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金銀ジゼル~Giselle d'or et d'argent

真夜中のプールにはジゼルが踊る。
放課後4時のバレエレッスン。休憩中にささやかれた怪談を、僕は本気で信じてなかったと思う。

僕の通う教室は先生1人の小規模なもので、普段は基礎練習がメイン。発表会なんかは近所の学校の体育館を借りてた。
ジゼルはバレエの演目だ。恋人に裏切られ死んだ主人公ジゼルが、ウィリーという亡霊になり、自分の墓に近付く男を死のダンスに誘う。場所がプールなのは、舞台になる墓場が沼のほとりにあるからだろう。

本気で信じたわけじゃないけど、本物のジゼルを見てみたかった。
お前って早死にするタイプだな。みんなそう言って僕をからかう。多分大人になれないんじゃないかな。笑って返しながら、気持ちがふっと静かになる。
――多分というか、ほぼ確定でなれないんだよ。
検査の度に下降する数値も、曇ってく一方の親や医者の顔も、もう僕は他人事として見てる。

    ***

午前零時ジャスト。薄氷の張った2月のプールは、街灯と雪明りにぼんやり浮かんで見えた。
フェンスの向こう、水面すれすれを半透明の影が旋回する。
ガラス色のトウシューズ。葬送のウェディングドレスで踊るジゼル――死神って、予想したよりずっとずっと綺麗なんだな。

「あなたはどっち……?」
吐息の大きさの声がした。
「ロイスかヒラリオン、あなたはどっち?」
ロイスはジゼルを裏切った恋人の偽名。ヒラリオンはジゼルに恋人の裏切りを告げ、ショック死させた男。バレエの筋書きなら、ヒラリオンはウィリーに踊り殺され、ロイスはジゼルの愛に助けられる。

「……アルブレヒト」
ジゼルを裏切った恋人の本名。
「ロイスかヒラリオン、あなたはどっち?」
かわいそうなジゼル。死んでも認めたくないんだね、自分が本物になれなかった事。

どっちにしろ先なんかない。付き合って踊ってあげてもいい気がした。
かじかむ指でフェンスを登る。てっぺんから反動つけてキラキラ凍る水面へ――
「ヒラリオン!」

冷たいも苦しいも感じなかった。身体がいつもより自由で軽く、僕は水底でステップを踏んだ。
――あなたは嘘つきね。だから、一緒に踊ってあげないわ。
金色の泡が耳たぶをくすぐって弾けた。


意識が戻った病院のベッドで、親は狂喜し、先生は劇的に改善した数値の解明に必死だったけど、僕は自分が手ひどい置いてきぼりを食った気がした。
予定より長引きそうな人生が、今度こそ幕切れを迎えても、彼女は僕を迎えに来てくれないだろう。