【イトナミコラム5】世界はヘビで満ちている
イトナミコラム5 世界はヘビで満ちている
今回のコラムはイトナミコラム2イトナミの形って知ってる?の続編。
今回はアナロジー界のエース。ヘビについて考えたいと思います。
まずおさらいとして、人間にはアナロジー(類推)という特殊能力が存在しています。
異なる者同士の中に共通点を見つけて繋げる力です。
前回のコラムの通り、異なる者同士を意図的に繋げる行為を縁起と呼び、その絶対的な力によって人類は発展してきたのではないかと考えています。
自分たちが繋がる相手、縁起の対象者は自然・神・先祖です。
彼らは食べ物を司っていますからね。
日本では神に対して米や酒を贈与することで縁を起こして繋がりを持ちました。
今回はそれより以前の話です。
古代の人々は目に見えない繋げる力や縁をヘビに見立てて信仰していた形跡があります。
なぜヘビなのか、それは様々な説がありますし、実際にもいろいろな理由が複合しているのでしょう。
ヘビ信仰のいくつかの事例を見てみます。
1,ヘビと水
まず1つ目はヘビが雷や水脈や川に似ている点です。
雷は空気中の窒素を破壊して雨とともに土地に豊穣をもたらし、水脈は飲水と土地を潤して作物を育てます。昔は現代のように建物が立っていませんから雷は天と地をつなぐヘビに見えたのでしょうね。
ヘビは古語でツツやツチのような音で発音されていたそうで、イカヅチ(雷)もヘビの意味がかくされているようです。
オロチやミヅチ(水蛇)ってヘビの妖怪がいますね。大地(ダイチ)までヘビでしょうか。
古代人は山に巨大な蛇がとぐろを巻いて住んでいると考えていました。
池には大蛇がいるともいわれました。
ヘビ=水と思えば確かにヘビが住んでますね。
山や湖に水がありますと言っても不思議がる人はいません。
水脈、川、雨など水にかかわることにはヘビが関わっている。
この考えはとても古く、中国のヘビである龍は水神でもあります。
出雲の斐伊川はヤマタノオロチにも例えられます。
同様に虹(にじ)/rainbowにもヘビが関わっています。
虹が架かるときは雨がふる時。虹はドリームタイムをもたらす虹蛇、レインボウスネーク(サーペント)、ユルング、エインガナなどと呼ばれ、各地で神話化されて信仰されています。
古代では雨乞いが頻繁に行われていたとみられ、そのときにヘビが祈りを捧げる対象に選ばれたのでしょうね。
雨乞いのために天に昇る龍は虹を表現しているのでしょう。
また虹という漢字の虫偏はヘビ状のうねうねした形を表しています。
蛇(へび)、蝮(まむし)、蜈蚣(むかで)、蜥蜴(とかげ)、蛸(たこ)など。虫はうねうねのヘビ。
工は2つの平行線に縦の線を入れてつなげている漢字です。
工は匠(たくみ)とも呼べるので、2つのものをくっつける職人の縁起的な言葉ですね。
天と地の平行線を繋げる虹を表すのに最適な漢字ですね。
2,ヘビと生命
2つ目はヘビが生命と再生の象徴である点です。
この考えはインドや東南アジア圏に広く分布しています。
日本でも第1・2期縄文人は東南アジアルートで南から、第3期縄文人はインドルートで北から日本に入ってきたとも言われており、日本にもヘビの生命信仰が多く混ざってきていると考えられます。どちらも根っこはエジプトです。
生命信仰は野太いコブラをイメージしており、ヘビは男性器であるオハセや太陽を連想させます。
このヘビ=生命の信仰はヘビ=水の信仰よりも古いかもしれませんね。
水に対する強い雨乞いは穀物農耕が始まってからとも考えられます。
なぜヘビが生命信仰を表現するのか。
それはヘビの交尾の激しい結合、ヘビの形状がオハセに似ていること、脱皮することが関係していると思われます。
脱皮は大人になる通過儀礼。通過儀礼はイニシエーション、バードネスターともいわれ、一皮むけるという通過儀礼の言葉は今も使われますね。
当時の人はわからなかったと思いますが、精子もヘビに見えます。
そしてインドでは男女のヘビ神をナーガ、ナーギと読んでいます。
そして日本語でもナーガ(naga)の音が入るものはヘビ形状を表しているとされています。
沖縄ではヘビのことをナガやナギ、虹をノギやナギと呼ぶらしい。長い(nagai)、うなぎ(unagi)、あなご(anago)、つなぐ(tunag)、さなぎ(sanag)、ながれ(nagare)、ながめ(nagame)、凪(nagi)、渚(nagisa)。
英語ではnagはしつこいという意味。
長かったり、遠かったり、うねうねしてたりなんとなく共通点がありますね。
日本の祖、天皇家のルーツとも言われるイザナギ(nag)とイザナミの元ネタは蛇神ナーガとナーギですかね。
古事記はざっくりと縄文人・渡来人・倭人などなどの神々(祖霊)を縁起合体させて日本人を造りましたという話なので、ヘビ信仰をしていた豪族も吸収しているよということでしょう。
中国のイザナギとイザナミである伏義と女媧の下半身もヘビで絡み合っていますね。
絡みつくヘビは交尾を表しているので、二匹の蛇や螺旋を描けば未来(子供)を予言していることになります。
同じ原理でしめ縄もそうですね。
しめ縄から出ている紙垂は精液とも雷とも取れます。
雷は水と豊穣と同じ意味なので、これは精液でも雷でもどちらでも未来を表す同じ意味があります。
同じようにヘビ=水の図式もそのまま生命信仰に転用可能ですね。
ヘビは中庸的な存在として多くの民族に受け入れられたのかもしれません。
永遠を表すヘルメスの杖にもヘビが二匹いるので、これも男女のヘビと考えられるでしょう。
左右対称の天使の羽は子宮と卵巣と胞依のホトで、杖はそのまま石棒と男性のオハセ(ちなみにオ=男、ハ=端・尖った、セ=生・精)ですね。羽=女、杖=男、ヘビ=子供ということで、これを大地に突き刺しておけばおめでたい縁起物です。
地母神というやつですね。インドのリンガとヨニや、相撲の神事も同様の意味があるでしょう。
再生に関してはウロボロスがわかりやすいですね。
見たまんま尻尾を食べて永遠に生きるヘビです。
尻尾を食べるヘビすなわち輪(リング)の形状は永遠を表現するときによく使われます。
結婚指輪は永遠の誓い、天使の輪っかは不死の存在を表します。
ハチマキを巻くおじさんは気合を入れるために巻いてますよね。
不老不死の神の力を得るように頭をリングで締め付けます。
髪をそった職人さんがハチマキをする理由がこれです。
ヘビの柄も永遠に連続する幾何学的な文様をしています。
龍の鱗の六鱗紋も永遠に連続するので家紋に使われています。これは出雲に多いですね。
出雲は龍蛇信仰といって龍やヘビを信仰しているところが多いです。
木に縄を巻きつけてつくる荒神の竜蛇様や海の道先案内であるウミヘビを捕まえてミイラにして御神体にしてたりしています。
3,ヘビと縄文信仰
そしてヘビといえば縄文でしょう。
古過ぎて、すべては推論になりますが縄文人はヘビが大好きでした。
それは縄文人の祖先が東南アジア、インドから来たこともあるし、食料としても重要だったでしょう。
彼らは日本の土地でヘビをモチーフにした独自の芸術作品を生み出しました。それは土器ですね。
そもそも縄文という名前の由来は土器の縄目模様ですね。
しめ縄の通り、縄はヘビの交尾を類推させているので縄=ヘビの交尾=子供の図式が成り立ちます。
彼らは土器に特別な思いを込めていたようで、その思考を読み解くにはヘビ=水、ヘビ=子供のような野生の思考をマスターしなくてはいけません。
文字を知った現代人の私たちにとって狩猟採集時代の人間の野生の思考はかなりトンチの効いた純粋な思考で、理解が難しいため結論は絶対に出ません。
わたしは酒造りで麹と酵母を見続けてきたので現代人の中では野生の思考を実践できる目を持っている方ですが、縄文人の思考はぶっ飛びすぎていて全く理解できません。
その中でも感じることは、縄文人もやはりヘビ=生命と再生の図式を持っていたことでしょう。
石棒を多数持っていた縄文人はもちろんオハセ=ヘビの認識がありました。
そして彼らはヘビ=土器土偶=子宮のイメージも持っていたのではないかと私個人は感じます。
現実的にも土器をつくる時は紐状の粘土を巻いてつくるので土器はとぐろを巻いたヘビですね。
そして外側に文様の装飾を施すためには内側の世界を持っていないといけません。
土器の外側を現実世界、内側をあの世と見立てて表現していたのではないかと感じます。
土器の表面にはヘビ状のうねうね、カエル、二重丸や三重丸がよく描かれます。
ヘビ状のウネウネは子供の暗示や血管、カエルは首の座っていない新生児、二重丸や三重丸は乳首や膣からでてくる胎児の頭を表している説もあります。
土偶も女性であることから割りとこの説は強いですね。
土器よりも古い石版にも女性が多く表現されています。三角の頭をした土偶は蛇の頭を表現したのでしょうか。
土器の外側はこの世、内側はあの世。
そう思うと内側から外側に隆起して現れてくる生命の力を装飾として表現しているように見えますね。
酒造りをしているわたしの目線では土器は器である以上、発酵も大きく関わっていたのではないかと感じます。
土器の中で発酵をすればそれは正しく子宮と同じ状態になりますね。
ブクブク湧く酵母は生命の誕生でしょう。
KODANEでも推測しましたが子供が成人する可能性が低かった当時の人にとって生命の誕生は何よりも渇望していたものです。
土器の外側にはそのような子種への熱い願いを感じます。
発酵のほかには火でも同様の類推を生んだかもしれません。
土器に具材を入れて火にかければ発酵と同様にグツグツ煮立って、中に入れたものは変性して食べられるようになります。
これも縄文的には再生でしょう。縄文人は鍋が大好きだったと言われています。
ヘビに包まれたら転生、再生する。そんなイメージがあったのではないでしょうか。
そんなことを思って時代が進んでいくと、ヘビ=生命の出し入れをする存在=神の図式が成り立ちます。
ヘビがこの世とあの世を繋ぐ(tsu-nag)神の使いになるんですね。
そしてヘビといえば毒です。ヘビには人を殺す力があります。
人を殺せる存在は神になれる存在です。
自然界で人間を殺せる主な動物はヘビとクマで、彼らは大抵のところで神扱いされていますね。
こうなってくると、神であるヘビに殺されなかった人間は神に許された存在であるという事も言えるわけです。
ヘビに噛まれない人は神ですよね。ヘビに噛まれる状況なのに絶対にヘビに噛まれない人。
はい、メデューサさんです。
彼女は頭にたくさんをヘビを飼っているのに噛まれないんです。
だったら彼女はヘビと同様に神の使いですよね。しかも女性です。子供が産めます。
メデューサの正体は巫女さんなんです。
私たちは噛まれるかどうかを審査される側なので彼女やヘビが怖いですね。
でも本当はかわいい巫女さんです。神と人の狭間に立つ両義的存在です。
ヘビに噛まれない通過儀礼をクリアし、さらに頭にヘビを飼うことで、わたしは神のためにあなたを生かすことも殺すこともできる現実世界の天秤バランサー役、人喰いカンニバルであると宣言している訳です。
生きたければ従うしかありません。それ以外は死ですから。
でも彼女の本当の姿は生命を新たに生み出す神の使いです。
メデューサは外国のイメージがあるかもしれませんが同じような土器だか土偶が日本にもあります。
土器のその性質は銅鐸や剣、鏡に移行していきした。
鏡は蛇目カガメ、蛇身カガミといって蛇のとぐろを表し、カガミはあの世の世界を写すものとして、祭事に使われました。
縄文人、狩猟採集民のヘビ信仰は時代と混血によって姿を消したり埋もれていきました。そして後々の山岳信仰につながっていったのではないでしょうか。
金精様やミシャグチ、蛇神、山の神、塞の神、荒神を信仰する人たちは、往々にしてヘビを信仰した狩猟採集民の血を色濃く残す人々だったのではないでしょうか。ヘビはその土地独自の形となって、いまもその信仰を伝えているようです。
4.ヘビと縁起
ここまで読んだら古代の人が持っていたヘビ=生命の図式がなんとなく理解できたでしょうか。
ヘビは水や雷、生命を類推させる縁起物であると言えるでしょう。
ヘビに祈り、ヘビにあやかる古代人の祈りが聞こえてくるように感じます。
私たちが猫や犬を愛でるように古代人もヘビになにか特別な感情を抱いていたのかもしれません。
ヘビははじめただの捕食の対象だった。たまに攻撃してくるやつだった。
人類が進化して脳内神経細胞ネットワークが盛んになると、人はヘビの生命力の強さを自身と関連漬けて類推するようになり特別視するようになった。
そこには様々な想像が生まれ、生命や自然現象と関連漬けられて多くの造形作品や神話を生み出した。
農耕や栽培がはじまると雷や水とも関連つけされてヘビ信仰は更に発展していく。
現代に近くなるとヘビ信仰は消え、各地で龍蛇信仰や生命信仰の名残として存在している。
ここでヘビの属性について更に想像を飛躍させてみます。
ヘビ…生命、再生、水、雷、長い、伸びる、にょろにょろ、交尾、結合、神
ここでいくつか画像を見てください。
毛細血管と血流
脳内ニューロンネットワーク
人の流れ パーソントリップ調査
粘菌
木の枝、木の根
インターネット
星座
量子力学
DNA
全てがヘビに見えてきませんか?
世界はヘビで満ちている。とは言いすぎかもしれませんが、大宇宙や人間の脳や体の中にもヘビが存在している。
人の流れやインターネット、木や粘菌が餌を探す道、光や量子もヘビだった。
生物も光子も量子も個が2つ以上存在する限りヘビは出現する。
私たちの脳や心といった内面から、極大の宇宙まで共通のヘビが存在していて、それがイトナミという共同体を造っているから感情や感動を共有できる。
たぶん古代人はこれも見えていたんでしょう。
見えるというのは可視ではなくて、感知できるということですよ。
ヘビが生命や水であると同時に、人や物の間のネットワークにもヘビ状の繋がりが存在している。
超音波で世界を感知するコウモリやイルカ、円偏光が見えるモンハナシャコのように、狩猟採集時代の人間にはヘビの道が感知できたかもしれません。
人種によるの容姿の違いのように人間も常に進化と退化を繰り返していますから、農耕をきっかけに失ったものも多いでしょう。
ヘビを信仰することは自分と万物に繋がりをつくる道が存在することを信じること。
ヘビは繋がりや縁を支配する存在なのではないだろうか。
わたしはそう感じます。
わたしとあなたを繋ぐものはヘビ。
わたしとあなたを包むものはヘビ。
わたしとあなたをあの世へ連れて行くものはヘビ。
わたしとあなたを新たな存在へと現実に再生させるものはヘビ。
わたしとあなたは父とは母だし、わたしと配偶者です。
人はこれと同じ過程を辿って生まれてきていますよね。
ヘビはこの世の全てに満ちていて全てを包んいる。
ヘビは自分の中の極小にも宇宙の極大の世界にも存在している。
もちろん現実のヘビはそんなことしてません。
このコラムでのヘビは虹のように万物に伸びて透過する目的までの道標です。
岩座や出雲の巨木に巻かれた縄の龍蛇の荒神を見て、わたしは天と地つなげて生命のイトナミであるヘビと水の子種を拡散させようとした古代人の願いを想像します。
SAGA2で書いたラベルの絵にはそんな意味が込められています。
そして前回のイトナミコラムで考えた縁。
縁を司る存在はヘビかもしれない。
ヘビの道は贈与によって出現し、繋がれたものはヘビのトグロに包まれてあの世に送られて、再生して新たな存在として出現する。
現代を生きる私たちも、万物に隠れているヘビを見つければ、新たなものづくり、イノベーションを起こせるかもしれない。
四次元、龍脈や風水もきっとそんなことなのでしょう。
縁や愛のコラムで紹介したような無限に魅入られた天才たちもおそらく見えたはずです。
それこそ自分と天が虹の蛇でつながっているような感覚を何処かで体感したのではないかとわたしは思います。
そんなドリームタイムや星の時間と言われる瞬間に、ヘビは私たちに革新を与えてくれるのでしょう。
見えるものしか見れない奴隷や家畜でいたくない。
酒が植物の麻薬であっても、なんとか抗って違う価値観の酒を造ってみたい。
わたしは酒造りの杜氏という自分の世界のヘビを探究して、職人の血であるサーガや人類のイトナミを発見しました。
そのことが大きく酒造りに生かされています。
夢や目標まで伸びるヘビ、先祖と子孫まで伸びるサーガのヘビ、わたしはそのヘビを想像して形にすることが出たらそれはワクワクするし、五感から総合的に入力される物事にヘビを感じたら嬉しくなります。
そういうものや人を見て生きていきたい。
現代には見えなくていい物事が多すぎてなかなかヘビは現れてくれませんから、ヘビをトーテムにして酒やグッズをつくる活動もしていきたいですね。
友人のアイデアで頭にヘビを飼うメドゥーサになれる手ぬぐいをとりあえず造ってみます。
色々な物事にnagの思想を潜ませてみたいですね。
プロジェクト名は「nag」です。よろしくお願いします。
2022.11 小島達也
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