手放すもの・・・

共依存の母を救いたくて、救えなくて、母に対する怒りと申し訳なさと、自分に対する哀れみをもっていたのは間違いがない。

可哀そうであることはもはや必要がなく、病気でいることも必要がない。

愛されて、与えられて、存在することで与えてきた、幸せになる許可もできた。母の一番であることは間違いがない。誰かの一番にならなくても大丈夫。私は私の一番だから。
私だけ貰ってない。という事実はない。

出来なくてごめんなさいも、もういらない。なんでできないのという事ももう言われない。(言ってくるやつもいるけど!)
出来ない私はもういない。奴隷?になる必要もないし、私がしなくても誰かがする。やってもらえることはやってもらう。そこにごめんなさいは要らない。ありがとうだ。

ちなみに脂肪もたくさんすぎるので要らないものだ。私は美しくなってもよいのだ。利口な部分を全面に出してもよくて、馬鹿なふりもしなくてもいい。賢いふりもいらない。そのままであればいい。

お金も使ってもいいし、お金を稼いでもいい。運動もしていいし、食べたいものを食べてもいいし、飲みたくない時は飲まなくていい。行きたい場所に行っていいし、行きたくないところにはいかなくてもいい。誰を好きになっても誰を嫌いでもいい。

ごめんなさい。ごめんなさい。私が謝るから私が我慢するから、私が何とかするからみんなを許してと、神様に祈らなくてもいい。できない私を卑下しなくてもいい。恥ずかしがらなくてもいい。無価値感などもたなくてもいい。
お母さんごめんね。できなくて救えなくて幸せにしてあげられなくてごめんね。ってずーっと抱えていた。老女になった母は毎日幸せだと、会うごとに言う。そうだ。母は幸せなんだ。私たちのおかげで幸せだという。だから小さな私に教えてあげる。お母さんは幸せなんだよ。あなたがいてくれるだけで幸せなんだよ。よく頑張ったね。って言ってあげる。

さようなら、貧乏でブスでできない子、要らない子でダメな子で。劣等感いっぱいの幼い私。愛されて大事にされて、育ってきたんだ・不用意な言葉はあっても、怖かった出来事はあっても・・・