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歩くということ 2021.4.7 後編/蒲原宿~吉原
歩くということ 2021.4.7 後編/蒲原宿~吉原宿
蒲原宿を通りすぎ、しばらくするとだんだん上り坂になる。富士山の姿はまだ見えず、まだまだ遠い。それなのに、不思議なことに足元に富士山を感じる。言葉で表現するのは難しいのだが、何かこれまでにない風が流れている。
東名に架かる橋を渡ると、東京に向かい車が忙しく走っているのが下方に見えた。さらに上り坂が険しくなり無言のまま黙々と歩くと、こんどは新幹線が目の前の田園風景の中をものすごいスピードで通り過ぎていった。東名と新幹線は、現代に欠かせない交通の手段。こんなものを作ってしまうひとの力はすごいと思う。でも、ひとは自分の足を使って歩くことを本能としてこの地に生まれてきているはず。だから、歩きたいと思うし、歩いていれさえすれば、失いかけた本能も取り戻せるのだと思う。
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富士に向かう上り坂の石垣の隙間には、ススキの穂が太陽の陽射しを浴び燦燦と輝いていた。どんなに狭い場所でもタネを落とし元気に真っ直ぐ伸びるススキの穂をこれほど美しいと感じた瞬間はなかった。いや、恥ずかしながらそんなことに目を止めることすらしてこなかったのだ。
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“歩くということ” は、まだ気付かぬ
“自分を発見すること”
かもしれない。歩くペースというものは、本当に心地が良い。
急な坂を登りきり、おおきなカーブを曲がると、視野が一気に広がり、大きな富士山が視界に飛び込んできた。あ~やっと富士山が見えた~!上り坂と続くカーブで歩くのがかなりきつい。
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前を見ると、巨木がそびえる一里塚が見えてきた。一里塚は本当にありがたい。巨木は榎(エノキ)で、その曲がりくねった幹はまるで生きているかのよう。榎は樹形が横に大きく広がり、大きな日陰をつくってくれることから一里塚の一本木として植えられるようになったそうだ。
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この岩渕一里塚を抜けると、小高い丘を左手に見ながら、曹洞宗 新富院、八坂神社、光栄寺、など神社仏閣がいたるところに現れる。立ち寄りたい誘惑にかられながら、丘を越えると、下方に富士川を望んだ。
富士川橋の上から見る川の流れのあまりの雄大さに圧倒され、橋のど真ん中で座り込んだ。空の青が川に映り込み、雲が川を流れる。ほんとうに美しく、ほんとうに豊かだ。富士川に流れる風を胸いっぱいに吸い込んだ。
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