怒られないように仕事してはいけない
よく佐藤(共同創業者で妹)から
「自分がコミットした責任分野について、見積もりが甘かったり、想定外の事態が発生して予定が押しそうだったりした時、ある時は相談するのが早すぎる(もっと自分で考えなさい、あるいはネガティブ要因を過敏に捉えすぎているからそれが現実になってから心配しても遅くないよというような)と怒られたり、逆にある時には言ってくるのが遅すぎる(もっと早く言わないと対処できないじゃん!とか)と怒られる。いったい私はどの時点で相談するべきかがわからない!」
とクレームをつけられる事がありました。
きっとスタッフにしても同じように感じる事があったと思います。
これに対する僕の答は
「自分が相談するべきだと思った時に相談を持ちかけるのが正解で、その事によって怒られた(タイミングが間違っているとジャッジされた)か、怒られなかったか(タイミングが正しいとジャッジされたか)はオマケでしかない。間違ってるのは怒られないように自分の判断ではなく僕の顔色を伺って相談するかどうかを決める事だ」
というものです。
個々のスタッフの見てる視点と、僕の視点では経験や役割の違いから当然異なる風景が見えてるわけで、ジャッジの基準が完全に理解できないは当然なので、そのジャッジはミスジャッジだと指摘されたりする事は当然ありえます。
モチロン誰しも怒られたり、自分の判断を否定されるのは気持ちの良いものではありませんから、回避行動を取るのはごく自然な事だと思います。だけれどもちろん周りの状況を出来る限り観察、推測した上で、否定されるかも?怒られるかも?というリスクを個々がとって自分で判断して行動して欲しいと思うわけです。
つまり怒られたりする事があること込みで「仕事」であり「責任」だと。
逆に怒られないように仕事をしようとそれぞれがした場合、どうなるか。
それは既に試合が始まったピッチ上でサッカー選手が、チラチラとベンチの監督の顔色を見ながらプレーをしていることを想像すればわかると思います。
そんな状態では、勇み足みたいな自分の判断で監督に怒られることはないかもしれませんが、そもそも自立して大きな成果を出すという大きな期待には応えられないと思います。
もちろん事前のミーティングなどを通して監督の意図、戦術、そしてその中で自分がどんな役割を果たす事を求められているかどうかをよく理解するよう努力する必要は言うまでもありませんが、実際現場で、ピッチ上では自分を信じて判断し、失敗した時に否定されたり非難されたりするリスクをとらなければ高いパフォーマンスは出せないという事です。
だから僕がスタッフに繰り返し言ってきているのは、
「怒られた事がない人が良いスタッフじゃない。むしろたくさん判断/行動してよく怒られるけどメゲずに考え続け、行動し続ける人こそ価値がある」
という事です。
そして逆に、
「怒られたり、非難された時に、ムッとしてしまったり、イラっとしてしまったり、そういうことがたとえ態度に出たとしても、僕はそれについてまったく取り合わないし、そういう風になることを悪い事だとも思わない」
という事もいいます。
そうなるのは自負心、責任感の表れでもあるし、さっきのサッカーの例えで言えば、試合中の選手に監督が外からヤイヤイ言って、それにいちいち丁寧に礼儀正しく答えてられるのかと、必死であればあるほど、成果に対してまっすぐであればあるほど、自分の仕事に自負心があればあるほど、ある意味カッカするほうが自然だと思うんです。
なので大人として最低限の礼儀や思いやりやそういったものはモチロン持っているべき事は当然なんだけど、家族や兄弟の間がきっとそうであるように、言葉じりや些細な態度ではなく、責任を果たす事、期待に応える事で仲間に対する思いやりやリスペクトを表現しようと、まあこういうわけです。
まーウチのスタッフたちは、自立してしっかりリスクとって自分で判断するように頑張ってるし、その上あんまり間違わないので、怒ろうと思ってもなかなかその機会がないのがホントのところなんですけどねww
逆に僕が突っ込まれてる回数のが多かったりww
その点で怒られる事いっぱいして、いっぱい怒られて、体を張って何がOKで何がダメかをスタッフに背中で教えつつも、メゲずくさらず成長し続けてみせたクラシコムの長女佐藤の功績は大きいよねとも思います。
まあ手前味噌なんですが。
初出:2010/12/02北欧、暮らしの道具店
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