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歩くということ 2021.4.6 静岡~由比 21km

さあ、出発の朝。春の陽ざしがとても心地よい暖かな朝。ダックフィートのブーツを履いて紐をしっかり結び、あれこれ詰め込んだリュックを背負ったら、結構重い。一瞬、大丈夫かなと不安がよぎる。リュックを背負って歩く練習もしないまま、東京まで歩くなんて、今考えたらちょっと無謀だったかな。いささかあきれ顔の妻もさすがにちょっと心配そうだ。母にも心配ばかりかけてきたが、これまた心配そう。今日は一日目だし練習くらいのつもりで由比までゆっくり行くだけだから平気平気!なんて自分に言い聞かせるようにいいながら家をでた。

歩きはじめて5キロぐらいだろうか、リュックの重さで肩がもうしんどくなってきた。こんなにあれこれ入れてくるんじゃなかったと、早くも後悔。コーヒー好きの自分は、途中でコーヒーでも淹れて飲んだら美味しいだろうな~なんてお気軽気分だった。とんでもない!携帯用ガスとバーナーなんて持ってくるんじゃなかったよ、アホかお前は!捨てたい!隣の清水駅に着く手前、草薙の一里塚まで、8キロ歩いただけで、もうリュックが肩に食い込んできてけっこう痛い。たった3時間ほど歩いただけで、これ、由比まで歩けるかなって早くも弱気になってきたのだ。

東海道には一里塚というものがある。徳川家康公が秀忠公に命じてつくり始めたのは1604年。江戸の日本橋を起点として全国の街道の1里(だいたい4km)ごとにつくり、10年くらいで完成したらしい。一里塚の大きさはまちまちだけれど、どれもだいたい5~6メートル四方で土が盛られ塚になっていてその上に木が植えられている。そして嬉しいことに、木の木陰があって、歩き疲れた身体にはとっておきの休息場所になってくれる。また、4km毎というのが絶妙な距離感で、もうちょっと歩けば一里塚に辿り着けるから頑張ろう!って思える距離なのだ。家康公が、人々が歩くこと、行き交うことを活性化して元気な街つくりをしようとしていたことが、歩くことでよくわかる。東海道は、朝廷のある京都と政治拠点の江戸を結ぶ重要な幹線として、宿駅をつくり、1624年に完成しその数が五十三あることから、東海道五十三次と呼ばれるようになりそれ以来、人々が歩いて行き交うことで大きな発展を遂げることができたそう。

草薙の一里塚を過ぎると、清水の巴川に架かる、有名な稚児橋(こちらも東海道を通すために家康公によって巴川を渡るためにつくられた橋の名で、渡り初めの日に突然現れ消えていった童子は巴川に住む河童だったいう伝説がある)がある。その橋の欄干に佇む河童は何とも愛らしく、やんちゃな顔で、思わず元気をもらった。河童に負けず、俺もさっさと歩くぞ!さあ、由比宿まであと11km!

2021 4月6日 前半編

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