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【イトナミコラム4】いわゆるひとつのメークドラマ

いわゆるひとつのメークドラマ


人はなぜ酒を造り、酒を飲むのかを探究するイトナミコラム。

コラム第1回「日本酒ってなあに?」ではそのタイトル通り、日本酒とはなんだろうを解決するために日本酒の定義を考えました。日本酒には酒税法で定義される酒類と言う面と、日本民族固有の酒という面があるよという話。

コラム第2回「営みの形って知ってる?」では、日本酒は、先人たちが日本に生まれてくる人たちに対して送るアナロジー的なメッセージだという話。

コラム第3回の「それでも日本酒にイエスという」では日本酒からアルコールを抜いたときには愛が残るよという話でした。

そして今回の第4回「いわゆるひとつのメークドラマ」では、アルコール(酒)とは何かを考えてみます。

はじめに

ミスタープロ野球、巨人軍の長嶋茂雄は言いました。


「メークドラマの始まりです」

こう発言した1996年に巨人は逆転優勝。その後、この言葉はメークミラクル、メークレジェンドと進化していきました。

長嶋茂雄は物語も奇跡も伝説もつくることができると信じていました。

彼はこうも言っています。

「松井がホームランを40本打てばメークドラマが実現します」

長嶋茂雄は闇雲なリップサービスでメークドラマと言っているのではなく、彼なりに計算をした上で現実に奇跡を起こす方法を割り出し、実践しようとしていたように思われます。

彼の言動と行動を思い返してみてください。



「ヒュッと来たら、バッ、サッ、ズバっ、カーン!」

長嶋茂雄は物事を簡潔に的確に捉えて、そのまま身体で表現することのできる天才です。彼の行動や言動を見ていると強いアナロジー的な思考を持っていることが伺えます。(アナロジーについてはイトナミコラム2へ)。

長嶋茂雄は具体的な数字もしっかりと計算しつつもアナロジー思考法を優先して判断すること、マスコミを使いメークドラマをスローガンに群れをつくり、その力で優勝を達成することができると判断したのです。

自然科学的根拠に基づきながらも、アナロジー思考による直感で判断をして行動すると良い結果が生まれる可能性が高い。

長嶋茂雄は選手時代と監督時代のずば抜けた成績とその発言から、奇跡を起こす方法を知っていたと見受けられます。

私たちは意図せぬ良い結果を奇跡と呼び、その予期せぬご褒美を神様のおかげ、ご先祖さまのおかげ、日頃の行いの賜(たまもの)だとしてあがめてきました。


もしも奇跡を意図的に起こす法則、すなわちメークドラマの法則があったとしたらどうでしょう。

メークドラマの方法を知り、意図的に奇跡を導くことができる人物がいたとしたら、その人は自然を予見する神の使いや預言者、占い師となって多くの人を明るい未来へと導く、太陽のような存在となっていたのかもしれない。


メークドラマの執行者は、人間界とそれに対する別の世界である自然界を結ぶ架け橋のような存在として、人間と自然の距離を図り、適切な境を決め、この世界の営みを保っていたのではないか。

先人たちは、このような奇跡を起こすメークドラマの技法を形式化して儀礼としたり、その儀礼を執り行う人を巫女(みこ・シャーマン・魔女)と呼び、人間の営みの中に取り入れた。

その名残りが現代にも残っており、各地で文化や風習となって現代人の私たちの原風景、アイデンティティの一部となっているのではないだろうか。


わたしは、意図的に奇跡を起こして人々の生活を導くメークドラマの重要なものの一つが酒造りだったのではないかと考えています。

メークドラマの代表的な儀礼のひとつが酒造りであり、酒を造る人物は奇跡によって人を導く巫女となった。酒は人間界と自然界という目に見えない概念を結ぶことで形となる奇跡の象徴だった。

人々はその奇跡の象徴である酒を、神が具現化した御神体として崇め、自分たちの群れを統率するための共通の指針であり、神と土地を体感するためのツールとした。ヒトという群れは村として団結し、未来である子供と米を創造しながらいままで生存してきたのではないだろうか。



先人たちは、私たち人間の営みを永遠のものとするためのメークドラマの儀礼をこう呼びました。


縁起(えんぎ)




今回のイトナミコラム4「いわゆるひとつのメークドラマ」では、奇跡を起こすメークドラマの儀礼である縁起。

その縁起の具体的方法であるムスビ、贈与、エロスについて。

そして、その縁起を利用した酒造りとは何かを考えてみます。



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