器用貧乏から器用長者へ

器用貧乏って言葉がありますよね。

まあ手をつければいろいろある程度のところまではできると。

だけど飽きっぽいからか、根気が無いからかそれぞれの事を突き詰めて一流になる、プロフェッショナルと自信を持って言える様になるところまでは中々いかない。

なので、こんな成り立ちの人が出来上がる。

【1】いろいろできる事があるが、どれも60〜70点くらいの出来。

【2】なので他人に自己紹介するとき自分は○○ですと言いにくい。(まぁいろんなことを全般的にムニャムニャ。。。とか。昔知ってる人が「この人はイラストレーターの○○ちゃん、こっちの人がデザイナーの○○君、そして彼女が、、えーっと、、マルチの○○ちゃん!」って紹介されててウケたw)

【3】大体どんな事でもある程度のところまで(60〜70点くらい)だったらとっととキャッチアップしてできるようになる自信はある。

【4】職人的に自分の強味を磨いている人にコンプレックスあり。しかし自分だって自分でも良く説明できないけど、何か持ってるぞというプライドも。

【5】だけど強味を磨き続ける以上に、何か新しいことを学びたいとか体験したいという欲求が強い。

【6】周囲も当人をどう評価していいか戸惑いがある。ものすごく評価してくれる人、全然評価してくれない人など差が激しかったり。

【7】自分の過去の成果や所有物、権益等についてはあまり執着心が無く、今とこれからに不要だと思えばわりあい躊躇無く捨てられる。

【8】人からの評価をあまり気にしないので、失敗を恥じないし、逆に目的達成に必要十分以上にがんばることも無い。

まあ誰の事かって僕の事なんですけどね。

器用貧乏って本当に僕のためにあるんじゃないかと思うぐらい、僕は何でもやります。あっ手先は不器用なので、それ以外のことはなんでも。

こういう人のスキルセットは集約すると二つ

【1】高感度なアンテナと成長意欲(好奇心を動機とする情報収集&処理力)
⇒職人的に自分の強味を磨き続ける退屈な期間を耐え抜くことが困難。

【2】あるものと別のものとの間にある、共通項(特に共通するKSF)を見抜ける。(抽象化思考と洞察力)
⇒いろいろなことを短期で学習して身に着けるのに不可欠なスキル

というようなところにあって、だからこそある程度のところまでは器用にこなせるわけです。

そしてマインドセットはこんな感じ

【1】頭の中にある仮説をとにかく検証したい
⇒好奇心が最大の動機付け
⇒試さないと自家中毒になりそうになる。
⇒クリエーターならイメージを形にしたいとか、経営者ならこうやったら成功できるという自分の仮説を試したいなど。

【2】仮説が正しかったら「ほら僕が言ったとおりでしょ」と言いたい。
⇒なので逆張り、大穴狙いがすきな困ったちゃん。
⇒でも名前残したいとか、大もうけしたいとかいう欲はあくまでも二の次、三の次。
⇒とにかく自分の仮説の正しさを証明したいんですね。自他に。

そして同時に上記のようなスキル&マインドセットの持ち主だからこそ、職人的に自分の強味を磨き続けるある意味では退屈な期間に耐えることが出来なかったり、投資に対する効果が最大化されるところまで(多くの場合は平均点より若干上くらいのところに到達するところまで)しか時間、資金、労力の投資をしたがらないので、なかなか特定のスキルを持って一流になるのは難しかったり。

僕は正直そうとう大人になるまで(もしかしたら今も現在進行形で)こういう自分をもてあまし、いったいどういう風に生かすべきなのかには悩んできました。モチロン職人的に自分を高めようとした数年間もあったりして、その期間に身につけたことは確かに今も役に立ってるんですが、一方でそのままその方向で一流になって行く事はどうしても望む道筋にはなりませんでした。

往々にして器用貧乏は直したほうがいい資質として語られますし、実際に存在している職業においては高度な分業化が進んでいる昨今、大半は専門的な強味が求められたりするのも事実。

でも一方で、器用貧乏になるような人に職人肌になることを求める事は、そもそも最初からそういう資質を持って人には決してかなわない2流の道を進む事を求めるような事だとも思います。

で、結果的に僕はいろいろ考えた末、器用貧乏の僕に出来る職業は経営者しかないと思ったわけです。

「経営」と言う言葉の定義はいろいろあると思うのですが、ぼくは

「経営とは自分の企てを他人の力を使って実現しようとする事」

だと思っています。(あくまで僕の理解ですw)

その意味で器用貧乏さんは経営者向きです。例えば。。

【1】自分ができない事を指示し意見を言うことが出来る
あるところまでは短期間学習すれば出来るようになるし、自分ができない事の中にも、できる事の成功法則と共通する部分を見つけて適切な意見を言え、そう大きくずれていない指示も出せたりします。

【2】自分ができない事が出来る人への敬意を持っている
また他人の力を使ってコトを成そうとするとき、その力を持っている他の人に対する心からの敬意の念を持っていることは不可欠な事です。このとき「職人的に自分の強味を磨いている人にコンプレックスあり」という資質は使い方次第で有用なものになります。

【3】コミュニケーション能力
他人の力を借りて事を成そうとする場合コミュニケーション能力は重要ですが、器用貧乏さんの抽象化能力は、事象を言語化すること(つまり現実を記号化すること)は案外得な人が多いです。場合によってはアイツ口だけという陰口をたたかれる原因もこの辺にあります。そしていろいろなことをやってきてますので、いろいろな立場の人になりきって考える事も得意な人が多いと思います。コミュニケーションは抽象化する力と相手の立場を思いやる事が肝だと思うので、別に声が大きいとか誰とでも仲良くなれるとかは無くても大丈夫じゃないかな。

【4】執着心の薄さ
また器用貧乏さんは功名や個人所有の財産には執着心が薄いのも特徴の一つ。だからこそある程度積み上げたスキルやキャリアを平気で捨てては、新しい事をやるので器用貧乏になってしまうわけです。そしてこの「功名や個人所有の財産には執着心が薄い」という資質は、リーダーに必要な「私心の無さ」につながるケースがあり、そうなると本当に事業の成果だけに的を絞って経営しますから成果が出やすくなるところはあると思います。また経営は不確実性に対して仮説検証を繰り返して正解を探求する仕事ですから、たくさん試しては捨てて正解を残す必要があり、この点でも執着心の薄さが功を奏する場合があります。

などなど。欲目もありますがダメなところとして語られている資質の裏側に強味も隠れているのは本当だと思います。

モチロン悪いところもあって、それは一つの事業が完成しきってないころから、あれこれ違う事をやりたくなる事です。多くの零細企業が成長できない原因の一つが、ここにあって社長の山っ気で関連性の無い事業をバタバタと始めて、リソースを分散してしまう。これだけは避けたい落とし穴だと思います。僕も日々この誘惑と格闘していますよ(笑)

で、結局何をいいたかったかって言うと、器用貧乏と呼ばれるような人たちが(僕も含めて)いわれてることを真に受けて、ただ自分の資質とは異なる生き方を自分に強制してみたり、そしてそれに挫折して絶望してみたりするのは、本当にもったいない事で、自分の弱みと同時にその弱みに見えるものが生かし方によって強味に変わる事がもっと語られるべきだし、僕はたまたま経営者になろうと思いましたが、器用貧乏向きのキャリアパスのロールモデルがもっとたくさん出てくると面白いなと思ったわけです。

そしたらきっと若かりしころの僕は、あんなに悩んだり自分を貶めたりする必要が無かったと思うので。

今日から器用にいろいろそこそここなす人のことを「器用長者」と呼びましょうよw

ってこれは壮大な僕のイイワケかも知れないですね。。

初出:北欧、暮らしの道具店2011/1/13

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