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[ なかいまかんかく ]

わたしは、わたしがしらない部分が広範囲に渡ってある、ってことを知っている。要するに馬鹿であり、無学であり、決して悲観なきあっぱれで。わりに品性は大切にしたいと思っている。昨年になってわたしのわたしに気付かせてもらったことは“文章を書く行為”が社会では「特技」などの類に当たるものだと教えられて驚いた。じぶんの値打ちはじぶんでは分からないようになっているのか。分かったら分かったでnoteの頻度が上がるとも限らない。むしろ、余計慎重になって条件反射が鈍くなった気がしたので得意意識に厳重な鍵をした。分かったっていいことばかりではないのだ。



「sanakaって、神道の“中今(なかいま)”ってことだよね」と展示に来られたギャラリーを経営されている博識者な方に言われたのを最近思い出していた。今中とは、“たった今の幸福に意識を向ける感覚”とか“たった今の瞬間に全力を向ける感覚”みたいなことをその日知ったけど、今となってその言葉が響き始めてる。



昨年初めて発売したzine[ 朦朧揚力(DIMLIFT/ディムリフト)]に詳細書いたけど、簡潔に言えば足下まっくらで何処にどう進めばいいのかわからなくなった2023年だった。

22年は、年始に「近い目標と遠い目標」を棒状にして、砂山の山頂に突き刺してそこに目指して向かっていく感覚を言語化してスタートさせた。目標を公言することで、何処に向かっているのか分かり易くなることがなんとなく良い気がしたのだけど間違いだった。それは道を走っていると時折見かける[日本一周中]の文字を段ボールに殴り書き、大量の荷物に括り付けた自転車のようなもので、やりたかったら掲げてないで反射にしたがって動き出せばいいと知っていた。それもやってみて気が付いたのだ。

しかも、22年は過去経験したことがある道を違う方法で向かっていただけで、23年からは未体験ゾーンに入ってしまったのだと後になって分かった。わたし自身何処を目指しているかは感覚的に掴んでいるけど具体的ではなかった。それからはこっちの方角がなんとなく良、、い、気が、する、か、、ら、どうか行かせてくださいよ!でやってきたから、途中で進路変更なんてザラで。それからは間違っても「やってみなきゃわかんないよね」で笑い事とした。やってみた反応に対して、姿勢を整えて戦略を練って未開を進むしかないからだ。

何かを成し遂げますとはいいません。何かをやると決めたときにだけ約束をします。それまでは「“たった今の幸福に意識を向ける感覚”や“たった今の瞬間に全力を向ける感覚”を確実にしていく」のと「その集中状態をつくれる環境と前準備を着実にしていく」の二つの志でやっていく。(それがわたしが向いているだけなのかもしれません。)



又、今の世界で遠くの未来を決めて着実に進めていく方が難しい感覚があって、sanakaは車で各地を巡ってるけど、すべてが繋がっているから戦争が進めば資源を海外に頼っている日本は燃料代が必然と高くなる。本当に必要な人に資源が届くべきだと思うから、“しばらくは展示を控えてオンラインに切り替えた方がいいと判断をする可能性”だってある。服を買ってる場合じゃない世界(現に戦後の日本でもつつましい装いが求められた)が訪れたとしても、服を着なくなることはないと思う。そのときにも最大限できることをするだろうし、わたしたちはできると思っている。

つまりはすべてが繋がっているのだから、良いものを良いこころでつくれてば、良いかんじょうがうまれて良いことばと思う。それはどんな場所にいっても正面で衝突できればそれは渦になる。二〇二四年、今中感覚を修得したらもう一つ先に進める気がしてる。

展示の表題は「あめ」から始まり、「いとをかし」、「うきよ」、「えそらごと」、「おばけ」、「かいかいきき」「きう」、「くおん」、「けいしょうするネイティブ」、「こうてんするいふく」に続き、今年は「さいしょにもどる」として、展示に向けて準備を進めていきながらまた何かみえてきたら輪郭をなぞってことばにしたい。

sanakaをどうぞ引き続きよろしくお願い致します。

佐藤好縈

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