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損得以外で考えるってなんだろう

「損得でしか考えられないのか」

という言葉を見て、ひどく違和感があった。

損得以外の評価軸ってなんだろう 。


人間は基本的に、自分にとって損か得かという評価軸で行動すると思う。

お金だけじゃなくて、感情もそう。

いくつか並んでいる食べ物の中から、何を選ぶのかといったら、おいしいものや、栄養になるものを選ぶ。

何も条件がない中でわざわざ見た目が悪かったり、まずいものは選ばない。

ボランティアのような他人に尽くすような活動でも、自分の心が気持ちいいから自分にとって得だ。

遊びも楽しいから得だし、自分の興味があるものを勉強している時も楽しいから得だ。


損得以外で人間が行動する場合を考えてみよう。

一つは伝統や宗教

特定の行動の禁止や、決まった行事をやることは個人の損得とは関係がない。

こういった、自分の感情や経済とは切り離された、集団的、文化的な活動をする場合が当てはまる。

一つは依存

例えば、たばこはからだに悪いしおいしくはないし経済的にもよくないけどやめられない。

これも、脳からの命令という、損得以外の要因が働いている。

一つは反射的な反応

例えば、小売店や飲食店で、少額商品のクレームに対して延々と時間を使っている人は損得で動いていないだろうと思う。

犯罪を犯そうとしてやめる人間は、罰のリスク、心の重さを考える。考えずに実行する人間は損得では動いていないということになる。

「殺したいから殺した、そして捕まった」場合は、当人にとって満足感があれば得だけれど。

純粋に人を好きになる瞬間というのもそれが得かどうか、とは関係がないかもしれない。下心があれば「得をするかも」という気持ちはあるだろうけど。

一つは 複雑な問題

損得でよく話題になるのが結婚。

結婚は損得ではない、と言われるのだけれど、損して結婚しようとするなら誰とでもよいわけで。

自分にとってベスト、最も得になるパートナーを普通は選ぶ。

ただ、損得の軸で計測するのが難しい、ということだけだと思う。

要素が複雑だし、未来が不確定すぎる。

なので、損得の評価軸だけではなく、ある程度直感と勢いに頼るのが正しいと思う。


まとめてみると、損得以外で動く場合というのは、理性的よりも野性的、もしくは規範的だというのがわかる。


損得で考えて行動しない人間、ということは「自分で選択をしない人間」ということにはならないか。

損得以外で考えろと言う人は、「自分で選択してこなかった、または、できなかった」さらには「 自分の夢や欲望と向き合う事を諦めた」のではないか。


おまけに「損得でしか考えられないのか」というフレーズを使うような人は、自分より高学歴な人に「頭でっかちなだけ」みたいな負け惜しみを言いそうだ。

その言葉には「俺はお前より優秀だから損得以外で考えられるぞ」というマウンティングが見えるような気がする。

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