いわゆるひとつのメークドラマ3 縁起の儀礼
いわゆるひとつのメークドラマ3 儀礼と贈与
前回のいわゆるひとつのメークドラマ2では縁という言葉について考えました。
今回は意図的に縁を起こす具体的手段。縁起の儀礼について考えたいと思います。
現代人の私たちからすると、縁を意図的に起こすなんて可能なのか?と思ってしまいます。
起きるからわからない、感知できないから縁なんだと。
たしかに縁を100%起こす方法などありません。
しかし先人たちは、縁が起きる可能性を飛躍的に上げる方法を知っていました。
しかもその確率は限りなく100%に近づけることができると考えていました。
先人たちは、縁が起きるであろうと信じて、行っていたことがありました。
それは儀礼です。
儀礼
儀礼wiki
儀礼というと重苦しい儀式を想像してしまうかもしれません。
しかし儀礼は簡単なことから壮大なものまで幅広く存在するものです。
おまじないや心の中の小さな暗示、仏教や神事、教会の儀式も全て儀礼です。
日常の挨拶や、ご飯のときに手を合わせるのも儀礼ですね。
良い結果を期待でして行われる動きが儀礼です。
儀礼のはじまりはとても古く、ヒト科がまだ複数存在していた洞窟時代から始まっていると言われています。
ネアンデルタール人も儀礼をしていたらしいので、ホモサピエンス以前のヒト科から儀礼は始まっていると思われます。
人間と動物の違いは儀礼をするかしないかである。
そう言えるくらいに、儀礼は特徴的な人間の行動のようですね。
縁のニューロン、結びのシナプス
儀礼は、脳内のニューロンネットワークによる想像や比喩の力がもたらした未来予測(縁起予測)に従って、行動するものです。
頭の中に生まれた「こうなるといいなあ…」をもとに行動したものが儀礼ですね。
「こうなるといいなあ」という想像は、頭の中で縁を起こしていることと同じことです。
いま目の前にあるものを見て、それらを頭の中で縁起させる。
縁起させるとは、組み合わせるということです。
その縁起の結果を予測して、良い結果であれば儀礼に移して、理想の結果に近づけるように行動する。
悪い結果であればやめておく。
これが縁起の儀礼です。
1,目の前にA(私).B.C.D.E…という言葉が存在している。
2,頭の中でこれらの言葉を縁起させる。
3,それらの中で良い結果を予測する(五感と経験を使用)。
4,良い結果が予測できると儀礼をする。
これが脳内で行われている縁起の基本的な流れです。
1,目の前に酒とグラスがある。
2,脳内で「自分」と「酒」と「グラス」を縁起させる。
3,グラスに酒を入れて飲んだら美味だと予測する。
4,飲むという儀礼を行う。
1,目の前にお肉、玉ねぎ、人参、じゃがいも、調味料がある。
2,頭の中でこれらを縁起させる。
3,美味しいカレーがつくれると予測する。
4,料理という儀礼を行う。
1,友達に今吉くんと帯刀くんと奥井くんと吉田くんがいる。
2,頭の中でこれらの人たちを縁起させる。
3,みんな仲良くなるといいなと予測する。
4,飲み会という儀礼を行う。
私たちは目で見たもの、頭の中で想像したものを、脳内で縁起させています。
その予測の結果を基に、実現させるための儀礼を行います。
縁起=脳内予測 ⇒ 儀礼=予測を基にした行動
この繰返しにより、新しい言葉がどんどんと増えていきました。
そして、その新しい言葉と、他の言葉を縁起させて、また新しい言葉をつくっていく。
これの繰り返しが人間の歴史ですね。
脳内の縁起と儀礼によって、言葉も道具も、経験も時間も生まれていることがわかります。
縁起の発生はまず入力から。
人間は、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚の五感から情報を入力します。
その五感から入力された複数の情報を、脳内のニューロン(神経細胞)ネットワークが自由に行き来して、情報処理を行い、その情報のなかから最良の組み合わせを予測します。
その時、脳内ではニューロンとニューロンがシナプス(結び・繋がり)を発生させ、その結果として、言葉や行動が生まれています。
ニューロンは脳内の全てに満ちている縁と同じ仕組みを持っており、ニューロンとニューロンが結ばれるシナプスは縁起であることがわかります。
緑がニューロン。ニューロンは手(軸索)を伸ばし、他のニューロンとシナプスを発生させて情報を共有する。
このように、脳科学が発達して、実際にニューロンとシナプスが発見されるはるか昔から、人間は脳内で起こっている縁起の仕組みを理解していました。
その仕組みは古くは縁や縁起と呼ばれ、人間が狩猟採集民、未開拓民と分類されている頃から巧みに利用していたことが、民俗・人類学が進んだ現代になってわかるようになりました。
レヴィストロースはこのニューロンとシナプスによる脳内縁起をブリコラージュと呼び、またジャック・ラカンはボロメオの輪と呼んでいました。
縁起儀礼の巨大化
脳内の縁起システムは、現代の脳科学によって解明されました(1990年代)。
私たちの脳内のニューロンとシナプスの縁起によって、言葉や行動が生まれていることがわかり、その連続によって歴史は作られ、膨大な言葉や行動が蓄積していったことがわかりました。
ネアンデルタールやホモ・サピエンスの時代からヒトの脳内縁起システムが活性化し、その力がとりわけ強かったホモ・サピエンスがヒト科唯一の存在となりました。
個の脳内で起こった縁起は、さらに縁の範囲を広げ、縁の世界を個の脳内から複数人、群れ、村、国単位として拡散させていきました。
文明ともなると、縁起とその儀礼は大規模化していきます。
縁の範囲は、その文明に生きる人間、土地、動植物、宇宙、目に見えるものすべてに及ぶようになります。
そしていつからか、それらを縁起させて生まれた、神や精霊、魂というものも存在するようになります。
神や精霊はいろいろな言葉を縁起させて創造したものですから、その属性はありとあらゆるものを取り込んだ存在となります。
神や精霊は、人間であり、動物であり、植物であり、土地であり、宇宙であり、全てが合わさった存在です。
神や精霊は、脳内縁起の終着点に存在し、全てを司る存在です。
そのため神や精霊は、そこに生きる全てにとって、共通の存在となりますね。
だから神や精霊を共有している者は、同じ群れの仲間になるのです。
概念を共有すると群れになるホモ・サピエンスの習性は、ここから来ているのではないかと思います。
自分の見ている風景に縁を広げ、世界と繋がり、その景色を表現する。
それはとても美しいことですね。
自然、宇宙あらゆるものと縁でつながった世界を言葉で表現する宮沢賢治
神や精霊が出現すると、縁起と儀礼は巨大化します。
それは縁を起こす対象が、神や精霊になるからです。
人が増えることで食糧が多く必要になりますね。
その食料を司る、神や精霊といった自然の代弁者に対して縁を起こして、良い結果を得ようと画策するのです。
そうして人間の中で神という存在が巨大化していき、縁起と儀礼は宗教的な要素も持つものとなりました。
私たちが儀礼と聞いて想像するような、抽象的で畏敬の念をもたせるスタイルになっていきます。
部族の祭り、教会、神社の祭り、こうなってくると他所の群れの人間には意味不明だし、理解できればそれはもう縁起の輪の中にいるその世界の人間です。
私たちは色々な縁起の輪から外れないように必死になっています。
縁起は脳内から始まり言葉が生まれ、やがて小さな儀式となり、時代とともに巨大な儀式や祭りとなった。
現代では縁起の儀礼はエンタメにも昇華され、様々な催事となっています。
ロックバンドやアイドルのコンサート、映画やドラマ、ワイドショー、YouTuberの動画まで、縁を共有するための儀礼のように見えてきますね。
日本酒の儀礼
日本酒において、醸造すること、お祭りをして酒を神に供えること、御神酒を共有して群れになること。
これらも全て縁起の儀礼ですね。
人間と自然(神・米・水)を縁起させて酒を生む。
酒によって、人と人とを縁起させて、未来をつくる。
日本酒は縁を語らずに説明することはできない。
それはまた後ほどまとめてみます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?