いわゆるひとつのメークドラマ5 日本の酒の縁起儀礼 どぶろく編
日本の酒の縁起儀礼
今回は日本酒における縁起の儀礼について考えたいと思います。
イトナミコラム1の日本酒ってなあにと重複するところもありますが、アップデート版として御覧ください。
イトナミコラム1では、日本酒には酒税法で定められる日本酒と、日本民族固有の酒としての日本酒の2つの顔があると説明しました。
縁起を知ったいまこれを見ると、「わかるんだけどなんだか物足りない…」という感じです。
2年ほどしか経っていないけれど、以前よりも日本酒に対する理解が深まったということなので、それはよかったです。
考えは常にアップデートされるべきですね。
狩猟採取時代
北京原人が火を使い出し、脳と腸が発達し、やがてネアンデルタールとホモ・サピエンスが誕生します。
どちらも脳内に高度な神経伝達組織(ニューロン)を持ち、とりわけホモ・サピエンスはその能力に長けていたらしい。
その力は脳内に比喩と創造の力をもたらし、脳内縁起によって、様々な言葉と道具を生み出しました。
ホモ・サピエンスは地球上を移動しながら各地で定住します。
彼らは自分と自然を同一化し、生と死を見て、狩り狩られ、土に帰るといった対象性をもった、野生の掟に従って生きていました。
一方的な収奪、獲物の乱獲といった非対称な行動は、遠くない絶滅を意味することを経験から十分に理解していました。
ここで「もらったら返さなければならない」という対象性または返報性といった習性を獲得します。
とりわけ、アジアと環太平洋地帯のモンゴロイドはその傾向が強いようです。
この習性は、現代人の私たちにも色濃く残っていますね。
各地で狩猟採集のイトナミをしていたホモ・サピエンスは、自身と自然環境を縁起させていきました。
それぞれの土地の環境と生物を自分と同一化し、さまざまな神や精霊を脳内に創り出し、それを儀礼として行動に移しました。
自然界の代表的存在は熊のようですね。ネアンデルタールも熊の頭蓋骨を儀礼に使っていたそうです。
そのほかにも鳥や魚から、風や太陽まで様々なものを取り込んで関係性をつくりました。
現代でもくまの○ーさん、ミッ○ーマウスなんかは動物に人間と同じような身振り手振りをさせて、関係性をつくっています。
擬人化やキャラ作りはこのあたりがルーツでしょうか。
時代が進むに連れて、縁起で生み出される存在は、多くの言葉を融合させた複雑なものとなります。
それが神ですね。神はすべての言葉の頂点ですから、すべての言葉を含んでいます。
神はその土地の人間であり、熊であり、自然であり、全てである。
だからその神の姿は、その土地によって様々で、バラエティに飛んでいます。
神に対して行う縁起の儀礼が、複雑かつ、外からは理解不能なものとなるのは必然でしょう。
だからこそ、その神を共有した者同士は強固な縁で繋がることができます。
私たちは縁起の最終形態に近い存在、神を共有すると群れになるのです。
近代の巨大な神はキリスト、仏、アッラーなど、これらを共有した者たちの強固なつながりが理解できますよね。
お金という神は更に強力ですし、現代ではフォロワー数も強力な神になっています。
ハラリさんはホモデウスで、これからの神はGAFAだといっていました。
現代においても、全てに共通する神が巨大な人間の群れを作ることは変わっていません。
神の共有によって各地でホモ・サピエンスの群れの数が増えていきます。
この頃のお酒はミードと猿酒(果実酒)ですね。この頃の話はイトナミミードへ。
そうなると次は穀物栽培の時代です。
農耕時代
1万3千年前になるとレヴァント地方(いまのイスラエルあたり)で麦の穀物栽培が始まり、1万年前には中国とインドのあたりで米の栽培が始まります。
当時の権力者は未開拓民、狩猟採集民、奴隷を狩って、農耕をさせたようですね。
そうやって狩猟採集と農耕が同時並行で行われ、食料解決していったそうです。
また、穀物の配給(パンとビール)によって奴隷が管理されたり、穀物で税の取り立てが行われたそうです。
穀物栽培は国家運営と非常に相性が良かったんですね。
農耕は国家という仕組みとともに拡大していったようです。
日本に稲が入ってきたのは遅くとも6000年前くらいで、この頃は焼き畑による陸稲(オカボ)です。
イモ類、豆類、穀類など様々な焼畑作物ののなかの1つに過ぎなかったようです。
4~3000年くらい前になって稲の水耕栽培、通称、田んぼ栽培が伝わり、2600年前くらいにはかなり大規模な稲作国家(出雲が最初?)ができていたとされています。
この頃になると、日本列島にすでにいた複数ルートの縄文人とよばれる狩猟採集民、中国朝鮮ルートの大陸民、漁業と稲作の倭人、レヴァントあたりから来た人の血が混ざり、狩猟採集と農耕のハイブリット型になり、日本という国の基盤ができてきます。
ヨーロッパ、中国がが1万~5000年前から農耕を始めたのに比べると、日本は2600年前ですから相当に遅く農耕にシフトしたことがわかりますね。
この頃には、大陸からの人の流入、それにともなって文化や技術が大量に入ってきました。
日本酒における麹や酒母、稲作に必要な鉄、織物などが伝わり、日本は一気にムラ化していったと思われます。
同時に様々な神や信仰、儀礼も入ってきたのでしょうね。
その名残は現代でも多く残っていますね。各地の伝統的なお祭りや風習がそれを伝えています。
縄文人、渡来人、漁人、稲作、酒造り、神、これらと日本列島の土地が複雑に絡み合って縁を起こし、様々な儀礼が生まれていきました。
縄文系豪族と渡来人系の戦い、出雲王国、徐福神話、神武天皇、各地での民族間の戦い、大和朝廷、それらの出来事が都合よく記紀でまとめられ、いまの歴史感ができていますね。
日本の酒の縁起儀礼 黎明編 口噛みのどぶろく
農耕時代の初期の酒は、収集や焼畑で集めた様々な穀物が混ざったどぶろくだったでしょう。
湿地帯によく生えているワイルドライスやヒエなどですね。ソバやムギなんかも使ったかもしれません。
私は、ホモ・サピエンスは「最も大事な存在のために酒を造る」という習性を持っていると思っています。
資本社会の現代では金のために酒を造り、農耕時代には穀物(豊穣の神)のために酒をつくりました。
メガテンではなぜか破壊神だが本当は豊穣の神でとても偉大なディオニュソス神
そして狩猟採集時代。人間界で最も大事な存在は女性でした。
これは子どもが何よりも大事だったからです。
当時の子どもの出生率が低く、生存確率も一説には40%。
また狩猟採集民は移動の可能性を考慮に入れなくてはいけないため、赤ん坊を複数抱えて行動することを避けていたとも言われます。
そのため3~4年に1度程度の出産だったという話も。
群れの中で子供の産める女性が重要視されていたことは想像しやすいでしょう。
(現代でこのようなことを言うと極端に捉える人が居ます。これは過去はそうであったという話です。特別な意図はありません)
人間界でいちばん大切な存在は子供の産める女性だった。
そのため、狩猟採取民族にとって最高の贈与は、女性を贈ることだったと考えられます。
多民族への女性の贈与は血の浄化に繋がり、民族の生存と非常に密接に関係していました。
女性の贈与は、民族から民族へだけではなく、人間界から自然界へも行われました。
女性を神に贈与する目的は作物、農耕の成功を願ってのことです。
自然界への女性の贈与。最初はおそらく生贄にすることもあったでしょう。
しかし酒の登場から生贄は減っていくことになります。
野生の思考で見る女性の聖性は、命を新たに誕生させることのできる点にあります。
先人たちはこの点だけを抽出し、女性の命を生み出す力を、酒造りへと転換します。
女性が自然からの贈与である穀物を噛み、命を与える。
命は発酵という形で表現され、酒を神に捧げることで、神に女性の命が贈与されます。
女性を酒に転換することで、女性の貴重な命を残すことができるようになりました。
また、その酒は現実的に、とてつもない滋養強壮作用を発揮します。
糖とアルコールの力ですね。
男が酒を飲めば、女性の創り出した命と、神の力を同時に吸収することができます。
肉体的にも精神的にも満たされた男は、何かに呼ばれるように、女性のもとへ向かい、種を残します。
普段と様子の違う男は、その時、神や自然の化身なのかもしれませんね。
女性の酒造りと月も大きく関係しているでしょう。
ここでは穀物、女、神、男が縁起され、子供と穀物が生まれています。
これが穀物の酒の原型であり、穀物、人間、神の三者による贈与の儀礼です。
女性が酒をつくること、酒を神に贈与すること、酒(神)が男に種を贈与すること、豊作をもたらすこと。
酒造りと酒が縁を起こすための贈与の儀礼であることがわかりますね。
これらのことは証拠や確証が得られるものではなく、研究されているようなことではありません。
女性と子どもを取り仕切る家長の女性(おばば)が杜氏の語源である刀自(とじ)と呼ばれている。
巫女(子供の産める女性)による口噛みが神事として残っている。
神に近しいその巫女やシャーマンが、酒造りと占いをつかって、人民をコントロールしていた。
ヒエがその粒の多さから女性の穀物とされ、ヒエの酒がアジア各地で残っている。
これらのイメージは魔女やシャーマンと一致しますね。
老婆が何かをかき混ぜているというイメージは酒造りと大きく関係しているでしょう。
良い材料が揃っているので、ちゃんとした民族人類学者さんに研究していただきたいところですね。
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