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77回目のヒロシマ平和祈念

平和祈念朝起でのスピーチ

 今年2022年は、明治維新1868年から1945年第二次世界大戦終結までが77年間。そして1945年から今年までが丁度同じく77年間です。第二次世界大戦を境にして同じ時間が経過しました。明治維新から日本は最初の77年間では、日清、日露の戦争、そして第一次世界大戦から日中事変、第二次世界大戦とほぼ十数年間隔で、大きな戦争に巻き込まれ、多くの犠牲者を生み出してきました。しかし幸いに今の77年間は、日本はほぼ戦争に巻き込まれることなく、平和な時代を過ごしてきました。これもやはり私は、先の太平洋戦争で300万人以上の日本人の尊い犠牲の上で、大きな代償を払って生み出された平和以外の何物でもないと思います。戦争の犠牲となった人たちに、改めて今の平和を感謝するとともに、再び戦争をすることが有ってはならないと強く思います。
 今年は特に2月にロシアによるウクライナへの軍事侵攻があり、核兵器の使用もありえるとのロシア政府高官の発言や、急速に進む北朝鮮による核開発とミサイル発射実験、さらには中国の海洋進出などなど私たちの周辺の地域では、これまでにない緊張が高まっています。
 皆さんは、世界終末時計と言うことを聞いたことがあるでしょうか。
 核戦争などによる人類の絶滅、いわゆる終末を午前0時になぞらえ、その終末までの残り時間をあと何分という形で、象徴的に示すものです。1947年にアメリカの原子力科学者会報で初めて7分前に設定され、この間増減はありましたが、2020年に1分40秒前とされ昨年今年と同じとされています。ただしかし今年はさらに短縮すると思われます。私たちは決して世界の終末を認めるわけにはいかないことは当然です。
では何が必要なのか。
 最近私がとても気をつけていることは、多くの場所に行ってもわたくしが一番年長というケースがほとんどです。そのときにやはり年上の上からの目線で話すのではなく、むしろ今まで以上に腰を折り、若い人たちの思いを汲みながらできるだけ話を聞くことを大切にしています。そしてだんだん年をとってくると頭が固くなって、自分の経験がすべて、自分が正しいと主張する人を見かけます。やはりその時、一歩引いて自分も正しいが、相手もその人の人生の経験が長かろうが短かろうが、その人自身、自分にとって正しいと思ことを話していると認めることが大切ではないかと思います。
 私は保護司もしています。一端、罪を犯した人の更生を手伝う仕事です。詳しくは職務上お話しできませんが、人を傷つけたり、人のものを取ったりするということは、当然悪いことではありますが、その人の歴史を見ると、考慮しなければならない事も沢山あると教えられます。
 夫婦喧嘩でも国と国との戦争でも、立場が違えばそれぞれが自分にとっての何が正しいかが異なるということです。自分の世界だけがただしいわけでなく、一人ひとりには違った世界が無数に広がっています。ですから相手を認めることがどれだけできるかというのが本当の意味で大切ではないかと考えます。
 どんな人も自分が認められることは、嬉しいことです。
 本当の意味での大人というのは、年齢や性別、肌の色の違いを乗り越えて、自分よりほかの他者を率直に認めることの出来る人です。そういう人の周りには争いが起らない。私は仕事柄、自己主張を行うことが多くありますが、多少遅まきではありますが、本当の意味での我も人もの「人」を大切に出来る大人にならなければと思いなおしています。

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