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穴の中の君に贈る【毎週ショートショートnote】

来る日も来る日も、ただ空を見ていた――。

井戸の底に棲む蛙は、いつも空を見ていた。
独りぼっちで孵り、親兄弟も仲間も、他の何も知らなかった。暗い井戸を這いながら、遥か高みに開いた、小さく丸い穴から降り注ぐ光を見ていた。
空は清々と澄んだ青であり、時に燃えたぎる赤であり、井戸のごとくよどみ濁った黒でもあった。己がどんな色をしているかも蛙は知らなかったが、空の色は何にも増して知っていた。
照り輝く黄金色。星をまとった夜藍色。井戸と味の違う水の降った後は、空に七色の橋が架かった。ごくまれに、己とも空とも違うものが穴を横切ったが、それが何であるかを蛙は知らなかった。


やがて真珠色の空から氷のつぶてが降り、蛙の手足を凍らせた。
それでも蛙は、最後まで空だけを見ていた。

命の尽きた蛙の魂は井戸を上り、遥か高い空の、丸く大きな光の穴に吸い込まれた。
生まれて初めて蛙が触れた、それは月であった。
月の海を泳いだ蛙は、いつしか月の神となった。


副題:嫦娥じょうが異聞~井底の蛙