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世話やきDNA 母から貰ったもの

「サンギイン」母と私が最後に交わした言葉です。ALSで言葉も聞き取れず、手も体も動かすことが出来ないなかで、50音の文字盤を一つ一つ探って、漸く20分かけて言葉を交わすことが出来ました。
 おりしも参議院選挙前で、私の仕事柄、選挙が気になったらしいのです。二人でやっとの思いで意思を交わすことができ、ほっとすると同時に、身体も動かせなくなっているのに、選挙のことを気にするとはと可笑しくて、二人して大笑いしました。
 一人暮らしをしていた85才の母の異変を知ったのは、前年の夏前でした。春先から左手がだんだん利かなくなったと訴えてきたその時は、既に何軒か近所の医者に診察してもらっていました。原因が判らず、料理や体を動かすことが好きな母は、自分の体が思うようにならず、めずらしく弱気になっており心配になりました。
 普段一緒に暮らしていない私に、泣き言をいうような人でないだけに、私自身ビックリするとともに、妻に相談し母の希望にそって出来るだけのことはしようと決めました。
 お盆過ぎに大学病院に検査入院したところ、原因ははっきりしないが、難病のALSではなかとの診断でした。ALS、筋萎縮性側索硬化症は5万人に一人の発症率の特定疾患で、筋肉の萎縮と筋力低下をきたす神経疾患です。きわめて進行が速く、半数ほどが発症後3年から5年で呼吸麻痺により死亡します。
 しかし高齢のためか、母の病状は一般のALS患者さんより進行がさらに早く、自宅に戻り二カ月もしないうちに、転んで起き上がれなくなり、また再入院することとなりました。ALSという病気は身体が効かなくなります。しかし意識は極めてはっきりしているのですから、本人もしんどいですし、介護する人も気を使います。特に手が使えなくなるというのは困ったものです。トイレの始末も自分ではできなくなり、さらに私たちは何気なく手で顔や体を掻いていますが、これらすべてが人頼みです。一、二回はいいのですが、それが始終となると本人も、周りも辛くなります。
 看護や介護をいただいた病院のスタッフの皆さんには、感謝しつくせないほど大きな助けていただき心から感謝しています。
 年が変わり、両手だけでなく、両足や会話し意思を伝えるのに大事な舌も動かなくなってきたなかで、あるときこんな話をしてくれました。
 病気の進行と併せ悲観的になっていた母は、病院の中で「私の人生はたいしたことなかった」とやけ気味に周りの人に話したところ、「小泉さん、あんたはたいしたもんだて」「何だって人の役に立つ議員の倅さんを育てたんだから」と言われたと、満更でもなく話してくれたことに少しホッとしました。
 母はとにかく世話やきで、親せき、近所の人にも、おせっかいと迷惑がられているのではないかといつも心配をさせられました。しかし今考えれば、そのおせっかいのDNAを、私が一番引き継いでいるようです。
 議員という仕事は、人が幸せになって喜びを感じる仕事です。ルーツは母からもらった世話やきDNAでしょうか。天国で私のことをきっと眺めている母に安心させるため、皆さまに喜んでいただける働きを、今後とも続ける決意です。

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