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パイナップルが乗ったピザが好きなやつは金持ち

ピザが好きで、よく食べるんです。
近くのショッピングモールに入ってるピザハットも好きだし、ピザーラもいい。ドミノピザなんて、店舗に買いに行ったら目の前で作る様子を見ながらピザの出来上がりが待てるエンターテインメントな空間でかなりいいね。子供たちに混じって、ニコニコしながらガラスに張り付いて見てた。
もちろん、お店で食べる窯で焼いたちゃんとしたピザもすき。
イタリアで食べた、ローマのピザもナポリのピザ、昼間っからカフェテラスみたいなところでぽかぽかの陽光浴びながら、ワイン傾けて、ナイフとフォークで食べるピザなんて最高だった。

話はピザハットだとかピザーラだとかドミノピザ、つまりいわゆる宅配ピザの話に戻るんだけど、パイナップル乗ってるピザってあるよね。
美味しいんだと思う。だって昔から、恐竜が闊歩しているくらい大昔から、メニューにあるもん。
でも俺は食べたことない。
食べるチャンスがない。

小さい頃、俺の家は宅配ピザなんて頼める程裕福ではなかったと思う。だから、新聞の折り込みに挟まってた宅配ピザのチラシを見て、美味しそうやなー、食べて見たいなー、でも高いなー、このSサイズ500円のプレーンピザなら頼んでもいいやろー、え、これ、チーズしか乗ってないんか…、ならいい…、みたいな感じで憧れに近い感情を抱いてた。
そんなキラキラ輝いてたピザのチラシのメニューの中に、異質な雰囲気を放つトロピカルピザという存在…。
パイナップルが乗ったピザ…。
かっこいい…。どんな味がするのか到底想像出来ない…。
憧れのピザの中でも、特に憧れる存在になってしまった。少年の僕の目にはそれはすごくキラキラしたものに見えたんだ。

そんなある日。ピザを頼むことになった。
俺がいつもピザのチラシをずっと眺めていたので、親が不憫に思ったのかもしれない。
俺はもちろん「このパイナップル乗ったやつがいい!」と期待に胸を膨らませて言った。
「えー、まずそう。」
姉と兄が声を揃えて言ったその一言で、そのままソーセージだとかサラミが乗ったような普通のピザがあっけなく注文され、俺のトロピカルピザの夢はいとも簡単に消し飛び、小さかった俺は泣いた。
滅多にピザを頼むことの出来ない家庭の子供が、トロピカルピザのようなイレギュラーなピザを食べることなど到底無理なことなのだ。

人間は安定を求める。ここぞという時に失敗をしたくないんだろう。食べたことのある、想像しやすい味、そして想像どおりの美味しい味。
選択を出来るのは余裕がある者のみだ。
涙の跡を頬に残しつつ食べたソーセージやサラミの乗った普通のピザはもちろん想像どおり美味しかったが、我が家にそれ以降もトロピカルピザが宅配されることはなかった。

時は流れ、大人になった俺はいつでもピザを注文出来るようになった。
子供たちもピザが好きで、よく頼む。
それでも俺はトロピカルピザを注文したことは、今のところない。
何故か頼もうとしたこともない。食べてはみたい、30年くらい憧れている食べ物だ。
それでもきっと自らの意思で注文することはないだろうと思う。

いつか、時が経って、もう少し大きくなった子供たちが自らの意思で「このパイナップル乗ったやつがいい!」と言った時にようやく、俺はこのトロピカルピザの呪いが解けるのだと思う。
「いいね、このトロピカルピザ頼もうね。」
そう言って、届いた熱々のパイナップルとチーズが溶けたピザを子供たちと食べたい。
選択させて、その選択が正しかったよっていうように、美味しいね、美味しいねって食べたいんだ。泣きながらピザを食べてはいけないんだ。

「好きなピザはなんですか?」

そう聞かれて、トロピカルピザと言える人間は、その選択を幼少期にさせてもらえた人間なんだ。そして、きっとそれを正しいと、肯定出来た人間。
金持ちだから、とかそうではなくて、俺はその選んだ選択を肯定出来る人間に子供たちを育てたい。

そうしたら、ようやく少年の俺が泣きながらピザを食べなくても済む気がする。

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