氷雨

おばあちゃんが私の事を、何回も自慢気に話してくれたエピソードがある。それは、母親が仕事だった為、代わりに来てくれたおばあちゃんに、幼稚園の発表会で氷雨を歌った事だった。
1人ずつ自己紹介をして、得意なものを自己アピールするものだったと思う。みんな、かえるの歌のような可愛い童謡やアニメの歌を歌う中、私は飲ませて下さい〜もう少し〜と歌い出したのだった。

おらぁ、もう嫌んなっちゃってよ。こんな小ちゃいのが、おらぁがよく歌ってる氷雨歌うなんてだれも思わんべ?と、何回も、何回も、私が大人になっても近所の人に話していた。

歌が好きなおばあちゃんは、カセットテープで毎日演歌を聞いていた。近所のスーパー銭湯で開催されている、老人会のカラオケ大会で歌うこともあった。
私が幼稚園で氷雨を歌ってからというもの、おばあちゃんは私をスパー銭湯に連れて行き、氷雨を歌ってほしいと頼んだ。
私が歌うと、おばあちゃんもおばあちゃんの友達も喜んで、お菓子をくれた。

将来は歌手になってテレビにでなきゃね。それまで長生きしなきゃね。などと、おばあちゃんの友達はニコニコしてくれた。
私は、口数も少なく、小学校2年生になるまでは、おしゃべりをしなきゃいけない理由がわからないような子供だった。喋れないんじゃないかと、心配されるくらいだった。そんな私が人前で氷雨を歌っている。あの子が歌ってるよ。歌えたんだね。と周囲から感激されたのだった。

歌うとお菓子がもらえる。思った私は、幼稚園の卒園文集の将来の夢に、大きくなったらアイドルになって、テレビにでておばあちゃんとおばあちゃんの友達に長生きしてもらうことです。と書いた。おばあちゃんはとても喜んでくれたが、アイドルは顔がよくなきゃだめだぁ。もうちょっと器用がよけりゃーな。となかなか厳しい事を言われた。母親も姉も最もだと頷いていた。

私は小学校にあがり、学校にも馴染み、将来の夢を言わなくなった。本当は歌手になりたかったけど、自分には到底無理そうだった。歌手になれないのなら、他になりたいものがなかった。小学校4年生の文集には、お花屋さんになりたい。と書き、小学校6年生の時には、ケーキ屋さんになりたい。と書いた。特になりたかった訳ではないが、どこかの会社のOLになる。って書くよりはマシな気がした。

姉は、小学校2年生までアイドルになりたい。と書いていた私の文集をみては、アイドルになりたいんじゃなかったの?ほら、見てアイドルになりたいです。って書いてるある。とからかった。私はもうやめてよ!っと文集を閉じ、子供の時の話じゃん。と言った。そんな姉の将来の夢は、保育園の先生だった。姉は、小学生の時の夢を変えることなく叶え、見事保育園の先生になった。

おばあちゃんは、近所の人を家に呼び、お茶を飲みながら、お姉ちゃんは保育園の先生をやっていて、しっかりしてるんだ。妹はのんびりだから、何してるか知らないけど。と世間話をする。私が幼稚園の頃、氷雨を歌った話も健在だった。

大人になった私は、お花屋さんにも、ケーキ屋さんにも、ならなかった。子供の時に考えていた、どこかの会社のOLには到底なれそうにない。

だけど、私も人知れず夢を叶えていた。
今日も、どこかのライブハウスで私は歌を歌っている。お客さんが3人しかいない事もあるけど、私が唯一続けて来れた事だ。幼稚園の頃の私が思い描いていたそれとは違ったけど、私はちゃんと夢に向かって生きてこれたのだから、いつも自信がなく下ばかり向いていた子供の頃の私に、見せてあげてもいいんじゃないかな。っと思った。



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