小日向由衣物語①

周年記念と言われても、そんなの知らないって人達の為に振り返っておこうかなって思います。

きっかけは、コピーバンドに誘われた事でした。完全に趣味のバンドでした。それぞれの音楽の趣味も違うし、どうせやるならオリジナルでやろうよ!と、私が言い出しました。子供の頃から辛い事があると、デタラメな曲を作って遊んでいたのでその勢いで作詞作曲をしてみると、いいじゃん!って話になりそのまま曲にしていきました。鼻歌で歌っているものにコードをつけていくやり方で、歌詞やメロディーがひとつの曲として形に残る事の楽しさを知りました。

バンドは長くは続かず解散になり、その後1人でも歌える場所を探していました。バンドメンバーを見つけ、今までのように曲を作りたいと思ったけど、バンドメンバー募集サイトで募集を募るも見つからず、ボーカル募集に応募してみると詐欺だったのか?レッスン費用だけとられ、ライブをやる事が叶いませんでした。

その後、事務所募集に応募して所属するも、身長が低いのにモデル歩きの練習や、公演されない舞台の練習などが始まり、ライブが出来ずにいました。でも、この頃の私は一生懸命やってファンを作れればライブが出来ると思い頑張っていました。たまたま同じ事務所の知り合いが、集客の為に来てくれる人を探していたので見に行ったライブが地下アイドルでした。

私でも知っているメジャーな曲のカラオケを流し、歌いながらみんなで汽車ぽっぽになって踊っていると言うなかなかカオスな現場が衝撃的で正直引きました。私が想像していた大人のおじさんとは違う一面を見たと言うか、赤ちゃんみたいに甘えたりはしゃいでいるのを怖いと思いました。

でも、楽器を使わないとライブに出れないと思っていたのにオケで、しかもカバー曲でライブに出演出来るなら、私にも出来る!と思いました。自分からライブハウスの受付をしていた人に、私も出演したいと伝えると連絡先を聞かれ、すぐにでもライブ出演依頼がたくさん来るようになりました。

ボイストレーニングの先生に、バンドの時に作った曲をオケにしてもらった曲が4曲ありました。路上で歌ったり、レコード会社に送る用のものでした。私は持ち時間10〜15分の中でオリジナル曲を歌ったけど、誰も聞いてくれませんでした。周りは聞いたことあるアイドル曲を歌っていて、1日に何回も同じ曲を違う人が歌っていて、それでも会場のお客さんはみんな喜んでいました。みんなが知らない曲を聞いてもらう難しさを知りました。

何回かライブ出演していた頃、物販の時間にデモ音源を売っていると、チェキないの?と聞かれました。そこで初めてチェキというシステムを知りました。周りは腕を組んだり、抱きついたりカップルみたいに写真を撮っていました。私はまだ、自分が地下アイドルと呼ばれている者になっている事に気づかずにいました。音源を売るアイドルも1人もいませんでした。それでも、ライブにも出れなかった頃に比べれば、ステージで歌える事が幸せでした。チェキ機を買い、教えてもらったドンキーのコスプレコーナーで衣装を買いました。ナースやメイド服を着て歌うようになりました。

やって見ると、コスプレをして歌うのも楽しかったです。そこでよく歌われている曲を覚え、カラオケ屋さんで録音したオケで歌うとみんなが喜んでくれるのも嬉しかったです。私はここで頑張ってファンを増やせればいつか私とやりたいって思ってもらえてバンドがやれる。と思っていました。周りはカバー曲しか歌わない中、オリジナル曲2曲とカバー曲1曲をライブで歌うようになりました。会場の中に残ってもらう為に、置物を置いたりお手玉や風船を投げたりしていました。面白がって何人か残って聞いてくれるようになったけど、浮いていました。

それでも、現実は厳しくてファンを増やそうにも平日の18:00もしくは17:00だいの出番だと会場にお客さんが1人しかいない日もありました。たぶん、使命感のある優しいお客さんが誰が1番目でも開演から来てくれていたのだと思います。出番を遅くしてもらうには集客を増やさなきゃいけない。毎日ライブに出演しても、いつも多くてお客さんが5人しかいない悪循環でした。それでも歌えたのは、目の前の1人が明日も元気に過ごせるように歌おうって思えたからでした。本当は人見知りなのに無理してフライヤーを配り圧をかけて物販に呼んだりしていました。チェキをとってもらったお金を交通費にしていました。電気が止まったら百円ショップのキャンドルに火をつけて過ごし、ガスが止まったら友達の家にお風呂を借りに行きました。朝早起きしてバイトに行き、ほぼ毎日ライブをしました。土日は3限場回しもしてました。悔しい思いも沢山あったけど、夢中になっていたので止まる事が出来ませんでした。必ずメジャーデビューの話を信じて、新しくレッスンに通い始めた事もありましたが、費用が膨大過ぎる事を聞き、すぐに逃げました。

お客さんの多い人は、歌が上手いとか曲がいいとかではなく、ましてや顔が可愛いかでもなく、物販での接客のうまさだと感じました。挙動がおかしくなってしまう私には向かず、誰も並ばない物販に立たされている時間が続きました。無理やり声をかけても嫌がってるのが可哀想で何も言えなくなっていました。私は、早くこんな所抜け出してやるんだ。と思っていました。

そんな時、体調を崩し入院する事になったのをきっかけに、冷静になってしまいました。コスプレしてカバー曲を一生懸命覚えて歌って何やってたんだろ?私のやりたかった事ではない。それに、イベントでトリを務める人の集客は5人ほどで、20組近く出演するイベントも終盤になると50人くらいの人が集まっていて、私も5人呼べるようになればもっと沢山の人の前で歌えるのに!って思っていたけど、外側から見ると5人呼べる人も1人しか呼べない人もどっちにしても知らないし狭い世界で上を目指していた事に気づきました。

糸が切れました。ライブに出なくなった私は、音楽番組も見なくなりました。カラオケにも行かなくなりました。歌を口ずさむ事も出来なくなっていました。歌ってる人全てが憎らしかったです。ライブがない日常を頑張ってみてもうまくいかず、大人になろうと服装を変えたら露出度が高いだけで失敗しました。私がやってきた時間は何だったんだろう。と後悔しそうになった時、何もしてないじゃん。って思いました。

やりたかった曲も作ってない。今ある曲を音源化させていない。ワンマンライブだってしてない。やりたかった事を何もしてないんだから、まだやれる事がある。と思いました。次の誕生日にお客さんが来なくてもいいからワンマンライブをしよう。売れなくてもいいからミニアルバムを作って売ろう。辞めるのはそれからにしよう。と思いました。だけど、本当はすごく怖かったです。それでダメならもう本当にダメだと思ったからです。


続く

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