「ちゃんと考える」と「ちゃんと決める」

僕は何のプロかというと

「ちゃんと考える」のプロです。

プロって言うのは「すごい人」という意味ではなくてそれを怠けずまじめにやってきて、今メシが食えてるという意味です。

毎日たいした事はしてませんが「ちゃんと考える」を怠けた事はありません。もう癖になってますから、つい「ちゃんと考えちゃう」。

「ちゃんと考えるな、気楽に気楽に」と言われる方がずっとつらい。

そういえば「ちゃんと考える」結果出てきた仮説のうちどれを実行するかを「ちゃんと決める」事も怠けた事はありません。

そういう意味では「ちゃんと決める」のプロでもあります。

「ちゃんと決める」の後、それを実行する段階で自分以外に出来る人がいなければ「そこそこなんとかやる」事もあります。

でもこの段階は「そこそこ」しかやってないし、チャンスがあればすぐサボろうとするので「ちゃんとやる」のプロでは無いです。

「ちゃんと考える」と「ちゃんと決める」のプロになるには、実は人知れず素振りを継続してないとダメなんだけれど、多くの人は「ちゃんとやる」ための素振りには熱心だけれど、「ちゃんと考える」や「ちゃんと決める」の素振りには無関心な気がします。

そういう人がいざ役割が変わり、「ちゃんと考える」と「ちゃんと決める」以外にする事が無くなると、あんなに優秀そうに見えたあの人が輝きを失ったり、部下から「ちゃんとやる」仕事を奪って意味なく自分の優位性を確かめたりしてしまいます。

そりゃそうです。

「ちゃんとやる」のプロは「ちゃんと考える」や「ちゃんと決める」のプロとは違うので。

名選手は名監督じゃないのはそういう理由です。

「ちゃんとやる」ためのノウハウは世の中にあふれかえっていますが、「ちゃんと考える」や「ちゃんと決める」はノウハウで身に付くわけじゃないので、難しい。

世の中にある○○シンキングや○○決断法はともすれば「ちゃんと考える」「ちゃんと決める」のノウハウのように見えますが、実は「ちゃんと考えられない」人や「ちゃんと決められない」人が、ちゃんと考えなくてもまあまあの事が決められるためのノウハウだと思います。

だからあれをいくら学んでも「ちゃんと考える」には至らないし「ちゃんと決める」も身に付かない気がします。

じゃあ「ちゃんと考える」と「ちゃんと決める」のプロになるためにどんな素振りが出来るのか、

それは頼まれても無いし、必要も無いのに「ちゃんと考えてみる」事の繰り返し、そして自分にその権限が無いのに「ちゃんと自分の意見を決めて」「表明」する事でリスクを取ってみる事の繰り返しじゃないかなと思います。

そして補助教材として、歴史を学ぶ事、ありとあらゆる物語に触れること、科学に取って代わられるまで万物を観察しその真理を探求する方法だった「哲学」的思考法に触れる事なんかがあると思います。

なんか大分長くなってしまったけれど、「ちゃんと考える」と「ちゃんと決める」が誤解されてるし、そこを目指す人がどんどんそこから離れて行く様な訓練を積んでるのを目にしたりするものだから、誰も頼んでないのに「ちゃんと考えて」みて、自分なりに考えた事をちゃんと表明してみました。

長ったらしい素振りですね。

*続きもよかったら^^


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