258キロカロリーの恋

2014-10-14

バイトがない日の何が一番魅力的かって、時間の制約から逃れられることよりも、普段働いている時間や電車に乗っている時間にお布団の中にいられることよりも、母の作る夕飯を提供されたリアルタイムで食べられること。

「めぐごはーん」

炊きたての白米といっしょに、こんなにも愛のある言葉をよそえるのは、お母さんしかいないよ。


電子レンジで 二人の距離を
温め直し 食べごろになる
スウィートドーナッツ
カロリー高い恋には注意

スウィートドーナッツ/Perfume


前日の晩ご飯の残りを電子レンジで温めて食べている朝、この曲を聴いてからいつも気になっていること。

冷たい食べ物を温め直すと、カロリーは変わるの?


食品のカロリー自体は温かくても冷たくても同じです。
しかし、それを人間が食べた場合に作用するカロリーとしては違ってきます。
なぜならば、人間には体温があり、冷たいものを食べた場合にはそれを体温まで上昇させるために、熱量(エネルギー)が必要となるからです。その食品中のカロリーの一部が体温上昇に使われるため、結果的に体に蓄積されるカロリーは冷たいものを食べたときの方が少なくなります。
アイスクリームなどはその典型で、カロリーが比較的高いものの温度が非常に低く、体温上昇にカロリーが使われるため、同じカロリーのチョコレートやお菓子などよりは体に蓄積されにくくなります。
カロリー=熱量であるため、食品を温めるとそれ自体が持つ総熱量は上がります。
しかし食べ物のカロリーとはエネルギー変換された結果の熱量で、エネルギーそのものではありません。
よって加熱によって増えるエネルギー(熱エネルギー)は使えないエネルギーなのです。


つまりストーブにあたっているとき、何千キロカロリーもの熱エネルギーを受けてはいるけれど、ストーブにあたっていても太らないのは人間は熱エネルギーを栄養にはできないからなのか。(高校受験の理科の問題文みたい)

この理屈で改めて先ほどの歌詞を見ると、電子レンジの中で温められた二人の距離が食べごろになったということは、外的要因として働いた熱エネルギーを恋愛のエネルギーに変換できたということなのか…?

それを考えていたときに発見したこの歌の興味深いところは、アツアツな恋愛の「熱意」を電子レンジの物理的な「熱量」に例えてホットな状態の恋愛を歌った歌なのかと思ってよく聞いているとそうではなくて、失恋した女の子が相手の気持ちが戻らないかなって復活愛への淡い期待を抱く、相手からの熱が冷め切った後を歌っている歌であったこと。

さらに注目すべき点は、アイスクリームじゃなくって、スウィートドーナッツ。

消化段階で栄養になる道も持て余し、アイスクリームみたいにその食品の持つカロリーの一部が相手に作用する形で何か別の役割を果たすこともできなかった。

つまり彼にとっては、自分へのリターンが乏しく、ただただ自分の重みとなってしまった甘いだけの恋だったのかもしれない。

カロリーが高ければ高いほど蓄積した記憶が消費されづらくて、その失恋を消化するためには大きな動力と時間を必要とするから、
「カロリー高い恋には注意」なのかもしれないなあ。


でも、258キロカロリーが高いか低いかなんて、それがどんな食品かによるのと同じで、
いま目の前にいるその人は、自分とスウィートな関係になる人かそうじゃない人かどうかは、多少なりともそのとき自分の周りにいる他の人に影響を受けて判断しているんじゃないかな。



恋も食べ物のカロリーも、相対評価だと思う。

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