「民俗学から見る日常系と個人主義の関係及び予定調和と様式美の境界線まだまだ曖昧味」
2018年7月31日(火)公開 54分
お互いの呼び方も定まらず、公開の仕方も考え中のなか、でもしゃべりたいことがあるというまさに「初期衝動」が前面に押し出された回。
ツイキャスのみの配信が、ポッドキャスト版の前に56秒、後に6分15秒。ポッドキャスト版の最後は急にフェイドアウトで終わります。本放送の前後にツイキャスのみの配信部分があるのは、よう先輩が「いっちー」と発言したためと思われます。ツイキャスのみの文字起こしは一字一句そのままです。ツイキャスの配信は7月28日(土)。
ツイキャスのみで配信された冒頭
(ポッドキャストはここから)
会話部分は好きなところだけ抜いていますので、かなり省略しています。全体の構成も、わたしの理解力の問題で大事なところが抜けている可能性があります。お許しください。
★なんで「けいおん!」がそんなに好きなんだ?「日常系」は「ハレとケ」の「ケ」の部分である。
★日常系は日常を描いているけれど、その日常はファンタジー性が強くて自分とは違う。リアルな日常はつらい。
★唐突に民俗学の本の紹介。著者は妖怪を通して庶民の感情の歴史を研究している。普通に生きていた人の価値観は妖怪から見えてくる。
★災害などで倒壊した家屋から家族アルバムを拾う。アルバムには普通の日の生活の記憶が入っているから。昔、写真は「ハレ」を撮るものだったが、次第に「日々のケ」を撮ることも多くなってきた。それは個人主義と関係があるような気がする、とよう先輩は言う。だから現代はキャラの日常も際立つ。
★映画における日常の描き方から、ちょっと脱線して「好きすぎて『この世界の片隅に』がリピートできない」よう先輩と、「感動するってわかっているから『シン・ゴジラ』を前半でやめて、あとは環境を整えて見ようと思った」ヤンデル先生のエピソードトーク。
★ストーリーを作りこむハリウッド映画。ストーリーがなくても成立させてやろうという映画はチャレンジング。日常系にストーリーはなくていい。
★SF映画なのに予告編を日常系に寄せてギャグっぽくするのが許せない。ゆるキャン△はギャグもあるけど、主人公とヒロインの心の距離が縮まるところも描いている。
★「バケモノの子」で、序盤主人公が「白鯨」を読み、ラストにクジラが出てくることに「伏線が狭すぎる」と感じたヤンデル先生。設定が後で響いてくるのが見えすぎる予定調和はムカつくが様式美はアリ。その境界線、その差について。
★早くもヤンデル先生の「慇懃無礼」ネタが出る、二人のスパーリングにも似たやりとり保存版。
ツイキャスのみで放送された続き
このころって、ヤンデル先生はまだ一応(盛大にほころびてる感はあるが)匿名アカウントで、匿名で通したいと思っていたのですね。ここから破竹の勢いで「カタチ」やら出版やらがあったのだなあ