なぜ「会社」なのか

僕が自分の理想の実現の乗り物として「会社」というものが気に入ってるのは、それが土着的で、かつ法的に立場が保証されているものだからだ。

組織は「土着的正統性」を持っているか「法的正統性」を持っているかしなければ社会に対して他の根拠によって「存在意義」や「正統性」を主張し説明しなければならなくなる。

それを繰り返すなかで理論武装が体系化し、ほとんどあらゆる正統性の疑義に対してなんらかの「反論」が出来るようになった時、それが「イデオロギー」となってしまう。

だから「土着的正統性」か「法的正統性」を持たない組織は「イデオロギー集団」にならざるを得ない。

そして「イデオロギー集団」となってしまうと、「合理性」よりイデオロギーに照らした「正統性」が意思決定における最重要な根拠にならざるを得ない。

組織の存在意義と正統性そのものが「イデオロギー」によって立つ以上、それに矛盾する意思決定をすると組織が崩壊してしまうためだ。

人類最初の大規模なイデオロギー「神学」をはじめとして、土着的、法的正統性を持たない組織が勢力を伸ばすために多くのイデオロギーを生み出してきた。新たな国家観、政体観に基づく政治的イデオロギーもそうだし、一部の土着性の薄い宗教や何らかの思想に基づく活動体を成り立たせているのも多かれ少なかれ「イデオロギー」だ。

そしてそれらのイデオロギーは「合理性」からかけ離れた「正統性」を追いかけたために数多くの悲劇を生むこともあった。

なので僕は常に「合理性」を最大の意思決定根拠におくために、イデオロギーから自由でありたいし、その為には「土着的正統性」と「法的正統性」を併せ持つ故に、「イデオロギー」を必要としない「会社」という乗り物をとても気に入っているんだよね。

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