小日向由衣物語③

コロナウィルのニュースが流れることが増えてきていました。最初は、寒いこの時期に流行ってしまっているのだろう。未知なるウィルスだから感染するのは怖いなぁ〜。日本で流行らなきゃいいなぁ〜っくらいに思っていました。規模の大きい会場やメジャーな人達が次々とライブを中止していく中、マスクと手洗いをすれば必要以上に怖がることがないという意見や、経済を止めるべきではない。と言う意見や、自粛をするべきだ。と言う意見に分かれていきました。

私の規模なら、マスクや検温、消毒を徹底し、注意をして開催すれば問題ないだろう。との判断で、月見ルワンマンを無事開催する事が出来ました。前回の鹿鳴館と比べると、中盤からチケットが伸び悩み、キャンセルもありました。だけど、何事もなく無事開催出来てたのは、今振り返ると幸運だったと思います。何事もなくて、本当に良かったです。

月見ルワンマンでは、何も出来ない小日向由衣が月へ帰ってしまうのだけど、みんなと一緒に歌いたくて戻って来るという内容にしました。バンドとアコースティックと両方やれて、やりたい事が出来る事が幸せで本当に幸せでした。水色という曲を歌いながら振り返った時に、会場のみんなが、水色のサイリウムを振ってくれました。水色の歌詞の中にある『澄み渡る空の水色。憎らしいほど綺麗だ』と、目の前の景色がリンクして、胸が潰れるかと思うくらい綺麗でした。映像を見る度に、あの日の自分が羨ましくて嫉妬してしまいそうです。

月見ルワンマンの後も、『夢じゃないよ』のリリイベや対バンライブに出演している中、緊急事態宣言を検討している。というニュースが流れて来ました。状況を見ながらライブやリリイベをストップさせようと毎日判断をしてきたのですが、いよいよ活動自粛をといけない。と思いました。いつまで自粛が続くのかわからない状況に不安もあったけど、1ヶ月もすれば元どおりの日常がきっと戻ってくる。と思いました。ライブ中に、みんなの顔を見ていたら、離れていても届けられる事を考えよう。と思いました。もし、ライブが出来ない状況が長く続き、みんなの中でライブハウスに通う習慣がなくなってしまったら?という不安もありしました。絶対また、みんなに会うんだ!その為には今を乗り越えてやっていかなくちゃ。と思いました。

自粛前最後のライブ映像を見ていると、みんな声を出してコールをし、エンタメは死なないぞ!と私が言うと、みんながオーと答え、笑い声が会場を包んでいます。エンタメは死なないぞ。と、言ったからには、みんなに会えなくなるのは寂しいけど、前向きに楽しい事を届けよう。と思いました。

それからしばらくすると、緊急自体宣言が出され、自粛生活が始まりました。スーパーやコンビニに食糧を買いに行く以外は家で過ごしました。元々引きこもり気質があるので苦痛ではなく、私だけではなく世界が止まってるのだから。と思うと、充実していました。普段やりだすとハマって生活に支障をきたしてしまうので、ゲームはやらないようにしていたのですが、ゼルダの伝説を始めました。勇者になって世界を救うのが楽しかったです。封印されていたプレステを引っ張り出して、バイオハザードやクロックタワーをやりました。運び屋チームに教えてもらい、配信も出来るようにしました。自粛中にYouTubeの登録者数を上げたくて、YouTubeでゲーム配信をしました。料理動画も上げました。映画も沢山見たし、読書もしました。いろいろな物に触れると、心が動かされるので充実していました。作曲活動に活かす為にも、今の感情をインプットしておこう。と思いました。

自粛生活にも慣れて来た頃、返品処理された『夢じゃないよ』のCDが大量に送られてきました。途中でリリイベもストップしてしまい、外出する人も居ないのだろうから仕方ない。ニュースでは、今の状態がまだ何年か続くかも知れない。とか、見通しが立たないなど言っていました。いつかまた、リリイベの続きができる日まで頑張ろう。と思いました。

今のうちに新曲を書き溜めておこう。ネットショップを使ってCD-Rで売ってもいいし、ダウンロード版で販売も出来る。と思いました。数年前から日常で感じた事を書き留めておくのが習慣になっていた歌詞の走り書きや、ボイスメモに録音していた鼻歌を聞きました。何も感じません。自分で書いたはずの文字にも声にも何も共感できず、それがただそこにあるだけでした。ここから何を膨らませばいいんだ?この感情が古くなってしまったせいだろうか?だからと言って、新しいアイデアも言葉も出てきません。制作に集中できないまま、時間ならいくらでもあるんだし。と思い、ゼルダの伝説の続きをしました。

それから、何度か作曲をしようと試みるも、全然曲が作れません。いい加減焦り始めます。枯れてしまったのか、作る気持ちに持っていけません。作りたい種はいつもあって、追いつけないくらいだったのに、種がうまく膨らませられない。というより、作りたい種ごとない感じでした。初めての経験でした。何で作れないんだろ?いつまでに作りたい!という、期限がないからやる気になれないのかな?夏休みの宿題もいつもギリギリだったしな。と思い、ごろごろした毎日を送っていました。

世の中ではそろそろゴールデンウィークが始まるらしいです。いつもなら、ライブで忙しくなる時期だけど、ずっと休んでいます。今年は例年のように、ライブの予定をいれなきゃ。って頑張らなくていいんだ。気楽だなぁ〜って思い、ゲームのスイッチを入れた時、何してんだろ?と思いました。

ライブがしたいな。抑え込んでいた感情が込み上げて来ました。世界での死者も増えていて、みんな大変な思いをしています。だから、わがまま言ってはいけません。ライブが出来ないならせめて曲を作りたい。なのに作れない。大変な時だからこそ明るく前向きに楽しく過ごしている姿を見せたいと、実際楽しく過ごしていた事も、人の居ない深夜の街が映画の中みたいだった非日常的な感覚も、のんびりと好きなゲームが好きなだけ出来る環境も、毎日繰り返される日常になり、いつ寝てもいつ起きても特に支障もなく、起きたからなんとなくゲームをする。暇だから映画を見てみる。に変わっていました。こんな毎日いつまで続くんだろう?いつになったら会えるんだろう?ちゃんと自粛して毎日を楽しく過ごしているけど、いつまで?そう思うと、涙が出てきました。

私は15分〜20分ほどの時間を何処かしらで歌って来ました。月に何本もライブがあるので、気が向いた時にお客さんがふらっと立ち寄れる環境でやってきました。私はスパースター的な存在になれなくても、ちょっと気が向いた時や元気が出ない時に来て、ライブを見ていい日になったなぁ〜。って思ってくれたらいいな。と思って歌って来ました。だから、私がどんなにみんなの事が大好きで、また会いたい。と思っても、みんなの中で、元気がない時にふらっと立ち寄れる場所がライブハウスでは無くなってしまったら、私が存在出来なくなってしまいます。

メジャーな人達みたいにCDを出しても売れる訳ではありません。CDが売れない時代と言われているけど、私ほどではないと思います。サブスクを解禁すれば沢山聞いてもらえる。と言うわけにもいかず、部屋では返品された大量のCDと生活をしていました。ベイスというネットショップでCDを売り出してはいるものの、一向に減りせん。

私のように、知っている人の数が圧倒的少ない人は、毎日のライブの中で生で見て聴いて感じてもらう機会を多くして音源を売って来ました。ライブを見て好きな曲だったので家でも聞きたいとか、何度か聞いているうちにだんだん欲しくなったとか、今日の思い出に1枚買っておこうとか、活動に対する応援の気持ちとか、理由は様々ですが、お客さんは地下アイドルの文化や、キャパの小さいライブに慣れ親しんだ人達が多く、私達は一般的に知られていません。地道にコツコツライブを積み重ね、いろんな事を共有してファンと一緒に少しずつ広げて来ました。返品されて積み重ねられた『夢じゃないよ』だって、リリイベをしてライブをして、地道に少しずつ知ってもらい、広げて行きながら売っていくつもりでした。そのライブが出来ないんじゃ、この段ボールの山だって減らせません。頑張っていい曲出来た。っていくら私が思ったって、歌えないじゃん。本当は、念願の全国流通だったのに、店頭にも並ばず、リリイベも途中でストップしてしまい、あっという間に返品されたCDの山にダメージを受けていました。

私、コロナに負けない。って思いながら全然負けてた。そう思った時に、今しか作れない曲がある!と思いました。本来なら7月の生誕に向けて、忙しくライブしてる時期のゴールデンウィークなのに、ライブが出来なくて悲しい。週に1回くらいは会えてたのに、みんなに会えないのさみしい。当たり前のように歌って来たのに、まだまだここからだって思っていたのに、歌えないの悔しい。だから、今の気持ちをライブが出来なくても届けたくて、7月の誕生日に向けてアルバムを作りたいと思いました。ベストアルバムに含まれていない曲が8曲あるので、新しくレコーディングし直し、新曲を4曲作れば12曲入りになる。と思いました。

なりすレコードの平澤さんに連絡して、7月27日を発売日にアルバムを作って流通させたい。と伝えました。最初は、夢じゃないよ。のリリイベが途中で中止になり、アルバムを作ってもリリイベもライブも出来ない状況で発売するのは賢くない。もう少し時期を見た方がいいんじゃないか?今はベストアルバム『夢じゃないよ』を売ることを考えよう。と言われました。私は、今作って売れなくて赤字になっても、リリイベが出来なくても構わないから出したい。と伝えました。『夢じゃないよ』は、次のアルバムが良ければセットで売れると思うし、私はこの先もずっと地道に売って行くから、いつか売り切ります。と伝えると、じゃー作るかー。と言ってくれました。

アルバムの題名は、ベストアルバム『夢じゃないよ』を発売した時、次のアルバムタイトルは『明日咲く』にしようと決めていました。今の自分の気持ちにぴったりだと思いました。むしろ、明日咲くを今出さなかったらいつ出すんだ?と、さえ思いました。ここから私の『明日咲く』快進撃が始まるのでした。

続く


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