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#3 交差する二つのモラル

▶︎似て非なる主張が衝突するとき

地域で暮らしていると、二つの現象が存在していることに気が付きます。

地域で暮らしていると、都市部から若い人がやってきて「あの看板、だせえ」「このチラシ、全然センスない」と言われることがあります。
地域で暮らしていると、地域の方がやってきて「チラシをつくってくれないか」と無償で頼まれることがあります。

この例は実体験ですが、これらの批判ではありません。
全く同じ状況が起こっていることに、互いに気が付いていないのではと思い、整理しました。

そこには、旧モラル新モラルが二つが存在していて、それらを理解をする事で理解し合い、共感し合い、心地良い距離感であれることを祈り、この記事を書きました。

このツイートは、オールユアーズ鹿児島開催を共に過ごした、なつぼりめぐみ(@megu_natsubori)さんの言葉。ぼくは、この言葉に共感してます。

(この言葉は、田舎者と都会人との対置ですが、)
互いに情報弱者と言うのに、二項対立をつくって気持ちが騒くのは、互いに尊敬の欠いた行動や言動が原因だと感じ、それが度々あります。

「なんで起こるんだろう?」と、ずっと考えていました。
答めいた物を感じたので、あくまで中立の立場をとりながら、話を進めます。

▶︎「贈与/交換」の体形が二つ。

二つのモラルについては、著書「楕円幻想論/その日暮らしの哲学|平川克美さん」を参考に、実体験を交えながら書き進めます。

著書では、古代社会モラル/現代モラル、交換/贈与
無縁/有縁、自己責任/相互扶助、ローカル/都会など
二項対立させることなく、行き過ぎた捉え方をせず、互いに折り合いをつけることが大切だと。

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新型モラルを語る前に、前提としてお金について触れておきます。

貨幣は、非同期的交換のための道具であり、現代のほとんどの等価交換は、貨幣と商品の交換という形式をとっています。

まず、非同期的交換とは、この長方形の紙(紙幣)は「腐らない価値」を意味して、どのタイミングで交換して良いというモノ。

近年の社会変化として、保育や介護にも貨幣が必要とされ、等価交換が行なわれているし、違和感がある時がありました(老人ホームで勤めている時)

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元来、ぼくたちは、例外なく二人の男女から生まれてきていて
(僕のような複雑な家庭でない限り)自分で価値を産めるようになるまでは、親心の元でスクスクと成長していきます。

人を生物と捉えた時、「食べる/寝る/排泄/種を残す」さえあれば存続でき、数十年前の暮らしを考えると、三人以上の兄弟がいた家庭が当たり前だった頃もあった。自分たちで「衣食住」を生産する機関(スキルや知識)が、各家庭にあったのだと思います。

現代の主流は、ちがいます。

「衣食住」を生産する機関を少しづつ外に出していきました。
現在では、女性が活躍する時代で、性の対象も多様となり、会社の領域を超えた働き方も増えて選択ができた生きやすくなったように思います。ただ自分で死を選ぶ方が増えているのも忘れてはなりません。また性の対象が多様となると、当然少子化が進みますよね。生物としては、歪になっていると捉えています。

「産んでくれてありがとう。」とあれば、「生まれたくなかったし、親が育てるのは当然じゃん」という態度を感じてしまうのは僕だけでしょうか。

そこあった無償の愛が有料になってきているとさえ感じます。

かつて(介護施設に入れる選択肢がなかったともいえますが)は、産んでくれたから終のすみかで、共に親と過ごすという贈与の価値観が強く、「やってくれたから、やってあげるね」は、恩や愛の贈与のような世界があります。

現代は、交換の価値観が強まっており「やってくれたから、同等価値で貢献するね」の交換の世界にシフトしてきたように思います。

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ここでは、
贈与の価値観交換の価値観」があるということだけ、ご理解下さい。

当然どちらが正しいとは思いません。
二つの焦点がグラデーションになっていることを認識して下さい。

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▶︎「有縁/無縁」の体形が二つ。

「有縁無縁」とは仏教の言葉で、それら全ての命が、たとえ直接的にふれあわなくともじつはしっかり繋がっているという認識を示したものです。

〈溢れ話〉
享保(1716−1736)の時代、初めての本格的な人口調査が行なわれ、当時の日本人は、約三千万人でした。
あなたには、二人の親がいて、祖父母、曽祖父母がいる。先祖が、現在の人口より多くないと計算が合わないので、皆親戚説があります。

「有縁無縁」の考え方には、贈与と交換の価値観と因果関係があるように思います。

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有縁はなにかと言うと、例えば旅行に行った時、「サクラちゃんが絶対喜ぶから、これ買って帰ろう!」となるのは、お土産を買った人の中で大切な存在で、心からの贈与の価値があります。

無縁はなにかと言うと、例えば「水道管が壊れた!」と困った時、専門的な知識をもった人が周囲に居ないと、貨幣と交換して困難をクリアしようとなりますね。

[問]もしサクラちゃんが、水道菅を直すプロだったらどうでしょう。
お土産のお返しに直してくれる場合は、贈与なのか/交換なのか。

[答]それは、互いの関係性によって心地よく決めたら良いと思います。
何より「対話」と「傾聴」が必要ですよね。
その関係が面倒に感じるのであれば、別の業者にお金を払えば解決する訳です。

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贈与の世界には、縁(信頼関係)が必要で、
交換の世界には、貨幣が必要なのが見えてきましたね。

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23才の頃、自分たちで「衣食住」を生産するスキルや知識を失って、貨幣を支払わないといけない世の中に疑問を感じて、百姓(100の仕事を持つ者)になろうと考えていました。

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▶︎何処かに残る旧モラル/持ち込まれる新モラル

では最初の例を用いて、捉え直して見ましょう。

[交換/無縁/新型モラル]
地域で暮らしていると、都市部から若い人がやってきて「あの看板、だせえ」「このチラシ、全然センスない」と言われることがあります。
[贈与/有縁/旧モラル]
地域で暮らしていると、地域の方がやってきて「チラシをつくってくれんか」で無償で頼まれることがあります。

(例として「チラシ」を置いていますが、何でも言える筈。)

まず、地域が地域に対して、情報発信する場合、センス(感性)を光らせてデザインする価値があるかどうか、問う必要があります。

何故なら、デパートのような商品が多く並ぶ中から、デザインや包装によって「選んでみて欲しい」ということより、混雑していない場所であれば、何しても目立ってしまいます。「情報整理が整っていて、見やすくなっている」が大切です。(地方のバス運行表ほど、見にくいものはありません。)

つまり若い人が、センスを感じない/魅力を感じないのは、単なる届ける先があまり考えていなかったそれだけです。現代に対応していなかったに過ぎないので、悲観さえありません。これからどうするかの方が大切です。

僕の暮らす地区には、1400人ほどの人たちが住んでいますが、地域の方々に届けるならば、高齢者が多いのでフォントは大きい方が読み易いし、センスが欠けていたとしても、世帯数600強の各家庭に情報が正しく届く事が、最大の価値となります。

何度も言いますが、対象にどんな魅力や情報整理して、テキストや視覚的に分かりやすいモノを作る必要性を感じています。

ただ対象が、全国や世界規模で知ってもらいたい場合は、話は別です。
地域が都会に対して届ける場合、都市部の人たちに感性を合わせる必要があるからです。

誰に届けたいかが、何より大切で。
それによって、モラルがどちらかに偏ると考えて欲しいのです。

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地域に寄れば、贈与の世界ですので、
近所の印刷屋さんと一緒につくってやるのもいいでしょう。
デザイナーさんが請け負う場合は、特にハイセンスなものを求めれていませんので、自分のできる範囲内、心地よくできる範囲内でやるのもいいでしょう。

贈与の世界では、何かやってあげた場合、非同期的に価値以上の事を返してくれたりが約束はありませんし、あくまで恩の渡し合いが大切です。
(過去に、庭の掃除を定期的にしてあげた近所のおじいちゃんに、車をあげると言われたことがありました。持ってたのでお断りしましたが。)

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都会に寄れば、交換の世界ですから、
何かやってもらう場合は、その同等価値の貨幣を支払う必要があります。

届ける先が、急に広くなったと考えて欲しいのです。
インターネットでは世界と繋がっている訳ですから、そこの中で際立てせる為には、デザイナーさんの知識やスキルに投資をする必要性をご理解頂きたい訳です。

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二つに比べて捉えた方が理解し易いので、あえて、地域と都会を対置させていますが、二つの焦点が人によってグラデーションになっていることをお忘れなく。

▶︎まとめ

贈与/交換、有縁/無縁、二つのモラルについて、説明しました。

[贈与/有縁/旧モラル]||||||||||||||||[交換/無縁/新型モラル]
この二つの焦点に合わせて、事柄に応じて、手段を考えていくことが、似て非なる主張の衝突を減らすヒントになるのではないかと思い、この記事を書きました。

これも何度も言いますが、あえて二つに分けて書いてます。
「私はこっち、僕はこっち」となっては欲しくなくて、うまくバランスをとってくれたらと考えています。

今回の話に関心がある方は、著書「楕円幻想論/その日暮らしの哲学|平川克美」の購入をお勧めします。本当にこの本を読んだおかげで、言語化できたことはたくさんあります。

結局のところ、モラルについて語っていますが、相手がどんなモラルをもっていようが、対話と傾聴と放任と承認が大切で、それができたら認め合える世界に繋がっていくと思っています。

「心地よい親密さ」と「優しい分断」を行き来する世界観で、地域で暮らしながら活動して行こうと思います。ありがとうございました。

※合間に挟んだ写真は、「曖昧さ」を表現しています。笑
サトーコーヨー

▶︎告知**

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第一回、未来クルーズ/指宿編です。
この企画は、旧モラルを磨き直し、新たなモラルを構築できたらと思ってます。肩書きのない世界で、アドバイスではなく問いを大切にできる仲間、自分の答えを磨くことで周囲に作用する力、関係の質/対話の質を上げることで自分の目指す世界に解像度が上がっていくことを目指しています。

指宿高校、山川高校、指宿商業高校の方々には是非参加して頂きたいです。
開催地は、御菓子司鳥越屋さんです。

是非、気軽に問い合わせ/ご参加ください!
詳細は、こちらから↓


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