#64 「光彩を放つと〝いいな〟」
誰にでも最初があって最期がある。その移ろいを観察したいと感じるのは、個人史に好奇心が沸くからだと思う。もっといえば私は私の観察をし続けていて、もし人生を本に例えるならば、私の本はまだ未発見の部分も見え隠れしているが、真ん中あたりまで読み終えたあたりで。次の目次は、sanakaの次なる展開、家族や仲間が増えていく、個の表現、その辺だ。私が誰かの人生に触れた瞬間、脳内にある本棚から無地の本を取り出して、背表紙にその方の名前を書く。話をする度に書き加えていく感覚がある。
今回、写真家平楓子さんを取材した。彼女にsanakaの服を撮ってもらったこともあるのだけど、彼女の写真は忘れてしまいそうな儚い日常の情景、小さな声に耳を傾けるように焦点を合わせ、その一瞬をスローにしてしまう。絶妙な時空の小さなひずみがなんだか愛おしいと感じる。彼女がどう始まってどう化けていったのだろう。
彼女とカメラの最初を尋ねた。
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話し手_平楓子(以下、平)
聞き手_佐藤孝洋(以下、佐)
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「壊れた電池式カメラ」
佐)写真は、いつからはじめたの?
平)小学校かな、、?
お年玉で買った記憶があるんですけど。通信教育の赤ペン先生で何かもらえるじゃないですか?今後使えるものが良くて「カメラ」を選んで、それが選択として大きかったんじゃないですかね。そのカメラは結果的に全然使えなくて、ちゃんとしたのが欲しいからデジカメを買ったんです。小学校の頃から残るものが好きだったみたいです。
中学校は美術部で資料を撮りにいくんです。そのとき担当の先生が「これは絵を描くための写真じゃなくて、絵にできない写真だよね」と言われて「あーそうかー」となって。
佐)その時から今の心象風景のような写真の目覚めがあったのね。
平)好きな物を撮っているから仕方ないなーってなりましたね。
佐)撮り始めたのは何かの影響だったの?
平)「自分を辿る」って授業みたいなのがあって、そういえば家にはたくさん写真があるのを思い出して。家に元々フィルムカメラはあって、多分お母さんが撮ってたんですよ。
佐)フィルムもデジタルも身近にあったんだね。幼い頃から周りに自然とあって「写真」を選ぶことが特別じゃなかったのね。
平)そんな感じだったかもですね。「この写真は構図がどうで」ってみるのが、どうもできなくて“いいなー”って感覚でみるのがすきなんです。
佐)本当にタイプによって、カメラの機能や構造の楽しみ方ってあるよね。男性的な思考と感じてるんだけど、古着でも「この年代しか使われていない技法で」「このタグがその印で」「おおおお!」って分かるから価値は感じるんだけど。僕はその価値基準を優位に捉えらえられないんだよね。
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「変革期」
佐)写真の専門学校で大阪に行ってたじゃない?
進路はすんなり決まったの?
平)高一のとき、三者面代で親に完全否定されてましたね。親が安定第一みたいな思考なので「それで食っていける訳ないだろ」「カメラを与えなければ良かった」とまで言われました。それで“私は敷かれたレールの上をいかなきゃなのか、、もういいや”ってなってしまって。私が精神的にしんどい姿を親もみてるから最終的には「写真の学校に行かせないと死ぬかと思った」って言ってましたね。笑
でも、高文祭で賞を取って全国(大会)に行ったことがきっかけとして大きかったと思います。
佐)すごいね!どうしたって比べられてしまうような学校生活で、賞をもらうってひとつ精神衛生上助かる部分はあるね。
平)その頃“めっちゃ写真撮ろう”って決意したきっかけがあって。高一の大会では、賞にひとつも引っかからなくてそれ自体も多少悔しかったんですけど、同級生の子がカメラ買いたてで撮った写真がその年の大賞に選ばれてて。なんだか、それが追い打ちのようになってですね。
それからネットで「写真撮らせてもらいませんか?」と被写体募集の声をかけて、他の写真界隈に足を踏み入れるようになって沢山撮りました。笑
佐)その悔しい体験は大事だったね。
努力が実って一年後ちゃんと成果が出た感覚があるね。
平)良かったです。何処にいくでもカメラを持っていって、あれだけ写真撮ったら評価が付いてくるんだって自信になりましたよ。全国大会は思ったより評価は得られなかったですけど、写真家さんから良い講評を直接言ってもらえて安心しましたよ。
佐)そのときも既に今のような心象的な写真になってた?
平)先生の言葉で「気持ちが写真に出るから」とよく言われて、こっちは写真は楽しいまま撮ってるのに、何処かさみしい感じに思われてしまうのも自分の心の底に在る部分の表れなのかなと思えてきた気がします。今ではすきですよ。
佐)話を聞いていると、高2から3年までの1年間、3年から専門までの1年間で内面の深さが変化してて「賞取れたからよかった」から「自分の撮りたいもの撮れてよかった」に推移してる。楓子さんはいつも自分の好きなものを撮れてるからOKで、他者からどうの思われてもぶれない芯がある感覚です。
平)確かに賞が羨ましいと思った頃とは違いますよね。
佐)何か専門学校できっかけがあったの?
平)高校までは好きなものを撮るから、専門に入ってテーマを決めて撮るに変わって「撮りに行きたいから撮る」じゃなくなりましたよね。
写真を撮る方には、テーマを設けてどういう撮影が必要と考える手法をする方が一定数いて、自分はそっちじゃなくて。私は撮ったものの中から「これ!」って選ぶ人間ですね。
佐)「なんかいい」じゃ罷り通らない世界線があるね。でも、楓子が撮ったからOkってなりそうに感じてる。テーマに合わせて撮るか、撮影後にテーマに合うものを選ぶかの違いなだけであってスタイルが認められたらいいからね。
平)いけるのかなー笑
佐)写真がきっと物語っていくよ。
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「感覚的な捉え方と思考的な捉え方」
佐)撮るときに意識してることってある?
sanakaの写真を撮ってもらったとき、迷わずに撮ってる感触があったから。
平)あー迷ってたら逃げていくので。その瞬間撮るしかないですよ。そのときも「いいな!」って感じなんです。同じポーズをお願いしたとしても「いいな」はその瞬間にしかないから。
佐)確かになんか違うって「なんか」が邪魔になっちゃう。しかも楓子さんは撮るのと選ぶのと異なる行程だけど、どっちも反射的に早いよね。きっと撮るときと選ぶときも「いいな」の感性が強くあるんだね。
平)厳選された大きいと小さい「いいな」がある感覚ですかね、、。
佐)感覚的な「いいな」だけど、曇った曖昧なものから彩度があるものまで左右する。
平)一眼のフィルムだと撮れる枚数に限りがあるから、より厳選した意識で撮ってるんでしょうね。
佐)楓子さんの「いいな」センサーは磨かれて育ってて、写真を撮るって一瞬だけど、その一瞬に十数年込められた感覚が反射してるから。数値化や言語化は困難だし、それが言葉の代わりをしてますね。
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「欠けたものと満ちたもの」
佐)個展「ワタシノハナシ」はどう始まったの?
平)最初に専門の卒業制作でつくったのが「わたしのはなし」シリーズですね。タイトルが全然決まらなくて、写真をみた先生は「散歩の写真だ」と言ってましたね。自分は作品をつくる人じゃないなーって困ってて。
自分は一般家庭で生きてて、満たされてるのが、、凄く嫌で。学校の先生が作品を紹介するときに「こいつの家庭は、、、」って話を始める。“そんなのがないと駄目なのかな?”て気持ちになるから、私はどうでもいい話がいいなと思って「ワタシノハナシ」になった気がします。
佐)僕自身、欠けてる部分を持ってるから得体の知れない影響力も知ってるから余計に取り扱いが難しいし、大切なところだよね。世の中には色んな作品や情報があり過ぎる中で原体験として強いエネルギーに映るし、見る側からしたら分かり易いタグになってて、感動し易いものになってしまう。よく注意して受け取らないといけないと思うよ。でも、欠けてると満たされてるはセットだから。満たされているものは同じくらい凄いエネルギーなんだと思うよ。
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佐)個展「ワタシノハナシ」は続いていくの?
平)まだ告知あんまりしてないですし内容も決まってないですけど、来年の始めにやろうと考えています。慕ってた先生に昔言われた言葉で「言いたいことはないけど、見せたいものがある」と。確かに全部の写真がある一つの空間が一つの作品で、それをみてもらいたいと思って。
個展「ワタシノハナシ」は、25歳で終わらせると決めていて、最終的に本にしたいと考えています。
佐)それは楽しみだ、写真家平楓子が以降どんなものが撮りたくなるのかずっと追っかけていきますね。
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「まとめ」
彼女との対話を経て、「感覚的な捉え方と思考的な捉え方」「欠けたものと満ちたもの」のテーマが浮き彫りになった。いつも私は言語化できることの優位性に怯えている。小学校の道徳の時間「環境問題」がテーマのリべートで何にも言えなくて喋るのが得意な子が評価されていたことや会議で意見を言える人が物事を進めていくことにいつも違和感がある。言葉にならない感覚的な者の小さな声は何処に届くのだろうと思うから、話を聞きたいのだと再認識することにもなった。そして彼女もまた心の「いいな」と云う小さな声を聞いて写真を撮る。言葉を越える瞬間が在るんだと私は証明したい。
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