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歩くということ2021.4.10 三島宿~箱根宿 後編

箱根峠のちょうど真ん中あたりに北条氏が築城した山中城跡がある。ここからは、周囲360度限りなく見渡せ、小田原に本城を置いた北条氏にとっては西方からくる敵に備える守り城だったそう。それにしてもよくもこんなに険しい峠のど真ん中に城を築くなど考えたものだ。しかもまた広大な大きさ。この山中城跡、旧街道と国道一号線が交差する場所にあって車で行くこともできます!ここからの眺望、必見です!

山中城跡から30分ほど歩くと、綺麗な草花がたくさん植えられているのが見える。こんな山中に?なんだろう?と草花を辿っていくと、畑があり、その奥に民家がある。なんと、ポツンと一軒家とはこのことだ。遠くの方に男性の姿が見えたので声をかけてみた。すみませ~ん、見てっていいですか~?って聞くと、いいですよ~っと気さくな声が返ってきた。 見事に芝桜が咲き乱れ、チューリップやら、キンセンカやら、すごく綺麗!男性にどうしてここで花畑を?と聞くと、

「箱根峠を行き来するひとに見てもらおうと思ってね。楽しくなってきちゃって、やめられなくなっちゃたよ。持ってく?」と、

ニコニコ笑いながら、足元の花を数本束ねて差し出してくれた。

旅で接するひとのあたたかさには、ほんとうに励まされ、癒される。あの男性は、一年経った今も行き交う旅人に、花を見てもらおうと花畑の手入れに日々せっせと励んでいると思う。差し向けてくれた花にどれだけ励まされたことか。再びお会いしてあの日のお礼をしたい。

その男性には、ここから芦ノ湖まではまだけっこうあるよと釘をさされた。歩みを進めていくと、石畳がだいぶゴツゴツしてきて足場が悪い。しかも木々が低木になり直射日光を浴びてかなり暑い。これからが箱根峠の難所だと思わせる険しい道になっていった。途中に石碑があり、こんな短歌があった。

箱根路を

我が越え来れば 伊豆の海や 

沖の小島に浪の寄る見ゆ (源実朝)   

なんとなく中学生頃に詠んだ記憶があるが、なんと鎌倉時代の将軍実朝公もこの道を歩いたのだろうか?当時と今では比較しようもないが、箱根峠を越えて見た伊豆の海は、さぞ美しかったことだろう。まさに、「我が越え来れば」と、自らと向き合い越えてきた道中の厳しさが伝わる歌だ。

歩いているときは、そんな短歌に思いを馳せている余裕は、まったくなく、挟石坂(はさみいしさか)という箇所があり、ここは人ひとりが通れるほどの幅しかなく、笹が生い茂り、笹をかき分けて急坂を登らなければならずまさに、難所。あたりの木々は幹から四方八方に出ている枝が、今にも動き出してひとを飲み込んでしまいそうで、なんとも恐ろしい。こんな場所に、取り残されでもしたら怖くておしっこ漏らしちゃいそうなくらいホント怖い。 まだ、3時半ほどだが、峠だからか辺りが薄暗くなってきて余計に不気味だ。

足が痛いのも忘れて、小走り気味になりこの難所を越えると一気に下り坂になってきた。もしや、芦ノ湖まであとわずかか!少し前の風景が明るくなって開けてきた。あとちょっとだ!

駒形神社に辿り着いたのは午後4時。三島宿を出てから8時間の旅はほんとうに幸せな旅だった。

芦ノ湖に着くと、緊張から解放されてその場に倒れ込んでしばらく眠ってしまった。寒さで目が覚めると、陽が芦ノ湖から見える山際に沈みかけている。太陽に照らされ刻一刻と色合いを変える芦ノ湖のその姿は、ほんとうに美しい。


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