらい稼ぎたかった」と正直に言いました♡


今思うとこの時無茶してたのもいい思い出。バーが3時に閉店して、大きな駅まで朝方歩いて始発で帰ったりしていたなあ。


応援してくれた叔母からの言葉


モデルを目指す!

と決めて味方になってくれた人物はたったの二人だった。

当時の親友と母の妹(叔母)だ。

叔母は私の味方をして母を説得してくれた。

その時に叔母に言われた言葉は今も私の根底にある。

「美樹ちゃん。あなたにしか出来ない仕事をしなさい。」

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まだまだ、私にしか出来ない仕事については模索中だけど、

あの時、美容師を辞めてモデルに挑戦したことは1ミリも後悔していない。


私は歳を重ねる毎に美しくなる女性。を目指して今日も生きて行く。

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