自信と過信

幸福の自己責任論では自分で自分を大切にすることで自己肯定感を高める生き方をご紹介しています。でも自信がありすぎるのも問題ではないかという疑問を持たれる方もいるかもしれません。そこで今日は自信と過信について考えてみたいと思います。

まず自信には3種類あると言われています。それが自己肯定感、自己効力感、自己愛です。それぞれみていきましょう。まず自己肯定感とは自分の存在に対する自信です。「ありのままの自分には生きる価値がある、愛される価値がある存在だ」というような、在り方、Beingへの自信ですね。

それに対して自己効力感とは自分の能力に対する自信です。「頑張ればきっとできる」というような努力やDoingへの自信です。自己肯定感が今の自分への信頼であるのに対して自己効力感は未来の自分のへの信頼という面があるため、通常これら2つはリンクします。どちらかが上がれば両方上がっていくイメージですね。

最後に自己愛とは他者との優位性から得られる自信です。これはナルシズムへの邦訳ですが、どちらかというと優越感に近い概念ですね。優越感に依存して生きるようになると自己愛傾向が強いなどと形容されます。自己肯定感との鑑別法としては自己愛が強い方は自分だけを高く評価する傾向がありますが、自己肯定感が高い方は自分も周りも高く評価します。

過剰な自信についてですが、まず自己肯定感が高すぎると自分が大好きになり人生も大好きになります。基本的に物事の良い面を見るので人を好きになりやすく、その反面人に騙されやすくなるかもしれません。まぁ色々な人がいるのでなるべく一緒にいて後味の良い人と一緒にいましょう。天真爛漫で好奇心旺盛でマイペースで素直な感じになっていくので、言葉は悪いかもしれませんがお昼寝する犬や猫みたいな感じになりますね。

自己効力感が高すぎると大きな目標を抱くようになります。相応の自己肯定感が伴っていれば何度失敗しても諦めないのでやがて達成してしまいますが、自己肯定感が足りていないと失敗の連続に耐えられずいつか挫折してしまうかもしれません。そうならないために最終目標はワクワクするくらい大きくても良いので、日々のノルマは毎日続けられるくらい小さくしたいものです。

過剰な自信が最も問題化しやすいのは自己愛でしょうね。自己愛が強まるほど自分の優位性を維持するために自慢や悪口などのマウンティングで忙しくなり自分も周りも疲れてしまうことがあるためです。そもそも優越感って誰かを見下すことで得られる反面、誰かを見上げた瞬間に失われる快楽なのでどうしても依存しやすいんですね。

このように何かと悪者扱いされることが多い自己愛ですが、もちろん良い面だってあります。それは自己肯定感が低下したとき一時的にその穴を埋めてくれる自己防衛になる点と、自分の優位性を死守するために努力家になりやすいという点です。それらにより自己肯定感の回復を待つ間のかさぶたのような効果があるんですね。

大切なのは自己愛に依存するのではなく利用することです。その際、自分の優位性を保つために周りを下げる方法は楽は楽ですが周りからの反感を買いやすく、努力が不要なものの後味が悪くなるという快楽の要素が強くなります。これに対して自分を高める方法は努力が必要なものの後味が良くなるという充実感の要素が強くなるので、より早く自己愛を卒業できる方法でしょう。弱い犬ほどよく吠えるとか、実るほど頭を垂れる稲穂かななどと言われるように本当の自信がつけば人は謙虚になり、自己愛を手放してていくんですね。

まとめると自信には自分の存在への自信である自己肯定感、自分の能力への自信である自己効力感、他者との優位性から得られる自己愛の3つがあります。自分で自分を大切に生きることで自己肯定感と自己効力感は高まっていき、逆に自己愛は弱まっていきます。もしも過剰な自信(自己愛)が問題になっているなら、そんなときこそ自分で自分を大切にすることでバランスを整えていきたいものですね。

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