人生を100%肯定するということ

幸福の自己責任論では幸福度と自己肯定感をセットで高めるために自分で自分を大切にする生き方をご紹介しています。幸福度と自己肯定感が深く関連する理由として、人は自分を肯定できる分だけ自分以外のことも肯定できるので、もしも自分を100%肯定できれば人生を100%肯定できるようになると考えるためです。そこで今回は人生を100%肯定するということについて考えてみたいと思います。

人生を100%肯定できたらそりゃ幸せそうですよね。それどころか人生を60%くらい肯定できれば充分に幸せそうな気もします。では10%ではどうでしょうか。何かを肯定できるのは10回に1度くらいという視点です。確かに否定的な見方をする9割はしんどいかもしれませんが、その分だけ肯定的な見方をする1割にはものすごい希少価値が出そうです。ためてためてドカンって感じですね。山あり谷ありで波瀾万丈かもしれませんが、振り返れば刺激的で何とも味わい深い人生だと言えるのかもしれません。

次に成長の余地についてです。これ以上はもはや成長できない程に成長してしまうと、伸びしろがなくなってしまいますね。例えばレベル99のドラクエが楽しいのか、宝くじが大当たりした人はその後どうなっているのかという問題です。個人的にはお金が十分にはなくて、未熟さも残り、失敗だってするし、ついつい快楽にハマってしまうような伸びしろがある時期の方が逆に楽しいのではないかと思います。成長の余地があるからこそ上を目指せて楽しいということは、人生って完璧じゃないからこそ逆に完璧なのかもしれません。きっと谷があるからこそ谷と谷の間が山になるんだし、悲劇があるからこそ悲劇と悲劇の間が喜劇になるんでしょうね。

そんな山あり谷ありの完璧じゃない人生には完璧な正解なんて当然ありません。そんなものがあったらとっくの昔に人類の共通見解になっているでしょうし、正解を見つけたかどうかで幸も不幸も決まる世界なんてつまらないですよね。それよりは1人ひとりが自分なりの答えを見つけて良いし「これが答えだ」と言えばその通りになる人生の方がずっとずっと楽しいと思います。

実際に世界はとっても柔軟です。みんな何だかんだ言いながら自分なりに生きてますし、どんな生き方でもその人にとっての正解となりうるんですから。答えは人生の数だけあるって言いますもんね。逆に考えると、人生のすべての選択肢ってそのどれもが正解なんじゃないかと思います。どんな生き方をしても良いし、それぞれのゴールがある。人生の楽しみ方ってきっと無限大なんでしょうね。

ただしどんな選択にも結果が伴うし、時にはその結果に後悔することもあるでしょう。もしも後悔から学ぶことができればいつだって軌道修正できますが、その後悔に耐えられず自ら旅を終わらせてしまう人もいます。だからどんなルートで歩もうが、どれだけ遠回りしようが、結局のところは後味さえ良ければそれで充分なんだと思うのです。後悔と充実感はどっちも後味なので、後味の良い人生とは後悔のない充実した人生のことですからね。

だから人生最期の瞬間に「何ひとつ悔いのない最高の人生だった」と言えるように、自分の人生を100%肯定できるように、ゴールから逆算して今を生きる。それが幸福の自己責任論の目指すテーマであり、日々の後味を最優先する理由なんです。要は後味ってそれぞれのゴールへの道しるべなんですね。後味をコンパスのように使うだけで少なくとも迷子にはならなくなるし、遠回りしたいときは安心して遠回りできるし、近道したいときは最短ルートを近道できるようになります。そうなればもっともっと自由自在に自分の旅を楽しめるのではないかと思います。

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