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歩くということ

昨年の今日、静岡から東京日本橋まで歩くぞ~と意気込みながら、本当に歩けるかなぁ~なんてだいぶ不安もありながら、あれやこれやと荷作り準備に一生懸命だった。


“歩く” ということがどんなことなのかちゃんと考えたこともなかった。毎朝、目覚めれば、どんなに寝ぼけていても自然に足が床についてふらふらと歩き始めることができる。朝ご飯を食べて、行ってきます!といって5メートル歩いて車に乗る。会社の駐車場について、車を降りて、30メートル歩いて、会社につく。そして同じように帰宅する。日常の生活、出張、旅行でも、歩けることがあたりまえの生活を51年続けてくることができても、“歩く” ということについて意識して、感謝の気持ちを持ったことはあるだろうか?


自分は、静岡の履物メーカーの家の次男としておじいちゃんや父の背中を見て育ってきたから、子供のころか履物に愛着があって大好きだ。それなのに、肝心な“歩く”ことについて関心はあっても、本気で歩いたことがないことが自分への違和感となってきていると、年を追うごとに感じるようになった。だから静岡から東京まで、歩いてみようと思った。


静岡から東京まで、のんびり歩いた旅は、恥ずかしながら実は本当に苦しかった。何が苦しかったって、全身が、脚が、足も、つま先もめちゃくちゃ痛くって(笑)。“歩く”ことを完全に甘く考えていた。旅日記を書こうなんて決めてノートまで持って出発したけれど、一日目でそれどころじゃなくなって、二日目にはノートやら余計な食糧やらぜんぶ家に送り返した(笑)ただただ、歩くことだけに向き合わないと、とてもじゃないけど東京まで歩ききれないと思った。でも、苦しかっただけじゃない。最終日の朝、これまでに感じたことのない無上の喜びが全身に満ち溢れた。それはそれは幸せな瞬間でした。


一年経った今、旅路を思い返して、あの痛みから解放されてもう一度のんびり巡りたい。せっかく思い巡らすのなら、旅路で書こうと思って書けなかった旅日記を記してみようと思いました。拙い旅日記になること間違いなしですが、明日からちょっとずつアップしますので、お時間あれば覗いてみてくださいね~。東海道を歩いているような気持ちに少しだけでもなっていただけたら嬉しいです!

2022年4月5日

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