鍼灸病症的処置(5)眼病

おことわり

・分類は独自に利便性向上のために行なっているものであり東洋医学は病名治療を目的とするものではありません。
・記載内容は効果を保証するものではありません。
・筆者は経絡治療を主としており前提として本治法が正当に行われているものとします。

鍼灸病症的処置(5)眼病

〔肩こりからきた目〕は《角孫》。目の疾患と言ったら角孫というほど覚えていただきたい。〔仮性近視〕や〔目の充血〕は《目窓》。眼の悪い患者はここが窪んでいる。〔黒底翳〕(くろそこひ:かつては瞳孔の色調が黒いままで、視力障害をきたす疾患。現在では網膜剥離や硝子体出血、黒内障などを指す)には《養老》。養老は顔に手を向けて、骨の割れ目に取る。〔目の充血〕は目の周囲にはやらない。よけい充血する。目の充血は発汗で取る。肺経がやられているのだから、大腸経で取る。必ず《合谷》に刺して治す。〔眼瞼下垂〕には《頭維》と《百会》《合谷》をあわせて使う。

レッドフラッグ

病気だけでなく、症状として眼の訴えは多い。視野・視力など確認して網膜剥離や緑内障に対しては医療機関への受診勧奨を怠らないようにする。

考察

「目皆黄、必ず愈えんと欲するの病と為すなり。眼胞忽陥り、目睛直視するは、必ず難治なり。目を開き人を欲するは、陽に属す。目を閉じ人を見ることを欲せざるは、陰に属す。目睛明からず、神水己に竭(つ)き、物を照すること能はざる者、亦た難治なり。」『六診提要』

臨床では照明をとくに眩しいといって目を閉じ、またはタオルやハンカチで覆う人は多い。まさに目を閉じ人を見ることを欲せざる人である。目だけではなく目(眼)に関することは全体としての表現があることを肝に銘じて診療にあたる。

通常、眼病一切は柳谷風池(通常の風池の外方、乳様突起と瘂門の中間)というのがあり、使用せずともチェックしておくべき場所。

角孫は意識的に使う場所。胆経という意味でいえば肩こり、頭痛、眼病は同じ意味(当人の弱い部位が症状として訴えがあるだけでこれらの可能性はどこに出ても同じと考えている)もちろん脈診でわかりやすいものもあるので、問診に活かすことも大切。自覚あるものを先にこちらが言う(さらに治すと信頼を得られる。鍼灸師はこのように信頼を勝ち得ていくもの)。

眼に限って言えば、主訴が眼という表現であっても逆気からくる訴えで「眼が何か刺さるように痛い」「眼の奥が熱い」という表現は多い。視力と関係なくとも眼の痛みの訴えは多い。(つまり視力が悪いから眼病になりやすいのではない)

眼の訴えは基本的に肝・胆で考えていくが問診の段階でまぶたの異常かどうかを除外しておく必要がある。ものもらいの初期でも「眼がおかしい」という表現もある。またドライアイ(肺-肝のバランス)でも眼のことだという。眼瞼下垂も同じ。とにかく偏見・先入観を排除して臨む。

「疲れ目」と「眼精疲労」は根本的に意味が違う。前者は眼の問題であり、後者は全身の疲労の問題である。眼だから目の周りに処置するかといえば陽分に不用意に気を集めて結果が思わしくないこともあるので注意。

本来、病名に振り回される必要はないが、共通言語のラベルとして仕方なく呼称しており、その奥の人間の東洋医学的生理病理を理解しておくことは重要。病名のラベルに関してチェックポイントは理解しておくべきだが、機械的に病名とツボ名を一致させて対応するのでは東洋医学とは言わない。

眼に関しては肝から発展して血の変化も考慮する。太衝や血海を念頭に本治法や気血水の変調を想定して対処する。目は九竅のひとつと数えられるだけに臓腑を考え経絡を整えるだけ(つまり眼を直接的に治そうと思わないという意味)でも快方に向かうことが多い(ただ九竅の回復は簡単ではない)。また妊産婦に対しては産後の肥立ちを考慮して産前産後の眼の酷使は戒めるよう早くから伝えておく。

施術後に眼に関する処置がなくとも「目の前が明るくなった」という感想を聞くことは多い。当然、こちらとしても良い施術ができたと評価できる点である。

ちなみに眼病を主訴として来院するケースは少なく白内障の手術の相談や緑内障の傾向があるなど、その他の症状として語られる場合が多い。東洋医学的な見解を持つことは鍼灸師として当然だが、視力や仮性近視の児童、白内障手術の実態、網膜剥離の危険性や緑内障の実際など現代医学的な情報もトピックとしてしっかり把握しておきたいところである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?