否定は絶対にしない、ただ分からないものを認めるわけにはいかない
こんにちはこんばんは、花札師のこーへいです。
まだまだ暑いくらいの日が続いていますね。
とりあえず私は大学生の方で卒業論文の中間報告の件が終わりましたので、ほっとしてやっとnoteに手をつけられるという状況ですね。
本当はそれこそ一ヶ月前くらいには書きたかったのですが...
「否定は絶対にしない、ただ分からないものを認めるわけにはいかない」
最近(といってもちょっと前になってしまうかもしれませんが)、選択的夫婦別姓議論が盛んに行われていますね。
フェミニストと言われる方々が盛んに情報発信しているのをよく目にします。私がよく目にするのは辻愛沙子さんのツイートだったりしますが。
私も表題にある通り否定はしません、ただいくら話してても分からないのです。
分からないものを、私たちには権利があるのだから認めろといわれても酷な話で。それは反対派の方もそうなのかなと思います。
私は大学の学友ともこの話をしたのですが、そこで出た話は以下のようなものでした。
0 そもそも
選択的夫婦別姓の議論で忘れてほしくないのは、制度面と周囲の認識(通称)の考え方だと思います。
これがごちゃごちゃになってしまうと、認めるべきものがなんなのかを知ることができなくなってしまうからです。
1.1 夫婦の制度面について
「結婚」というと、私は
・婚姻届を出す
・同棲をする
・生活の営みを維持継続させる
という3条件あって成立するものと今まで認識していたのですが、世の中には「事実婚」というものがあるらしく、婚姻届を出さなくとも残り二つの条件の方で成立するみたいですね。
夫婦別姓を選択したい人の意見としては
・2人で同じ苗字とする際に、片方があらゆる書類で変更の手続きが要るという面において超めんどくさい苦労する
・婚姻関係は苗字が異なっていても事実だし、仕事では旧姓使う場合が多い
ということだそうです(実際に選択的夫婦別姓に賛成な学友に訊いたので間違いないと思います)。
で、今日本では選択的夫婦別姓が認められていませんので、夫婦別姓を選択したい夫婦は事実婚となります。
では上記を選ぶがために事実婚を選んだ人の今後はどうなるでしょうか。比較してみます。
法律婚の場合、婚姻届を出し、片方が相手の戸籍に入り苗字を変更します。
事実婚の場合、婚姻届を出さず戸籍はそのままで苗字の変更はありません。住民票の続柄を「夫・妻(未届)」とすることで、区別されます。保険などに影響はありませんが、保険金受取など「家族と金銭」に関する部分は会社によって違います。配偶者控除や相続権は無いことになります。
1.2 親子の制度面について
では親子の制度面についても比較してみましょう。
法律婚の場合、子供は夫婦の姓を名乗ることになります。そして、親権と扶養義務は夫婦ともに持つことになります。
事実婚の場合、子供は妻の戸籍に入り、妻の姓になります。したがって、妻のみ扶養義務と親権を持つことになります。すなわち、父子関係は法律上認められないことになります。父子関係の相続権もありません。
1.1と1.2を見たときにもちろん夫婦間でも大きな影響があるのはもちろんですが、その子供が多大な被害を被ることが考えられます。その場合、やはり夫婦別姓であっても法律婚の存在が必要となってくると考えられます。
また、もし選択的夫婦別姓を制度に取り込むとするならば、同時に子どもの姓選択の自由も保障させるべきだということを考えなくてはいけません。
例えば、15歳までは父親の姓を名乗る、15歳になったら両親の姓を選択できるといったようなものです。
2.1 夫婦の通称面について
私が関心あるのはむしろこちらです。
そのカップルは夫婦なのか恋人関係なのかを周囲が認識するとき、一発で分かるのが「姓(苗字)」です。○○さん夫妻といえば、その人たちは夫婦関係だなという認識ができるし、その家族を呼ぶときも○○さんと呼称は一つで済む。姓のいいところはまさにそこであって、本人がどう呼ばれたい、どう認識されたいの問題ではないはずです。
学友からいわれてなるほどと思ったのは「別姓論者は「夫婦であることを認識してもらう」ことより「親子であることを認識してもらう」ことを優先した」のではないかという主張。確かに、親からもらった姓を重要視したいという気持ちは分からなくもないですが、それこそこれからは親子よりも夫婦として周囲から認識されるわけだから、それにあわせて姓も変えたら?と思います。
もちろん「○○さんの奥さん」「△△の旦那さん」とかいう認識でもいいのかもしれませんが、「○○家」とか「○○さん家族」とか呼べないのは姓の意味がないですし、これからは「個」の時代だなどというならそもそも姓なんか要らないと思ってしまいます。そういう主張をする方は、大人同士でもファーストネームで呼ぼうとか思っているのでしょうか。わかりません。
2.2 親子の通称面について
おそらくこれが一番問題で、親子の認識が周囲からされない(もしくはされるのに時間がかかる)ということが想定できます。それも稀にではなく、よくあることとしてです。
たとえばどこか(病院、学校、あとは補導とかも含め)における子どもの引き渡しの際にはまず親が同じ姓であることが前提として話を進めます。でないと、違う姓で赤の他人に子どもを引き渡してしまったら大変ですからね。
そうでなくても子どもを連れているとき、姓が違う人が連れていることが分かったら子どもの安全のためにまず疑いますよね?
そういった面において姓というのは重要な役割を担っており、そこ抜きで語るのはその夫婦の子供に負担がかかるということになります。別姓論者はそこをどのように考えているのでしょうか。まさか誰もがそれを認識できるようにマイナンバーを使ったシステムでも開発するつもりでしょうか。
いかがでしたでしょうか。以上のような学友との議論から私は
「制度面については夫婦の負担、あと事実婚の場合の子供の負担を考えて認められる」
一方で、
「通称面については周囲の認識をきちんと考えられていないのではないか、もしくは子供の生活と安全に負担がかかることからそれを別姓論者がどう考えているのか分からないため認めるわけにはいかない」
という結論に至りました。
制度面は、政府はちゃっちゃと変えてほしいと思います。手続きの件や事実婚の人たちのことを政策として考えてほしいと思います。
一方で、たとえ制度が選択的夫婦別姓になったとしても、その家族がなんという姓を持つ一族なのか周囲が認識できないことから「通称」を選択的夫婦別姓に変えるのを認めることはできません。そうでなければ姓を持つ意味がないですし、周囲も認識しにくいですし、子どもたちの負担のことが考えられていないと感じます。ここらへんが結局のところ「分からない」し、「認めるわけにはいかない」と考える所以になってきます。
もしこの記事を読んでなにか意見を持った方、フェミニストの方、TwitterのリプライやInstagramのDM等でお寄せいただければ幸いです。否定は絶対にしません。私の学習にもなりますし、これを読んでくださる皆さんのためにもなりますので。
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