小日向由衣物語④

新曲を作り始めると、作りたい曲のイメージがどんどん膨らみました。作れなかったのが嘘みたいです。『秋空』と言う曲は、2年前にサビだけ作ってありました。我慢して抑えていた気持ちが開放され、みんなに会いたい気持ちが膨れ上がったので、そのままとびっきり可愛い曲になりました。どの曲をアップテンポにしてどの曲をバラードにしようか?悩みながらその他の曲を同時に作っていきました。

例えば、ラブユーの歌詞に『世界が大変に大変になっちゃったて 私は映画ばかり見てまるまっていた』とあります。この気持ちをバラード調の曲にするのは違う。どこか他人事のような空気をだしたくて、軽い感じになるように編曲していきました。

逆に『明日』という曲があるのですが、出だしが『14才の私はあまりもの理不尽に抱えきれない 気持ち押し殺して笑った』になるのですが、この気持ちは茶化したらいけない。ずっしり重くなるような曲調にしたい。

それとはまた別に、『明日にはきっと咲くから待ってて』と、明日やるからって出来ない気持ちを先送りにしてしまう曲をポップに作りたいと思いました。曲調が『ラブユー』や『明日』に似てしまうと埋もれると思い、違いがでるように気をつけました。『咲く』のイントロでは、ちょっとキュンとくる感じを出したくてこだわりました。

そうなると『グッバイキャーディー』はインパクトのあるアップテンポの曲にしたい。と思いました。ちょっと壊れている感じを編曲で表せるように作りました。

CD-Rの癖で、発売日である7/27の1週間前に出来上がれば大丈夫。って感覚でいたのですが、1ヶ月前の6/27くらいをめどに、レコーディングも終わらせ、マスタリングしたものを用意しないと間に合わない事を知りました。あまりもの時間のなさに、Bメロをどっちの方向に進めていくか悩んで進まなくなると、違う曲を進めていきました。さっきまで作っていた曲のメロディーに引っ張られて同じような曲調になってしまうと違う違う違うそうじゃない!って思考を変える為に人生で初めて走りに行きました。ランニングをしながら考えてると気持ちがスッキリしました。


作成を進める中、緊急事態宣言は解除され、業者とレコーディングを開始しました。『明日』『咲く』『ラブユー』を同時に作るのに付き合ってくれた業者には、本当に感謝しています。完成した頃には、お互いもうしばらく会いたくないね。と力なく笑いました。

アルバムの完成が見えてきた頃、ボーナストラックに入れた『手紙』をどうしても最後に入れたくて、ゆでたまごに頼んでギターアレンジしてもらいました。もし、この先いつ会えなくなったとしても幸せでいて欲しい気持ちと、私が幸せにしてもらっていた気持ちを伝えたい。と思いました。いつか私を聴かなくなってしまったら、この気持ちは伝えられないまま終わってしまうから、忘れられる前に、伝えられるうちに伝えたい。と思いギリギリでお願いしてリモートで弾いてもらいました。

こうして完成したアルバムは、過去最大に最高の1枚になりました。真面目に真っ直ぐ今できる自分のベストを尽くした。と思いました。と、同時に不安になりました。今まで何をやっても成功した事のない私です。平澤さんに思わず、これで駄目なら駄目かもしれな。とLINEしました。今回のアルバムが受け入れてもらえなかったら、私がこれ以上音楽を作っても受け入れてもらえない。やれる事はない。と思いました。

すると、平澤さんから返信が来ました。今の状況でCDを出すことが無謀だし、リリイベも出来るかわからないのだから売れなくても仕方ない。ただ、『明日咲く』は間違いなく価値のあるアルバムです。だから、僕は流通させて世の中に広めるのが仕事です。1人でも多くの人を救う為にやっているんです。と言ってくれました。こんな事を言ってくれる大人に出会ったのは初めてでした。私も遠くまで届けられるように努力しなくては!と思ったし、自粛中部屋に篭ってゼルダの伝説をやっていた時のように勇者になったような気持ちになりました。

こうして入稿も無事終わり、インタビューなどを受ける中、ライブが出来る可能性が出てきました。緊急事態宣言も終わると、ライブハウスも緩和され、人数制限をすればお客さんを入れたリリースイベント兼生誕ライブが出来るかも知れないとの事でした。

私は最後までお客さんを入れる事に迷いましたが、ロフトヘブンさんや平澤さんが協力してくれて、念入りに打ち合わせをしてくれました。私はお客さんを入れたライブを開催する事を決めました。

7/26に今年は無理だと思っていた生誕ワンワンリリースイベントを開催する事が出来ました。みんなに会えて嬉しかったです。作った新曲をみんなの前で歌えて、手紙も自分の声で歌えて嬉しかったです。アルバムを出すと決めた時、まだまだ自粛が続くと思っていたので本当に感激しました。

ライブの後に、タワーレコード渋谷店に、明日咲くのフラゲチャレンジをしてくれたみんなから、ちゃんと合ったよ!って報告が来ました。しかも、売り切れでした。と言う報告も来ました。嬉しかったです。私もライブ後に平澤さんとご挨拶に行きました。明日から展開しますって大きい看板も準備してくれてました。サインもしました。

7/27発売日には、各店舗に挨拶まわりに行きました。『明日咲く』をタワーレコード渋谷店と新宿店には置いてもらう目標を達成出来ました。その他にもHMVやディスクユニオンなど、いろいろな場所で取り扱ってもらえました。みんなから咲いてたよ!って報告も沢山来ました。#明日咲くチャレンジ をして盛り上げてくれました。夢かな?って思いました。

7/27は、私の誕生日です。もう一つビックな発売がありました。『れじぇびゅーとやっぱり夢じゃないよ』です。サプライズで誕生日プレゼントとして、私の近しい人が私の曲をカバーしてくれたアルバムが発売されました。夢じゃないよ。が全然売れないまま終わってしまっていたので、やっぱり夢じゃないよ。で盛り上げようとしてくれた事を知りました。なんて幸せ者なんだろう。もう本当に仲良くしてくれたみんなの名前に感激しました。そこには親友の眉村ちあきの名前もあったのですが、メジャーアイドルが何してんの?!って思って涙が滝のようにでてきました。眉村は本当にバカです。みんながカバーしてくれた曲の完成度の高さと本気度に笑って泣いて忙しかったです。なにもなにひとつ得しないのに、みんなが私の曲をカバーして歌ってくれたのが嬉しかったです。こんなのどうやって返したらいいのか?って思うと涙がとまらなかったです。

『明日咲く』を買ってくれて聴いてくれて、咲いてました!夢じゃないよ!ってツイートしてくれたおかげで、日に日に展開してくれる店舗が増えました。本当の本当に感謝してます。大阪でも咲きました。北海道でも咲いていました。って各地のみんなが言ってくれて、徐々に花が咲いて広がっていくような気持ちになりました。音楽ナタリーにものれたし、音楽雑誌ミュージックマガジンでも気になるアルバムとして取り上げて貰えました。

そして、ユニオンチャートで『明日咲く』が1位、れじぇびゅーとが2位をとることができました。私にしては有り得ないくらいの快進撃です。バチが当たらないだろうか?って思ったし、夢なんじゃないか?って思いました。『やっぱり夢じゃないよ』を聞いて『夢じゃないよ』が欲しくなり、買って聞いたら良かったので『明日咲く』を買いました。って言ってくれる人もいました。小さな世界で満足しようとしてた私だったけど、こんなに沢山の人が関わってくれて広めてくれました。私が産んだ曲達がいっぱい愛されて大切にされて、これから出逢う人を助けられるように、壁にぶち当たって泣いても、どうしたらいいのかわからなくなって迷っても、もっと高く、遠くに届ける事を諦めたら駄目だと改めて思いました。

そして、『明日咲く』のリリイベも開催する事が出来ました。出来ると思っていなかったのに、何が起こるかわからない。やってみるものだな。って思いました。れじぇらー音頭のカセットも発売しました。カセットのリリイベをやるなんて、想像できる訳ない出来事でした。

こうして、マスクをして、人数制限をして、声を出さずに人と人との距離を保つ新しい生活スタイルが始まりました。


続く

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