見出し画像

大学とその後について

今は7月。トラックシーズンが終わるとともに、学業でも4年の前期が終わろうとしている。周りの人間はほとんど就活を終え内定をもらっている。同期に就活の話をされても僕は何もわからないが、学生時代に力を入れたこと、俗に言う、「ガクチカ」という言葉をよく耳にする。それが企業の理念に合うことが大事らしい。

しかし、僕が大学で力を入れていることの陸上競技も歴史学も、全く社会の役に立たないと自分自身しっかりと自覚している。
陸上競技の話はさておき、今回は学業について話す。思想が強い、前近代的で時代錯誤であるとの批判は重々承知しているが、読んでもらえたら幸いである。

高校の暗記中心、受験中心の歴史学から離れ、大学の歴史学を追求していくと、誰もが必ず「歴史哲学」にぶつかるはずである。初めは興味のある歴史分野について、狭く深く知りたくなる。しかし、そうしてるうちに「なぜ歴史を学ぶのか」に突き当たる。「どうしてこんなことを真剣に学んでいるのか」「なんの役に立つのか」「意味があるのか」という風に感じる時期があるはずである。大学教授もそういう悩みが出てくると、おっしゃていた。実際、歴史学の目的は「過去に起きた出来事を正確に理解すること」と歴史学者のランケ(1795〜1886)は言う。医学やその他の科学とは違って、大きな有用性があるわけでもない。E.H.カーの言葉を借りれば「歴史というのはジョーカーを使わずに行なうゲームである。」

そして、大学での学問は…
J.S.ミル(1806〜1873年)『大学教育について』
「大学は職業教育の場ではありません。大学は、生計を得るためのある特定の手段に人々を適応させるのに必要な知識を教えることを目的とはしていないのです。大学の目的は、熟練した法律家、医師、または技術者の養成をすることではなく、有能で教養ある人間を育成することにあります。」

彼はつまり、大学は「職業訓練の場ではなく、ものごとの原理を追求し把握する訓練の場だ!」と言っている。
このあと、大学で学ぶ豊かな歴史のような一般教養が人生に役立つと言っている。

なにも学問を社会に役立てなくてもいいということを、彼は教えてくれたし、せっかく大学にいるのに、大学を就職予備校にして、就活のことしか考えられないような人間は可哀想だと思う。また少し別にはなるが、稼ぐことや「お金」でしか物事の良し悪しを判断できない人間も可哀想だ。「市場」に支配されている。

学問を学問で完結させる。なんて夢のような時間ではなかろうか。学校を出てしまえば、本と接する機会も減るだろう…、今のうちにたくさん勉強しておきたい。歴史学は自己満足でいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?