#41 柔らかい武器
「愛嬌とは、自分より強いものを倒す柔らかい武器である。」夏目漱石がそう言った。と友人を通して、今日初めて知った。
愛嬌とは(辞書に書かれてることはわかるけど)なんだか分からない。
ただ自分の中にある「愛嬌」について心当たりがないか、考えてみた。あった。どんなひとだって赤ちゃんは両手でやさしく包み込み、抱く。どんなに見た目がこわい人だって、どんなに心が荒ぎ他人に冷たいひとだって、一人では生きていけない頃を経て、まわりの大人から包み込み抱かれ、生きてきた。
愛嬌とは、全ての人が経てきた赤ちゃんの頃からの〝儚さと無邪気さ〟を未だ持ち合わせているひとのことを言うのではないか。そう、思った。
もちろんこちらに(も)科学的根拠はない。
いつもの希望的観測に留める。
かく言う私は、未だ赤ちゃんの部分がある。(ただし、愛嬌とは私以外が感じる情報で自身にあるかどうかは感じ取れない。)
センサーの部分。
赤ちゃんがする人見知りは、母親と他人が分かるようになった証拠と言われることがあるが、実はこれは間違いだそう。
平成25年に科学技術振興機構が発表した研究結果によると、赤ちゃんの人見知りは、単なる「怖がり」ではなく、「近づきたい(興味がある)けど怖い」、という「葛藤状態」が原因である、ということが分かりました。
「葛藤状態」
ぼくは、未だにこれがある。
ことばに置き換えたり、行動に置き換えて、誰かに渡したいものがあるが、大体その瞬間に味わっているものは、すぐに渡せなかったりばかり。
こうしてことばを纏めて、置いておける場所があってうれしい。
特に最近は、ものを捉えるときに感度を上げるから、人見知り状態がつよくなって他人の目をみるのがつらくなってきた。目以外でみてるのだけど、そんなの言い訳になってしまうのだろう。
赤ちゃん状態はクリエイティブとして良いが、社会で生きるは難しい。
甘えてもられないけど頼れる人に甘えながら、バランスを考えながら、にっこりを渡せるようにしていきたいなあ。
柔らかい表現を。
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