みんなへ。すごく大切な気持ちだから恥ずかしいし怖いけど読んでほしいっぴ!

子供の頃から曲を作るのが好きで、1人で留守番をしている日も、小学生の頃犬小屋で寝転んでる日も、中学生の時母親との喧嘩が激しかった時も、鼻歌で曲を作っていました。
大人になってからも、レストランでバイトをしながらお客さんの少ない時間帯に、1人で調味料の容器を洗うんだけど、毎日曲を作って仕事をしていました。たまに名作だ!と思っても1時間後には忘れちゃいました。

当時は、音楽活動をしていなかったし、誰かに聞かせるわけでもないし、録音もしていないから何も残らないのに考えるのが好きで、こんなメロディーで間奏はこんな感じで、ラストは突然終わったらカッコいいなぁ〜とか考えて楽しんでました。悔しい時に泣きながら口ずさむと気持ちが整理出来たし、落ち着いて我にかえると、いい曲だったのに、もう歌えないのが勿体ないな。とか思ったりしました。まぁ個人的趣味ですね。

本当は高校生の時にバンドをやりたかったんだけど、歌謡曲以外は罪。ライブハウスは不良。って言う家庭だったので、私の中に選択肢はなく、卒業したら家を出る為に就職しようと思いました。それからもバンドやりたくてもうまくいかなくていいろいろあって、最近遠回りに遠回りを重ねて、ちゃんと形に残せる作り方が出来るようになって、どんな音でどんな世界を表したいのかとか悩むようになって、寝てる時以外、いや、寝てる時でさえ曲を作っていると言っても言い過ぎじゃないくらいアルバム制作中は取り憑かれるし、私のずっと考え続けてしまうという性格もあるのだけど、日頃から、常にこの気持ちは歌にしよう。って思うようになった。

子供の頃から気持ちをメロディーに乗せて歌うのが好きだったのは、ひとりの時間が多くて本当に膨大に暇だった事と、寂しい時に歌詞にして歌うと寂しいのは自分じゃないような気持ちになれるからだった。歌いながら泣く事が出来たし、ちょっと歌に酔った状態になって泣いている。そういう精神状態に持っていければ、現実として降りかかってこない感じがして楽になれた。

最近は、アルバム制作の為に一度に沢山曲を作ったりするのだけど、自分の中の哲学というか、私はこういう考え方をしてしまう人間です。みたいな所の感情を元に言葉にしていくのだけど、自分の中にある無価値感に気づかされる。いつもは気にしてないし、見ないようにして楽しく過ごせるし、それでも、どうしてもふと感じる孤独感。きっと何らしらの理由で誰にでもあるのだろうと思う。

私の場合、母のコンディションが悪いときや、喧嘩をした時に、怒りながらだったり、泣きながらだったり、パパの借金が発覚して大変な時に妊娠がわかって、仕方なく産んだんだ。と言われ、ママの人生は台無しだ。とよく泣いている母を見ていた。

小さい頃は、泣いているのが可哀想に思ったり、私を置いて居なくなられちゃうじゃないかと不安に思っていた。大きくなると、また感情的になるとそんなことばっか言って、ムカつくって思った。機嫌が悪くて当たられてるのもわかった。でも、それは断面的な事で、朝ご飯もお弁当も毎日作ってくれたし、小学2年生まで母が椅子に座っているとチャンス!と膝に座ったりしていた。私が愛されていたことはわかっている。

だけど、お姉ちゃんが学校生活で悩んでカッターを持って家のトイレに立て篭もり、トイレットペーパーを切り刻むと言う荒れくれ者になった日があった。母は学校のことを家に持ち込まないで!友達だの人間関係で悩むだのくだらない!学校は勉強しに行ってるんだ!と怒っていた。姉を心配する私を見て、ほっときなさいって怒って叩いた。その時私は小学校低学年だったんだけど、母のことをこの人何言ってるんだろ?って思った。私は学校でなんかあっても母に話すのは辞めよう。って思ったし、母が怒るのは、思い通りの行動をしないからヒステリックになって怒っていだけで、心配だから怒っているんじゃない。って感じた。大人になった今でもそう思うし、そう思うだけのエピソードを重ねてきている。

この手の話になると必ず、あなたも親になれば心配されていた事がわかるのよ。とか、心配しない母親なんて居ない。とか、言ってくる人が現れるんだけど、親なら必ず子供を愛するとは限らない。親は子供も守ってくれる存在ではない場合もある。そこを理解して欲しいなって思う。私も母から全く心配されてないとは思わないが、少なくとも怒っていた理由は心配していたからではない。母にも事情があって辛かったんだと思う。それは理解出来る。母もおばあちゃんから毎日怒られていたから、母が子供の時もきっと酷く怒られていたんだと思う。そう考えると、おばあちゃんもそうだったのかも知れない。悪い母とか悪いおばあちゃんって言いたい訳ではなくて、家庭の事情はとても複雑で、母親なんだから、子供を大切に思っているに決まっている。みたいな言い方をされるとそう感じられない子供は傷つく。いくら言ってもこの人には通じないんだろう。と諦めの気持ちもが芽生えてくる。きっと、この人には理解できないくらい両親に愛されて育ったんだろうなってやるせない気持ちになる。

例えば、幼稚園生だった私が悪いはずがないのだけど、私のせいで母が泣いてる。私のせいで不幸せになってしまった。私がいたから母は我慢しなくてはいけなかった。私は母が大変な時に産まれてきてしまった。私が成長過程で感じていたこの気持ちを今でも拭い去ることが出来ない。これは、そんな風に考えない方がいいとか、それは違うよ。とか、そう言う問題ではない。

もっと、脳が精神に与える影響というか、そういう科学的な話で、子供の頃、自分には価値があると思えないまま過ごしてしまうと、自分が存在している事への罪悪感みたいなものを感じてしまう事がある。とか、分析するとあるのだと思う。問題は今起きている訳ではないし、過去の事を引きずっているとかでもない。無意識に刷り込まれている習性みたいなものだと感じる。そう言うマイナスな感情を理解して、理由を探して、自分は大切な存在だし、幸せだと思う癖をつける必要があるんだと思う。過去の話は今起きてる事じゃないから話しずらいし、メンヘラだと思われてしまいそうで嫌だし、大変だったね。とか、辛かったね。って言って欲しい訳じゃなくて、今に繋がっている事を知ってほしい。今、もし酷い事を言いそうになった時に未来に繋がってしまうと思ってほしい。

私は小さい頃からやっていた、曲を作って歌って遊ぶ事は、私って言う人格を壊されない為の行為だったんだと思う。今の私は、曲を作って残せる事で、自分にも出来る事があるって思えて、許されるような気持ちになる。一曲でも多く作りたいし、生きてる時間じゃ足りないくらいもっと生きたいと思う。そうやって、私は私を守ろうとしているのかも知れない。

虐待も貧困も連鎖していくとよく耳にするし、憎しみは憎しみを呼ぶし、誰かがどこかで無意識に連鎖していく悲しみを断ち切らなければいけないんだと思う。もしかしたら、あなたやあなたの近くに、悲しみに苦しんでいる人がいるかも知れない。その人は、周りに合わせて笑っているかも知れない。どうか、自分から命を終わらせる前に、少しだけ立ち止まってほしい。そう言う思いを込めて『世界が泣いている』と言うアルバムを作りました。

楽しいことだけしたいし、明るい自分でいたいけど、悲しみから目を背けなくて大丈夫です。笑顔が正義ではないって事は、私が知ってます。


小日向由衣より

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