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歩くということ 2021.4.10三島宿~箱根宿 前編

さあ、今日は箱根越えだ!と気持ちだけ意気込む朝。実は、箱根を越えられる自信はまったくなかった。朝8時にホテルを出発し、歩きはじめの最初から両足の指全体が針をさすようにちくちく痛い。足首、足裏、足指までテーピングをグルグル巻きにして挑んだ箱根越えは、芦ノ湖まで自分の足よ、もってくれ!と祈るような気持ちで一歩一歩、歩きはじめた。三島駅周辺からずっと緩い上り坂が続き、一時間ほど歩くと大きな富士山と駿河湾が現れ、かすかに伊豆半島が見えた。この美しい景色を見渡すとほんとうに日本人でよかった、静岡という土地に生まれてよかったと、つくづく思った。

車の往来が激しい国道一号線を歩き、しばらくすると箱根路と書かれた大きな石碑があり、箱根旧街道に入る。ここから箱根宿まで15km、小田原宿まで32kmあり、東海道の最大の難所と呼ばれる箱根峠を超える箱根八里(1里約4km)の街道だ。旧街道に入ると、その世界は一変する。

あたかも、タイムスリップしたかのように、周囲は静まり返り、延々と石畳が続き、その両脇には杉や松が鬱蒼と生い茂る。国道一号線沿いはあれほど暑かったのに、旧街道は杉の大木が陽の光を遮ってくれて、辺りの空気もひんやりとしていてとても心地いい。この箱根路を往来した何十万、何百万、何千万の旅人が、それぞれの思いを胸に抱いて歩いた同じ道を重ねて歩いていることが信じられない。いままさに同じその道を歩いているということにこの上ない喜びが湧いてくる。箱根路は、誰をもそう感じさせてしまうほど大きな力をもって、旅人を包み込んでしまう。

旧街道は江戸幕府の初期に整備されたということだが、これだけ膨大な量の石畳を敷き詰め、木々を植えるのにどれだけ苦労したことか。通行する人馬を保護するために、木々が植えられ、滑りやすい土だったために、まずは排水できるように竹を敷き、その上に土をまき、石畳を敷いたのだという。石畳の幅は、二間(約3.6m)で石畳が延々と続くのだ。この険しい土地に道を造らなければならない理由が確かにあったはずだ。この道を歩くということが、当時の旅人にとっては、“生きること” そのものだったのだろう。

上を見上げると、大木の枝葉の隙間からどこまでも抜けるような青空と柔らかい陽の光が注いでいる。鳥たちがそこかしこでさえずり、今この瞬間を存分に謳歌し生きているように聞こえた。この石畳に歩みを重ねると、自身が長い歴史のなかの一瞬、その空間の一部になっていくような錯覚に陥る。ひとは自然の中のほんとうに小さな一部でしかない。これは、錯覚ではなくそういうことなのだと。この路が言っているようだった。

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