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何者

わりと早く、「何者」かになりたくて必死だったよ。

25mプールをクロールで泳いでいるような4年間だった。
水をかき分けるその腕にも、水面を叩くその足にも重りがついているようで、わたしは息を吸うために顔を上げるのが精一杯だった。
それでも、自分はうまく泳げると思っていたし、進んでいると思っていた。
けれど、そうしているうちに呼吸をすることすら苦しくなって、プールの底に足をつけた。



大学生活を振り返ってみたとき、そこに強く刻まれている感情は「悔しかった」だった。

2年夏のCM企画制作論で、わたしのアイディアが採用されて作り始めたCMが、みんなで取り組んでいくうちに最初の趣旨と離れていったことが。2年ゼミでの公共CM制作では、自分たちが目指すものと今の自分たちの実力があまりにかけ離れていたことが。3年の夏は、第一志望だった広告会社の2次インターンに落ちたことが。さらに、宣伝会議賞に応募したコピーが2次審査を通過しなかったことが。自分たちの〈やりたいこと〉に〈できること〉が追いつけずに流れてしまったいくつもの企画が。過去の綺麗な思い出の答え合わせをされてしまったことが、してしまったことが。そして、卒業制作「ささくれ」がところざわ学生映画祭にノミネートされなかったことが(応援してくださった方々ごめんなさい)。

まだまだある気がするけれど、4年間の「悔しかったこと」を列挙してみて気づくのは、やりたいと思ったことのほとんどに(中途半端だったものも多数あるけれど)手をつけてみたんだなということ。

「悔しい」という感情を強く感じるということは、それだけその物事に真剣に取り組んでいたという証拠だと以前にどこかで目にした。半分くらいはそうだったと思う。実際、体を壊してまでという表現を律儀に体現しながら取り組んでいたし、そんなわたしを見かねた友達からその年にもらった誕生日プレゼントは、チョコラBBとカロリーメイトだった。それでも、わたしの場合はそれだけの理由ではなかったように思う。


わりと早く、「何者」かになりたくて、ただただ必死だった。


自分を測る「自分のものさし」を持たずにここまで来てしまったわたしは、誰かに、何かに、自分が「何者」であるかを指し示してほしくて必死だった。
それをわたしは長いこと(特に高校時代~大学前半の頃)、他者からの好意で自分の存在意義を見出そうとしていた。その「ものさし」は、よりたくさんあったほうがいいし、常により高い数値を得ていたいから、わたしはいつも誰からも嫌われないように、みんなから好かれようと必死だった。
この人の前ではこんな風に振る舞えばいい、この人はこういうことを言ってほしいんだろうな、してほしいんだろうな、と常に〈今自分に何が求められているか〉ばかりを、相手が発する情報の中から血眼で探し続けた。そんなことを何年も続けていたから、その道のセミプロくらいにはなれた(多分)。それは途轍もなく疲れるものだったけれど、誰かが自分を求めているという事実がわたしの支えだった。けれど、同時に自分の中の何かが静かに朽ちていっている感じもしていた。
それらと引き換えに、たくさんの好意とそこそこのスクールカーストは得た(多分)ものの、もうその頃にはすべてがどうでもよくなっていた。しまいには、せっかく得た好意の純度までもを疑い出した。自分がそうさせた節も多くあるくせに、寄せられる気持ちを重荷に感じたし、向けられる下心には嫌気がさしていた。
しかし、自分の存在意義を得るために行っていたことが、なぜここまで自分の首を絞めることになっているのか、わたしはわからなかった。


自分を測る自分の「ものさし」を持たずにここまで来てしまったわたしにとっては、同様に何かのコンペや選考の結果も、自分が「何者」であるかを指し示してくれる「ものさし」だった。
コンペというものは、他人からの好意よりももっと明確な、順位や賞や一次・二次などという「目盛り」がある。振るいにかけられた以上、当然そこから漏れる場合もあるわけで、わたしがそのたびに感じる悔しさの半分くらいは、真剣に取り組んだからこそ感じるそれとは異なる、不純な悔しさだった。
自分を測る「自分のものさし」を持たないわけだから、その結果には一喜一憂した。出品したその作品や選考内容を評価してほしいというよりも、その先にいるわたし自身を認めてほしかったのだと思う。
だからこそ、選ばれなかったときには、自分はそこに必要とされていないと言われている気がしたし、また自分が「何者」かになれる機会を逃した気がして、そのコンペや選考のその後を見届けることから逃げた。


わたしの横を、またひとり誰かが通り過ぎていって、その水しぶきが視界を塞ぐ。遠くの方で、笛の音がする。
水をかき分けるその腕にも、水面を叩くその足にも重りがついているようで、わたしは息を吸うために顔を上げるのが精一杯だった。
それでも、自分はうまく泳げると思っていたし、進んでいると思っていた。
けれど、そうしているうちに呼吸をすることすら苦しくなって、プールの底に足をつけた。立ち上がると眩暈がした。
ゆっくりと水中を歩いてプールサイドに手をかけ、重い身体を引き上げた瞬間、バランスを崩したわたしはそのまま意識を失った。



ぷつりと糸が切れた今思うのは、わたしの中での「何者」は、「誰かに必要とされる自分」だったんだと思う。
それがどんな形であれ、他者から求められる自分でなければ自分は生きてる価値がない!って思っていたわたしは、それはそれはもうストイックに生き急いでしまったよね〜。
でもさ、目盛りの大きさも基準も、そもそも測る対象もそれぞれ違う「誰かのものさし」で自分を測り続けていたのでは、いつまでたっても自分がわからなくなるだけだし、そもそも何を測っているのかすらわからなくなってくるよね。

ただただ「何者」かになろうと必死だったこれまでと、まずは「自分のものさし」を持つことから意識しようと思える今との間には、きっともうすでに大きな差が生まれていることに気づく。


もしかすると、わたしの大学4年間は、「自分のものさし」で測れば、とっくに25mを泳ぎきっていたのかもしれない。


いくぜ新生活!

📷桟橋から海へ飛び込む瞬間(覚悟を決めるのに30分)@八丈島・底土港

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