見出し画像

2010年代の振り返りから2020年代へと顔を上げて〜未来を走り切るために何を見ているのか

<新年のご挨拶>
あけましておめでとうございます.
今年もどうぞよろしくお願い致します.
2019年も引き続き至らない僕ですが,なんとか2020年も必死に生きていきます.

 2019年から,年が明けて2020年になった.2010年代にようやく終止符を打ち,これからは2020年代へと突入した.2020年東京五輪,2025年大阪万博.僕らの人生は続いていくはずなのに,それより先の未来に対しては悲観的な予測しかなくて,悲観的な話に対してどう改善していくのか,改善した先にどんな未来が訪れるのか,そんなグランドビジョンがない中で,僕らはどこに向かって走っていくのだろう,どこに向かって走って行きたかったのだろう.改めて自分が目指すべき北極星を確かめてみようと思う.2019年を振り返り,2020年を描きながら.

青春を謳歌も謳歌し,どっぷり浸かりながらも,社会を夢見た若き2010年代

 2010年,僕は16歳,高校1年生だった.まさに青春の真っ最中.高校1,2年生とそれぞれ一度ずつ停学になった.先生とか社会とか,そういった哲学なき権力が嫌いだった.単発的な問いにも答えられないような,哲学も思想もなく,先に生まれただけで,権力を手に入れ,それを振りかざして偉そうに振る舞っている大したことのない奴らが嫌いだった.だから,とにかく反抗した.反抗して反抗して,結果停学になってしまったわけだが.

 僕は中学時代も高校時代も勉強はしなかったし,スポーツはやったつもりだったが,結果としては半端に終わった.当時は,社会の方なんか向いていなかったしきっと興味もなかった.目の前の,その瞬間,一瞬一瞬を生きるのに必死だった.そんなことをしていたら,高校時代が終わった.2012年の3月の話だ.勉強もしなかった青臭いガキが,大学受験を目指すようになったのは,高校3年の夏過ぎ,秋頃の話だ.勉強を始める前の僕の成績は,偏差値50程度の高校で,底辺にあった.誰もが僕よりも上だった.しかし,勉強は始めて見ると面白いもので,みるみる成績が上がった.かつて僕を馬鹿にしていた連中は,気がつけば僕よりも遥かに下にいたし,簡易版下克上のようで,とても気分が良かった.おかげで,気がつけば2年も浪人をし,大学に入学することになった.

画像8

(高校3年の頃)

 2014年の4月に大学に入学し,2015年に大学の外で活動を始めるようになってから,少しずつ視野が広がってきた.友人関係と大学生活とを楽しみながら,半端に社会を見て活動してきた.振り返ると,技術も知識も甘ちゃんで,ダメダメだったと思う.まあ今でもそれが本当に洗練されているかと言えばわからないが,それでもあの頃よりはきっと洗練されてきただろうな.何にせよ,2010年代というのは,僕にとっての青春時代真っ最中から,その延長線上を歩んできた10年だった.まだ本気で自分がプレーヤーとして存在するには程遠かったし,何やかんやで社会の出来事が当事者意識になってきたのは,2018年以降なんだと思う.その意味で,2010年代でも,2018年以降は自分にとっても少しずつ変化が起こり始めたタイミングだった.青春を脱する兆しだったんだろうな,今振り返ると.

青春を脱し,責任を手中に取り戻し,己の責任で生命を表現していく2020年代

 僕がこれから生きる2020年代,前半は脱青春時代だ.これまでの馴れ合いと,嫌いだった社会に対して正論を振りかざしてアンチテーゼを投げかけ,逃げ切る生き方ではなく,自分自身が社会に対しての本気の理想とビジョンを描きながら,そこに生きる具体的な人間を想起しながら,より善さを追求し,形作っていく時間になる.自分自身の内面の深い感情を感じながら,全世界とつながっていく感覚と同時に,より大きな喜びから生まれる自分なりのビジョンや在り方を表現していくことになる.

 2019年8月に加賀に移住をして,人生で初めて具体的なフィールドを持つことになった.これまでマクロな世界に対して抽象的に向き合ってきた自分の生き方や在り方が,初めてその抽象を具体に落とし,そこから未来を形作る側に回ることになる,そんな感覚だ.その過程が楽だとは決して思えないし,これから迎える未来にこそ,社会全体の揺らぎ,既存の社会の凋落,人間の葛藤や混乱に向き合い,混沌とした社会の中に秩序を見出していく.脱青春とは,希望を失っていくことではない.生きるのに必死な,目の前に必死な自分から脱していくプロセスに他ならない.そして,社会人とは,決して学生という肩書きから脱し,働き始めることではなく,自分が生きる社会に対しての当事者性を持ちながら,責任を負い,生きていくことだ.ようやく学生という身分から卒業することになる.僕自身としても社会的な大きな後ろ盾をなくすことになる.それはある意味では不安ではあるが,しかし一方でようやく舐められる口実がなくなることでもある.決してどこかの大きな会社に所属するわけではないが,それでも個人として責任を負える範囲の中で,本気で生きられる方が,僕にとっては自由だ.肩書き,しかも僕の責任の範囲外における肩書きを使った自己紹介など,もう飽き飽きした.自分が責任をとることで,この世界に対して当事者で在り続けたい.それが気持ちだけではなく,他者からの視点としても,ようやくそうしたタイミングになろうとしている.

 僕一人では何もできないのだと,この世界を諦めようとしたりもした.しかし,僕にあるのは,想いの灯火.希望の旗を掲げることが喜びで,諦めるのは,僕にとっても本意ではない.自分が実現したい世界があるなら,そこに対して愚直に進み続けるしかない.

 さらに,自分に対しての内部批判性を失うことなく,これから属するであろう関係性の中でも適切に批判をし,世界をフラットに捉えるからこそ見えてくる未来を出現させていきたい.

 加賀という街では,2023年の新幹線開通までに,できることをやり続けたい.やり続けることでしか種は蒔けないし,種を蒔くことでしか花は開かない.僕はこの街の可能性を最後まで信じ続けたいし,それを現実で形にしたい.だからこそ,ここから10年は,花開くその瞬間まで種を蒔き続ける.僕一人で種を蒔き続けるのは,とても大変なので,加賀にいる先輩方や,仲間の力を借りながら.

視界を覆う霧が少しずつ晴れゆくその時,自分自身の歩む道がほんの少し具体的な輪郭を帯びてこの世界に現れてきた〜光射す方を目指しながら〜

 2019年という一年を振り返ると,僕の周りにあった霧が,少しずつ晴れていった,そんな感覚だ.自分がこれまで,どのような道を歩んでいるか,全くわからなかった.ただがむしゃらに歩いて,それを正しいと信じようとしてきた.寄り道はあったかもしれない.もっと最短ルートがあったかもしれない.それでも,今確かに言えるのは,自分が歩んできた道のりに,後悔はないということだ.2019年の末になって,ようやくそんな感覚が得られ始めた.

 2019年の1月にふと,自分の中に降りてきたイメージがあった.

真っ暗な世界に,
突如現れた一段の階段.
行き着く先はわからないが,
登ることを許された.

 そんな感覚だった.扉は重々しさを持っていたが,それでも僕の目の前で開き,目に見える一段の階段は,僕を誘っているようだった.次のステージへの誘いなような気がして,一年歩んでみたら,確かにステージが変わってきた,そんな感覚がある.

 2019年1月,このイメージのもと,ビジコンに参加し,優勝した.4月からは,久しぶりに人とお付き合いをすることになった.7月には京都での役目を終えたような気がして,8月に加賀に移住.9月には東京で大勢の前で加賀の話をするために登壇.新聞にも載った.11月には教育のイベントでお話をし,同時に大好きな親友たちに加賀に来てもらった.同時に,来年から動き出す事業の視察まで行い,12月にはMAKERS UNIVERSITYの合格通知が来た.と同時に,来年3月には友人を加賀に誘致してワークショップをやる話も進んでいる.確かに,この1年,様々なことが前に動き出した.それは,これまで自分一人で責任を負って何かをしてこなかった自分にとっては,大きな前進であり,何より具体的な人の顔,そしてフィールドを持てた.これは自分の中で大きく変わったことであり,ステージが変わったとも言える.

画像4

(1月のビジコン)

画像9

(9月の東京での登壇)

 これまで,マクロな世界しか考えてこなかった自分にとっては,ミクロな世界から改めて考えることができるようになったことで,自分の目の前を覆っている霧が少し晴れたような感覚があり,そしてそのおかげで,ようやく今踏み締めている目の前の土を確かめられるようになってきた.光射す方向も,なんとなくはわかっていたが,以前よりも確かにその方向がわかるようになった気がする.

加賀という土壌に合った形で土を耕し,土にあった花を開かせるための種を選び,蒔き,そして水をやっていく〜農人として生きながら〜

 加賀という街に未来があるとすれば,それは耕された土の中に,種が蒔かれ,そしてそれが花開いた時である.これは間違いなく言える.今,加賀にいる人間もたくさん種を蒔こうとしている.そういう人がいるのは,本当に希望だ.移住したての僕は,まだ引き続き土を耕していかなければならない.生活基盤もままならないし,まだまだ知らないことがたくさんあるし,知らない人もたくさんいる.関係性を築き,加賀のことをもっと勉強し,僕がやりたいことをきちんと伝えていかなければならない.しかし,そればかりやっていても仕方ないから,種を蒔いていく必要がある.こんな花を咲かしたいんだと言って,やってみせる.蒔いた種が花開くためには,単発で終わることなく,みんなと共に水をやらなければならない.その意味で,僕は加賀という土対して農人であらねばならない.

 それと同時に,僕は加賀と外部の窓口でもあり続ける.昨年は,様々な友人たちに来てもらった.5ヶ月で,15人程度は来ていたことになる.まず,関係性を持つこと.そして,様々な体験をしてもらい,感じてもらう.ゆっくりしてもらう.加賀の印象と同時に,加賀の人の印象も持ってもらう.僕にできるのは,その人の中に,加賀という花の種を蒔くことだけだ.少しずつ誘致型のプロジェクトも実施していくし,それによって加賀の文化が花開いていけば嬉しい.今企画中のものがいくつもあるので,2020年内に全部できるかはわからないが,ゆっくりじっくりと育んでいきたい.

画像7

(友人を加賀に招待し,案内)

 僕はこの街に根を下ろしたのだ.だからこそ,この街で事業を始めていく.事業化することこそが,最も種を蒔いた先に水をやりやすい形態だから.健全に育んでいくためには,やはりお金を稼ぐ必要があるのだ.事業そのものと,街の性質,価格設定とビジネスモデル.全体がそれぞれに調和する形をば目指して.事業は手段だ.常に念頭において,自らの哲学を失うようであれば,撤退も視野に入れて.哲学と思想を失うことのないように.

 そして,何より,何かアクションを起こす前の段階として,僕に何ができるのだろうか.事業をしていくにしても,別に特段スキルが高いわけでもない.優秀さだってない.だけど,絶対的に誰よりも5年10年,50年,100年先の加賀に想いを馳せている自信はあるし,自分なりのビジョンだってある.今僕にできることは,このビジョンや夢を,僕一人のものとして抱えるのではなく,みんなの想いにしていくことだ.そのためには,僕は2020年も,変わらず想いを語り続ける.ビジョンドリブンで.妥協せず.

 

2019年の振り返りから2010年代を思い返し,2020年とさらにその先10年を見据えた内容は,ここまで.
以下は,完全に余談であり,僕の思考の整理である.
具体的にいうと,僕の事業の妄想や街に対しての思うこと,妄想である.

(これから先は,コンテンツの価値に対しての価格設定ではなく,なんとなくそのまま読まれるのもなあというものに対して適当に値段をつけただけなので,僕はこれをお金を払ってまで読む価値があるとは思っていないけど,価値というのは各々のつけ方があると思うので,読みたい人はどうぞ気軽にご購入くださいませ.)

ここから先は

5,699字 / 5画像

¥ 500

サポートしていただいたお金は、加賀、石川、日本海側を活性化させる事業に使わせていただきます!