開業鍼灸師は鍼灸受療率とどう向き合うか

はじめに

鍼灸業界を見渡すと鍼灸院経営として苦戦する論拠として「鍼灸の受療率が低い」ことが話題となる。この話題を受けてさらに二つの意見が聞かれる。「受療率を上げなければ鍼灸に未来がない。受療率をあげるために頑張ろう。」そして、「鍼灸の受療率が低いことは、これからの鍼灸にとってチャンスだ。伸びしろなのだ。」というものである。散発的にみられる受け答えだが、事実として受療率は変化しているのだろうか。さらには受療率を意識することはどこまで有意義なことであろうか。その点、疑問に思う点でもある。そこで今回、筆者はこの話題に対して意見し一応の見解を提示しておきたい。

受療率とは何か?

ある資料によると鍼灸においてはおおよそ5%~7%である。森ノ宮医療大学鍼灸情報センターの鍼灸学術情報の記述によると受療率とは1年間で鍼灸を受けたことのある成人の割合をいい、地域・年齢層・性別の人口構成比を考慮したランダムサンプリングを行い面接または電話によって質問調査を行ったものがデータとなっている。ちなみにランダムサンプリングとは母集団の中からランダムに標本を抽出する方法であり、ランダムに標本を抽出する限りにおいて標本誤差は正規分布に従うものである。ここでは受療率に対する考えを表明するが統計方法やその結果の真偽について意見するものではなく数値から現実を推測するものである。

業界の統計は信頼できるのか?

開業鍼灸師にとって業界全体の動向を知るすべは少ない(ここでは業界団体への所属を促すことを意味しない)。鍼灸師特有の業態だからこそ業界との関わりがなく独自で仕事を進めることが可能だからだ。例えばアンケートによる統計もアンケートに答える層というのが存在する。業界団体としても業界誌としてもそのあたりは公平中立というわけにはいかない。
そもそも鍼灸院を開業しているアクティブな実数を出せるのであろうか。または、あるのであろうか。さらには鍼灸単独かどうか。そして経営方針としてサロン的なものもあるだろう。1日何組限定と宣言しているところもある。それ自体は方針なので意見するものではないが、それを含めた場合の受療率というものが果たしてどこまで意味があるものなのか疑問となる。つまり、統計が信頼できるのかどうかというほかに、数字の意味するものが純粋に設問の回答として適しているのか?という問題もある。
仮に「受療率をあげる」ことで鍼灸の普及を達成しようとするときにサロン的鍼灸が多数あればそれは実現することは難しく、またその意思がないため指標としては不適格となる。

受療率は変化しているのか?

先述の受療率、鍼灸においてはおおよそ5%~7%である。また鍼灸の生涯受療率は20%~30%と推測されている。2000年代からの統計をみてもこの数字の範囲で収まっており増加傾向でもなければ減少傾向でもない。このことからある特定の層が存在して鍼灸はそのような層に支持を得ていると考えることもできる。
筆者が思う世間的なイメージは鍼灸は高齢者に支持されているということである。もし少子高齢化という社会構造変化と鍼灸が高齢者の健康維持増進そして高齢者医療の一翼を担っていると仮定すると、いくつかのことが想定できる。まず、高齢者人口が増えていることに反して受療率が一定ということは、高齢者の医療として活用されていない現実である。つまり筆者のイメージとは違うということになる。ほかにも受療率が低位で横ばいということから社会的に認知されているというより、知っている人は知っているけれど接点がない人がほとんどということがいえる。何よりも受療率が低いということは鍼灸師・鍼灸業界にとって誇れることではない。

鍼灸の受療率が低い現実

仮にサロン的な鍼灸院も、数多くの患者(顧客・クライアント)に来てほしいとする。そして、その数字が5%とか7%という結果だとする。そのときに鍼灸師からすれば「もっと頑張って宣伝しなければいけない」と思うかもしれない。または「もっと難病を相手にして鍼灸のすごさを示すべきだ」というかもしれない。「病院での鍼灸の地位向上のために活動すべき」という方法論を語るかもしれない。いずれにしても「鍼灸の評価が低い」という印象で落ち着くのではないだろうか。
そのような印象は全体的なものを示しており混雑している鍼灸院からすれば現実と一致しないと統計の異常か、他人事として一笑に付すデータだと認識するかもしれない。また暇な鍼灸院からすれば鍼灸院の売上が立たないのは「自院のせいではなく業界全体がそうなのだから」という自己弁護には最適な情報となるだろう。
そして「鍼灸の評価が低い」というのと「自院が暇だ」というのが一致して安堵していると「世間がわかっていない」「メディアで取り上げて宣伝すべき」「著名人が鍼灸を取り上げている」というブームに期待する動きとなるのもわからないこともない。悲しいことにあまり建設的な内容とは言えないが。

本当の意味のブルーオーシャン

この受療率が低いということを先述したように自己弁護にしてしまうと、励ましの言葉にはなっても将来的な展望を誤るのではないかと思っている。つまり、低受療率を「のびしろ」として公言するのは危険が伴うということだ。
よくライバルがいない状況をブルーオーシャンという言葉で表現する。これは既存のライバルが多いものを海賊が縄張りを血で血を洗う状況にたとえ赤い海としてレッドオーシャンという。それに対してライバルがいない状況をきれいな海にたとえブルーオーシャンと言っているわけだ。そのことを受けて「低受療率だから鍼灸業界はブルーオーシャン」「鍼灸にはチャンスがある」というわけだ。
ただここにも誤解がある。本来のブルーオーシャンという言葉は単なる「のびしろ」を指す言葉ではない。既存の業態における過当競争をイノベーションによって顧客創造することである。つまり需要を創出することであって、需要がない状態または需要として認識されていない状態ではない。
このあたりの混同は低受療率という数字とその解釈を読み手の思惑にミスリードして問題の本質を見えないものにするので注意が必要である。

鍼灸受療率とどう向き合うか

受療率が低いとはどういうことであろうか。また受療率が高いとはどういうことであろうか。
受療率の高低は、ある意味では患者の接触頻度(来院頻度)とも言える。鍼灸師側から言えばそのまま売上に直結するので、儲けを示す指数という見方もできる。自院ではなく業界全体としての儲けを示す数字と捉えることもできるだろう。それをひいて業界全体と自院を比較することもできなくはないが、あまり意味のないことである。
ラーメンの繁盛店が多いからといって、自分のラーメン屋が繁盛するかというと、やはりそれも関係ないのと同じである。多少の言い訳や激戦区でやっているという自負にはなるかもしれないが、言い訳や宣伝、自尊心や反骨心のための統計というのでは悲しい。
そもそも自院の繁盛の指数であれば自院の売上を見ればよい。業界全体と比較することは無意味だ。さらには学生や鍼灸業界を目指す人のために業界のアピールとなるのであれば、それも役に立つ指数にはなっていない。それどころか惨憺たる数字という印象を与えるだろう。
医療機関の受療率というものが存在するのか知らないが、鍼灸の受療率というのは、医療機関を中心として成立している医療体制に付加するような位置づけで語られているかもしれない。
先述した鍼灸師が儲かるかどうかを示す指標ではなく、鍼灸がどれほど認知されているかという指標だと考えてみてはどうだろうか。受療したことがあるということは、理由や経緯はどうあれ鍼灸を知っているということになる。その数字が低いということは鍼灸自体の認知がないのである。
鍼灸の受療率が低いということは、「鍼灸がどのような効用が期待でき、どのような経過・どのような考えで心身にとって良い影響があるかということを説明する必要がある」ということではないだろうか。
鍼灸の受療率の低さを前に鍼灸師が考えるべきことは世間的な認知が低いことと、その接点となる現場では鍼灸の効用だけでなく回復までに描くストーリーや反応など丁寧に、そして根気よく説明が必要だということだ。
恐ろしいことに鍼灸師は鍼灸というものを当たり前に思っている。自分から好んで学校に入り国家資格を取ることをしたのだから鍼灸について知らないということは少ない。ただ自分が学なび当たり前になった情報量の100分の1も患者は持ち合わせていない。そして受療率が低いのであるから、患者の周囲にも治癒体験や通院経験も少ないというのである。
「低い受療率を高めよう」というのではない。率は結果として高まるものであり、自前の努力が簡単に反映されるものではない。それよりも自院に来た患者に不快な思いをさせないよう不安を少しでも減らすよう丁寧に対応すべきである。治療すれば満足するというものではない。そこに理解や納得、将来不安の解消や希望があってこそ信頼を勝ち取ることが可能になる。そこまで考えて対応しなくてはいけない。なぜならば受療率が低いのである。思っている以上に鍼灸の良さが世間的に認知されていないのである。


おわりに

客観的に考えて受療率が低いより高い方がよい。しかしながらその数値は意図するものではなく結果としてである。先述したように鍼灸院の経営スタイルはさまざまである。サロン的に1日何人と限定する鍼灸師もある。1人院であれば1日10人診ることで手一杯であろうし、兼業鍼灸師であれば鍼灸が補助的に使われれば何十人と施術できることも可能だ。その多様性を「鍼灸の受療率」という認識でひとくくりにするには無理があると意見した。
そしてこの指標は世間の鍼灸の認知度として理解するほうが正しい活用法となるだろう。鍼は刺すもの・痛いものという誤解もあるだろうし、東洋医学的な説明の真価も理解される前に不快なイメージが先行して敬遠されることもあるだろう。
鍼灸の普及啓蒙を各鍼灸師が図ることも大切なことである。それは鍼灸を受けることよりももっと手前の段階のことなのである。だから「鍼灸を受けましょう」「鍼灸が素晴らしい」というよりも「それは鍼灸が適応になるかもしれない」と選択肢の俎上にのぼることが大切なのである。
鍼灸師は鍼灸を知っている。その延長で患者すべてが鍼灸を理解していると錯覚しがちである。この低い受療率から学ぶべきことは、鍼灸師にとって当たり前のことでも世間では当たり前ではないということである。そしてそれら鍼灸師の当たり前をいかに端的に根気よく伝え続けるかという課題が浮き彫りになる。
自院の繁盛、自院の閑散の理由とするのではなく、鍼灸師それぞれが認知されていない現実を受け止め更に一歩創意工夫を心がけメッセージを継続することで自院の繁栄のみならず受療率の上昇にも寄与できるのではないだろうか。


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さいごまでお読みいただきありがとうございます。

この文章は鍼灸学術誌を作りたいと思っており、そのサンプルも兼ねております。内容には賛否があるのは十分承知しております。開業鍼灸師にとって新しい視点を提供する機会は鍼灸の普及啓蒙に必要不可欠なものと考えております。

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