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歩くということ 2021.4.6 清水~興津


清水稚児橋を出たのは14時近かった。余裕かましてのんびり歩きすぎたなと、少し焦る気持ちが足を前に前に進める。しばらく歩くと、一本松がたつ一里塚が現れ、「ほそいの松原・無縁さんの碑」があった。このあたりには、ぽつん・ぽつん、と一本松が寂しそうに一本だけそびえているところが何か所かある。このあたり一帯は、秀忠公が旅人のために街道の両側全長360メートルに松の木を植えてくれたという。庶民思いのなんていい将軍なんだ!  明治時代まで残されたその松林は、太平洋戦争で、松根油として燃料に使うためにすべて伐採されてしまった。伐採した際に多量の人骨がでてきたため、東海道で倒れた旅人を埋葬したものと考えられ、町の人が寺に納めたことからこの地に「無縁さんの碑」として佇んでいる。ということは、当時、江戸を目指す旅というのは命懸けだったということだ。命を懸けてでも伝えなければならないことを託される、もしくは、命を懸けてでも江戸を目指さなければ成せないことがあったはず。どんな理由があるにせよ、先人たちは命懸けで同じこの道を歩いたんだと思うと、東京まで歩くことを軽く考えていた自分がとてつもなく恥ずかしい。

清水の隣町、興津宿まであと3km。車の往来が激しい国道一号線を歩くのは結構きつい。座れるところもなくて続けて1時間歩くのがもう精いっぱい。あ~リュックがおんもい!座りたい!そこに、ぽつんと現れた一本松。あ~一本松よ、ありがとう。ほんとにありがとうそこにいてくれて。一本松にもたれかかれることがなんて気持ちいいことか。松のざらついた肌を何度もなでながら、いつまでもそこに座っていたい気持ちを振り切って、よっこらしょ!

興津までの街道沿いには、歴史的な史跡が点在する。そのひとつが奈良時代に創建された清見寺。歩くペースで見てみると歴史の重さをずっしり感じ、立ち寄りたいと思うも、何十段もあろうかいう階段を目の前に、一瞬にしてその気持ちも吹っ飛んだ。

さらに歩き、ふと左に見えたのが、「女体の森 宗像(むなかた)神社」。えっ女体の森!神社?良からぬ邪心が頭をよぎっちゃうのが、ほんとバカだねぇ~。無知はほんと罪深い。それにしてもこんな名前ってある?って、こっからはネットで調べた話。宗像三女神(むなかたさんじょしん)は、宗像大社を総本宮として祀られている女神の総称。三女神のうち、田心姫神(タキリビメ)を沖津姫神とも呼び、その名の「おきつ」をとってここ興津の地名としたとされている。境内には立派なクロマツがそびえたち、漁民たちが、漁から帰還する際の目印になっていたとされ、漁民にとっての守り神として祀られていると。庶民の生活を守るためにこの神社も千年以上に亘ってこの土地にあると思うとなんとも感慨深い。

興津宿から由比宿までたったのあと5km。ここからの5kmがあれほど遠いとはこの時まだ気付いていなかった。。。

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