座敷童

ライブ遠征で岩手に来た。いつも仲良くしてくれる座敷童のまなみちゃんの家に泊まることになった。座敷童とは言っても、まなみちゃんは人間だ。岩手から東京に出てきて座敷童のまなみちゃんとして音楽活動をしている。
そこで、対バンした事をきっかけに座敷童ちゃんの地元、岩手遠征をして、座敷童ちゃんのお家に泊めてもらう事になった。

玄関にはいると、木の匂いに包まれた。懐かし匂いだった。ボスに挨拶しなきゃ。と座敷童ちゃんのお母さんが冗談っぽく笑っていた。
おばあちゃんの前に、正座をして挨拶をする。おばあちゃんは、よく来たね。とにこにこ笑った。座敷童ちゃんの妹が人懐っこく小走りで近づいて来て、私に挨拶をしてくれた。お姉ちゃんの座敷童ちゃんに、抱きつく姿が可愛かった。仏壇の前でみんなで並んで手を合わせた。
仏壇に手を合わせるのは、久しぶりだった。

私は、つい先日、お雛様を取りに実家の鍵を借りて、上がったばかりだった。お母さんのお見舞いの帰りに、私が産まれた時のお祝いにもらった2段飾りのお雛様を取りに寄った。誰も住んでない家は、ガランとしていた。家具や、物はそのままなのに、殺風景で住んでいた頃とは違う家に感じた。私は仏壇に手を合わせる事もなく家を出た。

おばあちゃんが生きてた頃は、実家に帰るとまず、仏壇に手を合わせるように言われた。
ご先祖様への感謝や、無事に今日も過ごしている事のお礼を言った。小さい頃から、仏壇に手を合わせ、今日も無事過ごしている事に感謝するように教わって育った。

私は、私のおばあちゃんの鈍った喋り方も、何かしてもらうと食べ物でお礼をする所も、野菜を作って隣の家に持って行くと、魚になって帰ってくる所と好きだった。そんな風習の中で育った事を、自慢に思っていた。

学校から帰って冷蔵庫を開け、おやつに食べるのは、ぬか漬けや、焼き芋だった。トマトを丸かじりする事もあった。友達が家に来た時、おばあちゃんが、お茶菓子ではなく、白菜のお新香を出してくるのを姉は嫌がったが、私は好きだった。ただ唐突に、どこの子だ?と自己紹介を求めたり、挨拶の声が小さいとお説教が始まるのは勘弁して欲しかった。おばあちゃんは昔ながらの厳しい人で、楽しく会話したいのに、いつもすぐにお説教が始まる所が嫌だった。

座敷童ちゃんの家は、懐かしさと暖かさを感じた。岩手の街を嬉しそうに紹介してくれるお父さんも、冗談っぽく突っ込むお母さんと座敷童ちゃんの会話も聞いてて心地く、笑顔に包まれていた。私の家は、冗談を言い合って笑うような環境ではなかったので、少し羨ましかった。

私は、座敷童ちゃんの家族にとても、良くしてもらった。沢山の思い出も思い出させてくれた。岩手の山々や、雪、寒さも全部、私が見たものや、感じたものが、神秘的で日常とは違った世界だった。そんな大自然の中で、歌う事が出来たのも、貴重な経験だった。

東京からはるばる来てくれた、オタクと呼ばれるファンの人と、わんこそばを食べたり、ソリをしたり、雪の中で凍えたり、一緒に居られるのが嬉しかった。遠征は夏の山梨ぶりで、あの日の空も青くて、綺麗だった。川も緑も、雪も空も、全部綺麗だった。私は、みんなと過ごせて、本当に楽しくて、本当に幸せだ。

もっと雪に埋もれて遊びたかったな。黄色いボードみたいなのにも乗りたかったな。そんな事を考えながら、帰りの夜行バスの中でみんなのツイートをみた。

岩手を離れ、東京に帰っても、一緒に過ごした極寒の岩手を思い出したら、幸せな気持ちになるんだろうなと思った。そして、私と過ごした人達が、私を思い出して幸せな気持ちになってくれたら、こんなに嬉しい事はないな。と思った。座敷童は、幸せをもたらす。と聞いた事があるけど、私は岩手から来た座敷童ちゃんと、オタクに、楽しい時間をもらい、とても幸せです。


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