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2024.1を振り返る

 今年のお正月のことを思い出すと、どうにもぐらっとする。地震なんていつ起きても仕方のないことだけど、なにも正月に来ることないんじゃないの神様地球様。酔いも醒めるし日本中のお祝いムードはものの16時間位で、そうだったここは災害大国日本だったんだと思い出されて、浮かれている場合ではなくなった。そんな幕開けであった。
 我が家も1月5日に薄着で出かけた長女が急性胃腸炎を発症、夜中じゅう吐き続け、病院に駆け込んだときにはすでに脱水症状を起こしかけていて、肝が冷える経験をした。もらいゲロしやすい私と長男も半日ほどグロッキーだった。今年は珍しく、インフルエンザにも罹患者が我が家から出てしまった。またしても持ってきたのは、長女だった。年に一度あるかないかの私の飲み会の日のことだったので、こういう予定を入れるんじゃないよと戒められているような気持ちになった。留守を任せた2時間後に電話がかかってきた。思えばその日から今日まで誰かしらにインフルリレーのバトンが渡されて、家には常に具合の悪い誰かがいることになるのだから、そりゃ私も多少はげっそりする。
 具合の悪い人というか、罹患して薬をもらうと割とすぐ回復するので、正式には元気だけど出校停止になっている人が家にいるということ。具合が悪いのは可哀想だが、元気だけど外に出られないというのもこれはこれで非常にタチが悪く、お互いのストレス値はなかなか高かったことだろう。
 そんなわけで、31日中15日体調の悪い人のお世話をするという1ヶ月だったが、そんなときにできる気分転換なんざもう勉強しかないわけで、私は狂ったように机に向かって問題を解いたり講義を聞いたりして、どうにかこうにか生産性の高い行動を取ろうとしている自分がいた。お世話だけをしていたら一日が終わっていたと言いたくない自分が、頑張っていたのかもしれない。もうテレビを見ても面白くないのだ。仕事も何本か入れられたのが、分厚い雲の隙間から太陽の光が注ぐような感覚で、嬉しかった。
 世の中的にも我が家的にも非常事態宣言だったのだから、日常が戻ってきただけでも感謝せねば。やりたいことと、役割としてふりかかっていることと、手を付けられなかったタスクが脳みそにも家の中にも散らかっているので、立春を迎える2月4日まで、少しはスッキリさせたい。
 久しぶりに無音になったリビングで、赤子の寝息だけが響き渡っている。
 

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