2020年Facebook投稿抜き書き
誰にも頼まれてないのに何年も続けているfacebook投稿の一年分の抜き書き。2020年は難しい一年だったこともあり思考は捗って多くの新しい概念や表現を手に入れたんだなと。過去一長いです。
1月6日
ハングリーさを超える長期間持続し強いコミットメントを引き出すモチベーションの源泉は「作家性」だと思う。
表現者の飽くなき作品をモノにしたいという欲求は自分個人の不幸さえ受け入れる覚悟を持たせる強力なモチベーションだ。
80代の巨匠と呼ばれるような作家が、心身ともに消耗しながら長編小説を書ききるモチベーションはハングリーさからは生まれない気がする。
自らの作家性に目覚めることは幸せかどうかは別として悪魔との契約並に巨大な力の源泉を手にすることだ。
そしてその目覚めのためには、何年も何年も己は何者なのか、我々はどこからきて、どこに行くのかという答えのない問いに向き合い続ける必要がある。
ビジネスにおいても教養とそれに立脚した哲学的思考力に身を浸し続けることによって「惰弱」ではなくしなやかな「強靭さ」「確かな実行力」が手に入ることを証明したいというのが僕の個人的なテーマだ。
1月9日
うちは成長を目指す企業じゃなくて、成熟の度合いを深めていくことを目指す会社なんだとわかった昼下がり。
そして成熟するにしてもまずは成長する必要がある。
適切な大きさな実をむすぶまでに成長しなければ成熟も何もない
ただ巨大ミカン、巨大リンゴ、巨大メロンになる必要はない。
十分成長したらそこからは成熟を目指すのが道理。
僕らの会社に入る人にとっても、うちにいたらできなかったことができるようになるみたいな意味での成長機会は多く提供できるかはわからないけれど、人としての成熟を深める機会は無数にあるし、成長より成熟が評価される会社でもある。
なので「成長できます!」は誇大広告だけど「成熟できる」はまあ嘘にはならない気がする。
成長してせっかく「成熟」できるチャンスが来てるのに、その機会に向き合わず慣れ親しんだ成長路線を継続するって全然勇敢じゃないし、面白くもないよね。
1月18日
ブランドをつくるという言葉って実態にそぐわない。ブランドはできるものであり、できたものを磨くものだと思う。
たぶん育てるという言葉もちょっとずれている。
だから僕には向いてる仕事なんだと思う。
僕はたぶんデベロッパータイプじゃないので、つくるとか、育てるはあまり得意じゃない。
見つけて、磨いて、活かすが得意だ。
そもそも今の事業もヴィンテージの販売から始めてるし、基本的にはその時掴んだ感覚でずっと仕事してる気がする。
なのでブランドビジネスは勤勉すぎる人や、努力は結果につながると信じすぎてる人には向いてない気がする。
怠け者のめんどくさがりで、諦観と審美眼を持ってる人の仕事。
1月22日
100分de名著の荘子を読んでるんだけど、主体的に生きるためには究極的な受身である方が良いということを以下のように表現してて、これってアジャイルの話しだし、YAGNI(ヤグニの話でもあるなと思った。
「感じて而る後に応じ、迫られて而る後に動き、已を得ずして而る後に立ち、知と故とを去りて、天の理に循う。」
システム開発の世界ではとっくに能動的であり計画的であることの限界を認めて対応が進んでるのに、むしろそれを包含するより不確実で難度が高いプロジェクトなはずの事業経営のフォーマットがいまだウォーターフォール的に再現性や計画性を重視しているのは過渡期なんだろうけどとても大きな損失な気がする。
借入や資本での調達や利益の再投資による繰延で未来の結果を最大化すると言う基本的な原理でさえ未来の角度がより不確実になればもはや疑うべきスタンスだ。
投資でもより不確実性が高まる局面では長期投資だけでなく、超短期な売買を繰り返すポジションも出てくるのと一緒。
先のことがわからない時には変化に気付くための敏感さが大事で、それをトリガーに自在に動けるコンディションをキープすることが心がけるべきことだったりするんじゃないだろか。
2月11日
渋谷パルコようやく行った。
正直6階だけが盛り上がってるし、希望がある。
そしてそこに現代的スーベニア産業の姿があった。
お土産だけはAmazonで買うと意味がなくなるという意味でD2Cたらざるを得ない。
ヒトはなぜお土産を欲するのか。
お土産はどんなジョブを果たしてるのかを深く考えることが物を売る産業の最後の砦な気がした。
2月12日
ブランディングやそれに伴ってLTVを高めていく取り組みは、そのブランドが解決する課題が「技術的課題」であるのか「情緒的課題」であるのかによって大きく異なる。
「技術的課題」を解決するブランドはブランディング施策として「情緒」にアプローチするが、「情緒的課題」を解決するブランドは一見ブランディング施策に見えるものが「R&D」であり「生産」であり「プロモーション」であり「サービス提供」であるため。
僕らみたいな「情緒的課題」を解決するブランドの当事者の実感としては「ブランディング」しているという感覚はなく、社内でも「ブランド」や「世界観」と言った言葉が聞こえることはない。ひたすら「情緒的課題」を解決するプロダクト、サービスを開発しているというスタンスだ。
なのでブランディング的な行為に対してROIをはかるという発想にはなりにくい。自社のプロダクト、サービスを競争力があるものにするためにバジェットの範囲内で最大限の投資を継続しなければ淘汰されるだけだという認識があるからだ。
一方で「技術的課題」を解決するブランドにとっては「情緒」はあくまでも売上利益を最大化する手段の一つであって、常に他の手段と比較してコスパが良いことを証明し続けることが宿命的に必要である。なのでROIで評価する合理性がある。
この両者を一口に「ブランディング」とくくって議論させてしまうと「情緒的課題」解決ブランドから見ると「技術的課題」解決ブランドの取り組みが近視眼的で戦略が浅いように見えてしまうし、「技術的課題」解決ブランドから「情緒的課題」解決ブランドを見るとフロックで成功しているお花畑思考に見えてしまうことがある。
2月12日
人は旅行やテーマパークを代表とする「非日常」に一定満足すると、その場に「宿泊」したいという欲求と「お土産」を買って帰りたいという欲求が生じる。
「本屋に泊まりたい」「博物館に泊まりたい」みたいなのも同じ。
パルコの6階で展開されていた「現代的スーベニア産業」はこの非日常が「アニメ」「ゲーム」「漫画」という仮想世界の「お土産」を売っているように見えた。
もはや成熟した日本市場では「リアル」の体験でちょっとやそっとでは「宿泊したい」「お土産を買いたい」とは感じられなくなってるのかも。
この「お土産」「宿泊」をより抽象度を上げてどう単にお土産と宿を提供するという商品じゃない拡張性を持ったものにするか、そもそも「お土産」を買いたい「宿泊」したいと思わせるだけの「非日常体験」をどうつくるかを考えていくと新しい価値筋が見えてくるかも。
2月12日
ファンだから買うんじゃないんだよな。
帰りたくない非日常を生み出して、留まりたい、持ち帰りたいと思わせるから売れるんだ。
アイドルの物販でも同じ。
だから世界を壊すようなことをするとファンがアイドルに牙を剥く。
タレントやお店やメディアにファンがいて、その人たちは味方だというのは幻想。
あくまでもそれらが提供する情緒的課題解決に満足してるからより欲しくなってる状態なだけ。
これ間違えるとアレっ?ファンじゃなかったの?ってなる。
2月17日
ぼくらの仕事である情緒的課題の解決とはすなわち、モヤモヤの解消だ。
そしてモヤモヤとはもう一歩言語化の解像度を上げると「これでいいのかな」という気持ちのことだと思う。
なので情緒的課題の解決とは、顧客の「このままでいいのかな」を察して、「このままでいいんだ」と思うことを助けるか、「このままでないどこかへ歩みを進める」をサポートすることだ。
僕らはこれをコンテンツとプロダクトで実行する。
2月27日
温泉の正体がわかってしまった。。活動主体の可視化されたオリジナルでチャーミングでリアルでシンパシーを持てる「動機」だわ。
僕らはお土産やお土産屋を一生懸命頑張って高品質にしたり差別化したりしてもたかが知れてるし、お土産やのお客さまをめちゃくちゃ大切にしてもたかが知れてる。
結局は魅力的な温泉を掘らなくちゃいけない。
お客様はお土産のファン、お土産やのファンじゃなくて温泉のファンなんだから。
この温泉にあたるものは活動主体の活動主体のオリジナルでチャーミングでリアルでシンパシーを持てる「動機」だわ。
温泉は自らのなかに無尽蔵かつ良質な動機の泉を掘ることなんだな。
自動車会社においてテスラが特別なのも、スマホメーカーでアップルが特別なのも、アパレルメーカーでミナペルホネンが特別なのも活動主体動機がオリジナルでチャーミングでリアルでシンパシーを持てるものだからなんだよ。
3月18日
僕らのYoutubeの登録者数や再生数の絶対数の伸びも企業アカウントとしてはまずまず好成績だと思うけど、これをコメント閉じて、Youtuberというタレントを推さず、かつスタイルは共通しているが多様なテーマの番組を提供する「スーパーチャンネル」化戦略でやるというやり始めるときにはその道のプロが絶対無理と言ってたことを全部やり切った上で伸ばしてるところがポイントなんだよね。これはマーケティングで伸ばしてるんじゃなくてイノベーションで伸ばしてるんだよね。
3月28日
こう言う先の見えないタイミングを健やかに乗り切るコツは、「これが収束したら、、」みたいなことを想像したり、期待したりしないで、今日明日のことだけに集中する。
予想したり、予測したりしない。
ホロコーストやシベリア抑留を生き残った人たちの共通点。
3月30日
リモートワークをはじめて一番最初に発生した壁は個人の自宅に仕事ができる環境がない人が大勢いたこと。
オフィスチェアがないから長時間座って仕事すると腰が痛くなる。
モニタがなくてノートパソコンだけだと首が痛くなる。
Wifiが脆弱で転送量上限などがあったりする。
などなど。
それに対してそれぞれ各自に環境を整えるように給付金を出そうと思うと、インテリアの中にいらないオフィスチェアやモニタは置きたくない。事態が収集したら取り除きたいと言う人も多かった。
なので家財便をつかって希望者にオフィスチェアとモニタを会社から送ったり、会社で用意したモバイルWifiルータの契約を無制限に切り替えて送ったりすると言うことでしのいでいる。
こういうことはやってみないとわからなかったですね。。
3月30日
本当の応援や、本当のアイディアや、本当の力量や、本当の知恵が必要になるのはむしろ一年後とか二年後。今はみんなテンション高いけど、あらゆる取り組みが失敗し、アイディアが枯渇し、自然の猛威の前に人の力量や知恵が不十分であることを思い知らされ、人々の意気が消沈したその時こそが各界のリーダーたちの本領を発揮するべきタイミングかもしれない。
周囲のテンションの高さに巻き込まれず、自分の本当の出番まで力を貯めてじっとしておくことも一つの選択だと思います。
3月30日
2月からコロナ禍におけるリスク対策のためにしたこと。
1)リモートワーク
2)保有現金を取引銀行の格付けを考慮しつつできるだけ適正に分散
3)最悪のシナリオで3年分の資金繰りシミュレーション
4)全ての販管費を管理可能、不可能に分けてどこまでブレーキをかけられるかの限界を把握
5)ハイパーインフレや極端な円安による現預金価値の毀損を避けるために、その兆候をどこに見出し、兆候が出たらどう対処するかなどのプランニング
6)社用車の調達
7)公的支援の現状の内容確認とアップデートを確実に追える体制の確保
8)成長に対応するための投資案件は全てペンディングに。一方ダウンサイドリスクに対応するための投資案件は優先順位を引き上げて対応。
9)採用活動の一部停止
10)取引銀行とのこれまでと同条件での追加借入余地のすり合わせ
11)パートナー企業の防疫体制確認とリスク顕在化した場合のシナリオすり合わせ
12)サプライチェーンの情報収集を継続的にする体制の確率
13)注残金額の把握と納期を大幅に遅れる物が発生した場合についての引き受けについての協議
4月3日
今回の有事においても改めて実感するのは優秀な「遊軍」が確保できていることの強さ。言い換えれば平時の余剰人員。エース級の人材をあえて一定数「遊軍」にプールしておくことの価値は機会的有事、危機的有事のいずれにも即応できること。
2年前に社長室をつくろうと決めて7人いるので社員数70人弱の会社としては10%を超える規模なわけで割合は小さくはないが確実に組織や事業が強くなることを実感している。
4月16日
これから僕らが直近3年乗り越えなきゃいけない三大リスクはインフレ、災害withコロナ、治安悪化じゃなかろうか。あとのことはとはいえ平時の延長のゆらぎでしかない。このうちどれが起きても最低限の安全を確保するためにここで知恵を絞らないとですね。
4月17日
ドラッカーが機能する組織であるためには所属する個々に「位置と役割」が必要だと書いているが、リモート体制になって改めてマネジメントの役割として個々人位置と役割を与えて、自覚させることがより重要になって来た気がするわ。
自分で見つけて!はかなり困難で、マネジメントがちゃんと汗を書く必要があるよね。
僕は元々プレイングマネージャはあんまり推奨しない流派だったんだけど、この状況下においてマネージャはプレイしてる場合じゃないとしか思えないな。
4月17日
3年後には営業利益の3分の2はフィジカル以外であげられる状態をつくろう。
そのための土台づくり、環境面とシステム面、そしてプロダクトづくりのためにまず一年、PMFするまでに一年、そしてドライバーを見つけて目標のサイズまでスケールさせるのに一年の合計3年だ。やったる
4月20日
「禍福は糾える縄の如し」というのが最近つくづく思うこと。
例えば最近コロナ への対応がうまくいっている国として香港や韓国や中国、台湾が挙げられているけれど、なんでうまくやれているかといえばSARSやMARSで酷い目にあったから、それを教訓に準備していたからで、日本や欧米はその時は幸運なことにアウトブレイクせずに切り抜けたわけだが、だからこそコロナには準備ができてなかった。
でも一方でいまアウトブレイクして大量に感染者を出してる国は言い換えれば集団免疫獲得に一番近い国であるわけで、いろいろ苦しい時期を潜り抜けたら、力強く復活でいるタイミングはむしろ早くなる場合だってあるかもしれない。なんせワクチンや特効薬が数年内にできる保証なんてないのだから。
4月20日
サプライチェーンが分断され、鎖国状態が続いた世界で一番儲かる商売なんだろ?って考えたら、まさかの貿易!!ってなった。
物が手に入りにくくなる世の中においてもはや売り方は重要じゃなくなるから、持ってこれる奴が最強の時代が来ちゃうのか。。
マーケ不要の圧倒的なプロダクトアウト時代の再来か。
4月20日
もし仮に貿易が最強の「大航海時代」再来が起こると世界はどう変わるのか。。
それはおそらく戦争と侵略の時代の再来だ。
物が足りない時代のビジネスはイージーで産地や生産背景を奪えばそれで富が生まれる。
実は素材やアッセンブリされたプロダクトが飽和しコモディティ化したことでマーケティングがないと富が創出できなくなり、単純に物を奪えば儲かる分野はエネルギーと貴金属くらいになってしまった。そしてそれらはいまだに多くの血を流す奪い合いのタネになっている。
でもそれがあらゆる素材、農作物、工業製品に及ぶと想像すると、どうだろう。一番手っ取り早いのは軍事力による侵略による生産背景の奪取だ。。
なのでマーケティングという知的技術によってブランドという無形資産に富の源泉を持つと侵略が無意味化して世界が平和になる?
4月25日
日本人は「コンセプト=概念」を扱うことが苦手という文章を読んで、なんでだろう??と考えてみたんだけれど、一神教という「コンセプト=概念」の大元で権化の影響下にないことが原因かもとふと思った。
だとすると中華圏でもその傾向がみられるのか?
一神教的信仰心とは「コンセプト=概念」を日常的に身体的なレベルで実感することだから、「コンセプト=概念」を扱うことが呼吸するように自然にできるという可能性はあるよね。
キリスト教でいれば神と悪魔、原罪と贖罪、天地創造とハルマゲドン、天国と地獄など二元論的概念のオンパレードだ。
4月25日
石川さんの本を読んで、なぜ僕が本を書くことには興味がないのかがわかった。
僕が書きたい?(というより書けるかもしれない)ものは「論文」なんだなと。
「本」だと「答え」を書かなきゃいけない気がして、それはもう70歳くらいにならないと無理だなと思うけど、「論文」なら大きな問いにつながるひとまわり小さな問いに対するその時点までにわかったことがかけるし、他の人がその続きを書けたりもする。
ただ僕には「論文」を読む機会も、書く機会もないのだが、石川さんの本はいつ読んでも「論文」を書くようなスタンスで書いてあり、その上僕のようなものにも読みやすいように書いてくれてるから、続きを自分で考えたくなる。
4月26日
なんと恐ろしいことに、僕の人生にもついに「志」が必要になってしまったということなのかw
長いモラトリアムだったなぁ。
自分の人生に明確な意味づけをして目的地を決めなくては。
これこそ「決断」だ。
4月27日
これからの時代がどうなるとか、何が流行るとか、何が終わるとか、そういうのはもうどうでもいいよね。
自分たちにリアルな動機があって、お客様が喜ぶものを、卓越したレベルで拘ってつくって、届けるだけ。
僕らが今日リリースしたお化粧品なんて紀元前からある商品だからさ^^
4月27日
通販の成功したときの収益性の高さや競争の激しさでいうと
インテリア<アパレル<コスメ
だと思う。
だから僕らは高校野球からスタートして、プロ野球入りからのメジャーリーグデビューが今日だったわけだ。
この順序は創業の頃から思い描いていたので、果たしてメジャーデビューして成功できるのかはわからないのだけれど、まずは14年目にしてメジャーまでたどり着いたことは嬉しいよね。
ただいきなりメジャーに行かず高校野球から時間をかけて積み上げてるので肩とかめちゃくちゃすごい仕上がってますよ^^
5月4日
改めてこの機会に自分の経営というものを点検してみると、自分の世界認識が今に始まったことではなく、基本的にずっと戦時だという前提があり、戦時の経営をしてきたんだなと。なのでこうなったからといって変えなきゃな部分は少ない。
実は戦時の経営とは余力を残す経営で、根性論で力を出し切る、出し切らせる経営は平時の安定した土台があるからできるレバレッジを利かせるマネジメントだ。
戦時においては悪いなりにも継続性を維持すること、戦局が変わりここ一番というタイミングで戦力投入できる遊軍が確保できてるかが生き残る上でとても大事。
つまり裏を返せば、正規軍については兵站重視、消耗させきらない余裕を持った運用がなされるため、状況の過酷さと比べて隊内は比較的落ち着いており、必死という雰囲気は少ないことが望ましい。さらに遊軍に至ってはすぐに動ける規律を保ちつつも出来るだけ何もしてない方が良い。何もせずに規律を保つ難しさに向き合うことこそが最も困難で、指揮官が向き合うべき本質的課題の1つだと思われる。
ぼくらの働き方や、負荷のかけ方が相対的にマイルドであるから、人によっては戦時経営には見えないと思う人も多いと思うが、僕としてはこれこそが戦時経営であり、平時にも戦時体制でいるからレバレッジが効かず成長速度という点では劣っていたということだと思う。
5月4日
ベンチャービジネスの要諦は「平時」の世相において安心して「市場内」「産業内」「社内」を「戦時化」することで常在ならざる成長を目指すということなんだな。
「平時」には社内を「戦時化」し、「戦時」には社内を「平時化」する。
5月7日
次の時代を語るより、あの時代のあれ凄かったよねって振り返って語られるものをつくることがしたい。
語るより、語られたい、まじで。
5月11日
賞罰が行政機関、司法機関によって行われていた時代から、人々がそれらを信頼しなくなることによって、寄付や給付を個人や企業が直接実施するというポジティブに見える面と、様々な方法での私刑によって主観的「悪」を罰そうとするネガティブに見える動きが出る。
これらは同じ「国家」への信頼低下という根による現象だろう。
次のフェーズとしては私的な賞罰ルールに共感する人たちがオーガナイズされて「トライブ」化する。トライブの安心安全を守るために安全保障も「私」化する自警団的な機能を保有するようになるという未来があり得るのかもな。
5月14日
アメリカのドネーション文化と銃社会であることは表裏一体。つまりは「小さな政府」志向だし、国民が国家や政府を基本的には信頼していないということだ。
これが良いことなのかどうか、片側だけ見て良いとか悪いとかいうのがいいことなのかをこの機会に考え続けている。
5月22日
ライフスタイルブランドからライフカルチャーブランドへ。
というスローガンを思いつけた。
これはヤバイわ。
5月22日
僕らが音楽でやろうとしているのはレアグルーヴムーブメントに近いこと。
レアグルーヴが音楽をカテゴリやジャンルじゃなくて「クラブで機能するか」という軸で括ったわけだが、我々の顧客的なカルチャーの人の「暮らし」の中で機能するかと言う軸で選んでいく。
だから当然その中にはジャズもクラシックもロックもフォークもヒップホップもテクノもなんでもありえる。
5月24日
何か新しいことを始めるときに既に先行して成功している人のやり方をトレースすることは弱者が強者に対して「ミート戦略」を実行することでランチェスター戦略的に言えば敗北がやる前から決まってる。弱者は常に強者に対して「差別化戦略」でのぞむべきで、強者は弱者の差別化戦略をミート戦略で無効化すると言うのがセオリーだ。
なのになんで世の中は先行事例のベストプラクティスをトレースしようとする弱者で溢れているのか。これでは強者総取りの世界が強まってしまう。強者がミート仕切れないほどの差別化戦略で弱者が生き生きと生存する世界線を選びたい。
5月28日
リモートがいいかとか、オフィスに集まって仕事する方がいいかとかは、正直それぞれの個別特殊解なので、比べることそのものに全く興味がない。
が、僕らのミッションが「フィットする暮らし、つくろう。」でビジョンに「自由、平和、希望」を掲げていて、「新しい選択肢=希望」と定義しているので、時代の要請でしょうがなく始めたリモートワークが「新しい有効性のある選択肢」であることが証明された方が「希望」であり「自由」でかつマイノリティな選択なら「ユニークなポジション=平和」だし、そういう選択肢が世界に定着すれば「フィットする暮らし」が作れる人は増えるはずなので、コロナがどうあれこの実験をある程度のところまではやり切りたい。
また僕らのバリューが「センシティブ、チャーミング、オルタナティブ」でセンシティブに感じ取り、チャーミングに解釈して、オルタナティブな成果を産み出そうという意味なので、コロナの危機に敏感に反応しつつも、その状況をチャーミングに解釈して、オルタナティブな成果につなげたいので、そういう意味でもリモートワークが相対的に機能性が高いかどうかでなく、この機会、このタイミングでは自分たちのミッション、ビジョン、バリューに照らし合わせてどうした方が良いのかを考えて判断していきたい。
*以下追記
ただクラシコムは「営利企業」であり、収益を上げることが前提の組織です。
なので長期の収益性に反する意思決定は何があってもしません。
それはこの組織の存在意義がなくなってしまう。
めちゃくちゃ家事をしてくれて、稼ぎのよい、子供にとっては良いお父さんでも、浮気しまくってたら「結婚関係」が成立しない(一般論)のと一緒です。
どんなに居心地が良く、美してくても、クラシコムが営利企業である以上「収益性が高い」ことが実現できなければ成立しないし、存在意義が崩壊します。
なのでリモートワークが事業の収益性にマイナスであることが明白になればすっぱりやめます
5月28日
よくセールしない宣言している人とか居るし、広告使わない宣言とかも見るんだけど、僕らは自分でそういう宣言はしないんですね。
現状広告あまり使ってない、現状セールはあまりしてないというファクトについていうことはあっても、それがあるべき姿だからそうしてる、これからもそうする!みたいな宣言はしない。
世の中は不確実なので不確実性臨ためには選択肢は多い方がいいです。なので自分が現時点で取らないことにしている施策を「よくないこと」として「やらない」と宣言してしまうことはカードを一つドブに捨ててることになります。いざやらなければいけなくなったときにはそれを「ドブ」から拾った汚れた選択肢として使わなければならずいいことありません。
必要になったらどんなカードでも使えるようにしつつ、今どのカードを切るべきか、切らないべきかを考える。
経験の浅い経営者が陥りがちな罠なので気をつけた方が良いです。レースは長いので。
5月30日
人的、資金的リソースが限られてるおかげで、強い動機も、潜在的なポテンシャルも無い領域へのチャレンジを制限され、本当にやりたくて、やるべきことを一つづつ順番にやれたのは結果的にラッキーだった。
ここ数ヶ月かつてなく強い制約事項の中で事業をしているわけだけど、改めてやらなくて良いことや、なくて良いものはたくさんあることに気付かされるよね。
6月1日
フルリモートで働くのは、マネジメントにとっては負担が大きい。そのため組織運営にイノベーションが必要となる一方で、プロダクトやサービス自体にイノベーションを起こすための工数は削られる可能性がある。
一方集まって今まで通り働くのはマネジメントにとっては負担が少ない。なので組織運営にイノベーションは起こりにくいが、プロダクトやサービスにイノベーションを起こす余力が前者よりはある。
さて顧客に提供する価値を最大化するためには、プロダクトやサービスを直接触ってイノベーションを起こすのと、組織運営にイノベーションを起こすのとどちらが近道なのか。
これって経験がそれなりにある人が考えると容易に結論を出せない、結構考えがいがあるテーマになりそう。
6月2日
コンテツマーケティングとかメディアコマースという概念は成立しない。
ガチャに課金するゲームのそれ以外の部分を面白くする活動を「コンテンツマーケティング」の取り組みと呼ばないことと一緒。
マネタイズモデルを含む「プロダクト」開発&運用でしかないよね。
で、プロダクトが一定以上イケてたら広告を中心とした狭義のマーケティングの重要性が下がるというだけのこと。
映画も興業というマネタイズモデルを含む「プロダクト」なのでいい「コンテンツ」にすることが興業というマネタイズモデルを成功に導くが、その活動を「コンテンツマーケティング」とは呼ばない。
6月2日
リモートかオフィスかという二元論ではなく、身体感覚の共有をどの程度重視するか。為そうとしていることにどの程度必要なのか?という思考がいる。
実はリモートという選択肢がなくても、身体感覚の共有レベルの違いは存在していた。
1)寝食を共にするレベル(ex.スタートアップのシード期とか?)
2)インフォーマルな会合を奨励するレベル(ex.飲みニケーション推奨)
3)オフィスに集まって仕事することを推奨するレベル
でこれに
4)オフィスにくるかリモートで仕事するかを選択できるレベル
5)フルリモートで仕事するレベル
が追加されたイメージ。
もともと1)と3)では身体感覚の共有度合いはかなり大きな差があり、3)と4)の差よりは場合によっては大きいかも。
なので実はもともと個々に大きな差があり、個別最適にやればよくて、二元論でどちらが良いかとかはあまり問題の捉え方として適切ではない気がするんですね。
ちなみにうちはコロナ前はほぼ4で、現時点でほぼ5なので、今のところは大きな差が発生していない感じです。
でもコロナ前が仮に1、2だったら差が大きすぎて混乱していたと思います。規模、業態、フェーズなど変数が多いので本当それぞれだなと思います。
6月5日
昨今のDXとして語られてることの多くが、生産性向上のフレームワークECRSで言えばSに属することがほとんどで、先にECRをやり切ってどうしても残ってしまった業務をSの方法論としてDXするというのが筋。
ECRに全然手をつけないままにSだけ気合入れても効果は薄い。
とくにEについては経営のセンスの良い決断が必要で、だからこそ現場にDXやっといての丸投げでは起こせない大きな変革につながる。
6月5日
人を信頼しつつも疑う。
聞きにくいことも聞くし、言いにくいことも言う。
多少空気がおかしくなっても、腹を割ってすり合わせて連帯できる。
これができないとどんなに知識があっても、技術があっても結局はそれができる人の世話にならないと仕事は成就させられない。
6月7日
【リモートワーク孝】
パソコンが普及した90年代末から00年代多くの経営者がパソコンを一人一台配るのに相当危惧したことを思い出す。
あの時も、仕事してるフリしてるんじゃないか、人と人とのコミュニケーションが希薄になるんじゃないかと危惧され、なかにはパソコンは共有の場所で作業時だけ使うというような会社も多くあった。
でも今そんな会社はゼロに等しいだろう。
仕事してるフリをしてる人は増えただろうし、コミュニケーションは相対的に希薄になった。
でも生産性は上がったのだろう。みんながパソコンを一人一台持つ世の中になったんだから。
もっといえば仕事してるフリしてても十分なくらいエッセンシャルな仕事は少なかったのかもしれないし、コミュニケーションの濃さと生産性にはとくに相関性がなかったか、あったとしてもテクノロジーで補えたのかもしれない。
またそもそも世論としてパソコンを配り渋るような会社はイメージが悪くなり人も集まりにくいことから背に腹を変えられなくて導入したこともあったかもしれない。
全員にパソコンを配ることを全員でリモートワークするに置き換えると、思考実験が捗る気がする。
僕も悩みつつ、迷いつつパソコンを受け入れていった経営者のようにリモートワークに向き合ってる。
6月8日
その時々の問題を解決するための決断が、確かにその問題を解消しつつも、異なる問題の芽となる。そしてそれを解決するための決断が。。の連続だよね。わかっちゃいるけども。。
6月9日
売上や利益の額は結果であり目標にはできない。
正しい資産配分。
正しい費用構造。
正しい集客構造。
正しいプロダクト開発。
を徹底し、正しさを研ぎ澄ませていけば、結果として売上は上がり、利益は残り、キャッシュフローが創出されるよね。
「正射必中」派。
6月10日
僕らは戦ってないわけじゃない。
「競争」という戦いには興味はないが
「抵抗」という戦いに命を削ってる。
「競争」は支配構造のルールの中での優劣強弱を競うこと。
「抵抗」は自分たちを損なう支配構造のルールではない、自分たちにフィットした美しさ、正しさ、面白さを定義し直し、否定し阻もうとするものからそれを守ること。それが世の中に安定した居場所を得るように務めること。
かわいらしいなりはしてるが「抵抗」という戦いに身を投じる戦士なのだなw
6月13日
先が見通せずに人生を歩むことを
「運命に導かれて生きる」
と表現していたドラマをみた。
悪くないな。
6月18日
僕らが上場するとしたら「株式」という名前の新規プロダクトを「投資家」に「販売」するクラシコム株式販売事業という新規事業を立ち上げるイメージだと思うんだよね。
なので「顧客」である「投資家」に適切な期待値で商品を紹介し、購入のハードルを下げ、期待値を超え、信頼を勝ち得ることでロイヤルカスタマーになっていただくという今やってるビジネスと何ら変わらない仕事をすることになるはず。
ECで「生活者」を顧客化し、マーケティングソリューション事業で「事業者」を顧客化し、IR活動で「投資家」を顧客化する。
この新規事業にビジョンを持って取り組めるIRの責任者なのかCFOなのかが必要だなぁ。
クラシコム株式というプロダクトが提供するバリューを設計し、顧客とコミュニケーションし、磨き、ディストリビューションされていく仕組みをつくる仕事。
6月19日
しいたけさんの下半期の獅子座へのテーマが「アジトを持ってレジスタンス活動をする」なの、ほんとどこかで俺をみてるのかと、毎度思う。自分の活動の本質が競争にはないことはわかっていたんだけど、戦ってはいて、それが「抵抗」というたたかいなんだとわかったのがつい2週間ほど前ですよ奥さん。
6月19日
成果を上げるためには、それが複雑なものほど「コミュニケーション」によるすり合わせの妙が必要。例えば車とか飛行機みたいな製品はまさに物凄い量の部品のすり合わせの妙で出来上がっている。
ただ「コミュニケーション」を多くしようと言う掛け声は多くの場合あまり効果を生まないように感じる。雑談の時間を取ろうとか、飲みニケーションしようみたいなこと。
大事なのはコミュニケーションという本業に時間をさく余裕を生み出す高い「生産性」と、どんな些細なことや生煮えなことでも気軽に相談を投げかけられる「関係性」の二つで、これがあれば、自然にコミュニケーションは生まれるし(コミュニケーションしてすり合わせなきゃいけないモヤモヤ、ヒヤヒヤ、ワクワクは山ほどあるから)、コミュニケーションが十分取れれば普通成果は出るだろうと思う。
6月21日
生活者の顧客、事業者の顧客、従業員、パートナーという利害関係者となぜ適切なリレーションが築けたかと言えば、それぞれの立場の人たちの中にある多様な「ペイン」を見出し、その中で自分たちの得意なことで癒せるものを特定し、それだけを満たすパッケージをつくってディストリビューションしてきたからだった。
僕らが「投資家」という立場の人たちといまだに関係性がうまく作れていないのは彼らの中にある多様な「ペイン」が見えていないから、その中で我々の強みで癒せるものがあるのかどうかがわからないことが一つの原因としてある。
もう一つは投資家が持つ多様なペインが、各種機関投資家という代理人を通じて全てスパム化されて我々に伝わるペイントしては均質化、平均化された本来誰のものでもない(でも最大公約数ではある)ペインが提示されていそこに実感として寄り添いたい、癒したいとは思いにくいところがある。
広告においては直販を前提とすることで各クライアントごとのリアルなペインに寄り添えたことがこちら側も楽しく仕事をし、かつ成果を過不足なく出すことを容易にしてくれた。
物販においては完全に直販のみで顧客と繋がったことが大きかったし、採用においても自社サイトを中心とした自社媒体からの直接的なコミュニケーション導線を通じて採用広報、採用活動を行ったことが良い関係づくりに繋がった。
つまりオーダーメイドの良い関係性をつくるコツは「直接」つながることだ。
なのでおそらく多様な一次出資者の中で、僕らの強みをつかって癒すべきペインを持っている投資家と繋がることができるのが一番良いのだろうと思う。
つまりはやりたければDtoCでもDtoB(Business)でもDtoE(
Employee)もDtoI(Investor)もできる時代になってきたってことなのかもね。
そして僕らが唯一DtoXできてない最後の暗黒大陸がInvestorなんだろうな。
7月2日
IPOの時とか、株主総会の時とかスーツ着ないと叩かれるみたいなのがあるからみんな着てるのかな。
普段toCの顧客にもtoBの顧客にも、お取引先様にも、求職者にもカジュアルな装いで向き合ってるので、リスクがなければ投資家にも同じように向き合いたいんだけどな。
顧客からみて「あいつら投資家に対してだけ態度変えてるんだな」と思われたくない感はある。
子供じみたこだわりというより、どのステイクホルダにも分け隔てなく接していることを破綻なく表現していきたいんだよな。
7月8日
今日友人とおしゃべりしていた時に
「上場したらいろいろ大変だよ」というアドバイスって、
「起業したらいろいろ大変だよ」というアドバイスに似てるよねって話になったなるほどって思った。
そして改めていろいろ吹っ切れた。
7月9日
何か価値のある活動を初めて
それを「仕事」にして対価を得ようとすると、「趣味を仕事にすると大変だよ」というアドバイスに直面する。
しばらく「個人」として対価を得て仕事をして軌道に乗ってきたら「会社」をつくって組織にしようとすると「会社(組織)でやるって大変だよ」というアドバイスに直面する。
「会社」をつくってしばらくしてどんどん成長すると「会社が大きくなると大変だよ」というアドバイスに直面する。
会社が成長して「上場」を考えると「上場したら大変だよ」と言うアドバイスに直面する。
自分に関して言えばここまで「大変」になる方を選び続けてきたわけで、むしろ大変じゃない方に行って「退屈」したり「絶望」したりするのが嫌だっただけだった。
7月14日
どんな分野でも自分が取り組もうとしてる分野で物凄いエクセレントなことを実現している事例に着目するのは考えものだ。あれもできないと、これもできないと、、と思ってしまう。自分たちが向かうベクトルには反しない形で最もコンパクトに踏み出せる一歩目がどこなのか。どこから始められるのか。最初のOKラインはどこなのかを解像度高くイメージできることの方が大事なフェーズがある。
まずはしょぼくてもいいから参加すること。
そしてしょぼいんだから周りに期待させすぎないこと。
その上で実績で期待値を更新し続けていくこと。
そうやってわらしべ長者みたいになんでもやってきたってことをいつも思い出さないと。
7月14日
夕ご飯食べながら中2の息子が
「あー貴族になりてぇ」と呟いた。。
僕の中学時代の将来の夢、貴族。。
DNA怖い。
7月17日
意識低い系で、知覚高い系でありたいなと。
必要ない時は「無意識自動操縦」で全然よくて、考えるべき時に「知覚」して「意識」モードを素早く起動できさえすれば良い。
意識高い系は極力「無意識でいたり、やったりするのを避けたい感じ。知覚高い系は普段はスリープモードで全然良くて、必要なタイミングを「知覚」できるので、瞬時にアクティブ状態になれる系。
7月22日
資金調達するなら「退路を断て」というのは投資家の立場に立てば退路を断った相手の方がコントローラブル(ほっといても逃げなそうという意味で)だからそうして欲しいのは理解できる。
起業家側から言うと、退路を確保したいと思う時はあってそれはうまくいく確率が一定以下だなと思う時だ。起業家というものはそもそも「これ絶対うまくいくんじゃない?」と思ったらAll inしたくなるものなのでワンチャンあるかもだけど冷静に考えればうまくいかない可能性もかなりあるよねと思えば退路を確保したいのが普通だ。
で、投資家が頭のネジがぶっ飛んでる起業家よりはクレバーな起業家に投資したいならほとんどの起業案件はクレバーな観点からは「ワンチャンあるかも」くらいなので退路を確保したくないクレバーな起業家はいないんじゃないかなと。で、確度が高まると自然と「退路にリソース割いてるのマジ無駄すぎる。ALL inさせてくれ!」というマインドに変化していくのが普通な気がする。
だから一つの論点としては起業家側が「退路断つこと」を投資の条件にする投資家から資金を調達するのは「目の前にオポチュニティがあるのに退路確保しなきゃいけない今の状況まじ無駄。早く資金調達してALL INしたい」と思うまで待つことだと思う。それも待てないくらい自分に資金がなく、退路を立たなくても出してくれる相手がいないなら、多分そのオポチュニティをキャッチアップする準備ができてない、トライする資格がまだないと言うことなのかもなと。オポチュニティはまた巡ってくるから準備ができるまでスルーするのもありだと思う。
一番良くないのは自分は「ワンチャンあるかも」くらいだと本当は思っていて退路を断ちたくないのに、そのオポチュニティに執着しすぎて無理やり退路を立つ選択を受け入れることかなと。
僕はよく「恐怖」は大事なシグナルだから無視しちゃダメと言ってるんだけど、起業のはじめからそのシグナルを無視する癖がついてる経営者って正直あんまりうまくいかないと思うんだよね。
8月12日
「怖い」「苦しい」「悲しい」をそのまま相手に伝えられない、伝えてはならないと思っているから「正しい」に変換しようとする。するとその原因らしい物は自動的に「悪」に仕分けられてしまう。これが争いを生み、より多くの「怖い」「苦しい」「悲しい」を生みだす無限ループが駆動して修羅の国がいっちょ上がりになる。
「怖い」「苦しい」「悲しい」をそのまま伝えること、そしてそれが「正しさ」に変換されてなくても大事に受け取ること。こうすれば少なくとも「怖い」「苦しい」「悲しい」が増えることはないし、共に減らしていく努力ができるだろう。
人間は感情の生き物だから、感情を感情のまま大切に伝え、大切に受け取ることができるようになるだけでほとんどの問題は解決しそうだが、実際には気が遠くなるくらい困難な道のりだ。
8月13日
建設的じゃないコンフリクトが起こる原因ってよく感情論をぶつけるからだみたいになるけど、むしろ感情論がよくないこと、稚拙なことと言われているから「怖い」「苦しい」「悲しい」と伝えることができず、それを「正しい」「正しくない」という論法に変換して伝えようとすることで起きる気がする。
「その言い方私にとっては怖いです」というと否定されそう、馬鹿にされそうだから「そんな言い方はただしくない」と伝える。
でも何が正しいかはそれぞれ異なるので、「正しい」「正しくない」で争ってもむしろ問題は大きくなるしかなくてそもそも問題だった誰かがあるやりとりで「怖い」「悲しい」と思ったという事実を癒したり、痛みを緩和したりすることにはつながらなくなってしまう。
でももし「その言い方私には辛いです」と伝えれば、本来誰も否定できないし、言われた相手も一般的な正しさはこうだ!と決め付けられる感じもないので「そうかこの人にはここ気をつけてあげた方が良いのね」と取説を教えてもらった感じで受け取れば良いだけになる。
でも往々にして受け取る方も「私は辛い」と伝えているのに、自分のやり方が否定された、「好き嫌いで言うなんて正しくない」「感情論をぶつけてくるなんて正しくない」と返してしまいがち。
そう言う時は「そっかーびっくりというか、知らないうちに傷つけてたってこっちもショックだなー」と感情論で正直な感想を返せば良いと思うんですね。そして「自分とは違うポイントで傷つく人と話のは気を使うし怖いなー。だから予測可能性が高くなるようにどの辺が傷つきやすいポイントかを知っておきたいなー」と。多分それが本当のところなので。
で、そこからどうやったら個別相対的に偶発的な傷つきが発生しないように、お互いの取説を交換してすり合わせるしかない。
自分にも、もう一回感情論というものを否定的に捉えない訓練というかアンラーニングが必要だなぁ。
8月25日
インテリア>アパレル>コスメ>エンタメと機能価値から情緒価値の度合いが高い領域、フィジカルな価値よりはアンフィジカルな価値の方に事業が展開されているし、それは合理というより僕という経営者の好みによってそうなっていると思う。
じゃあインテリア>アパレル>コスメ>エンタメの次はなんだろうと思った時にやっぱり「金融」なんだろうなと。
クラシコムらしい金融業ってなんだろうっていうのが最新の思考のおもちゃ。また何年も純粋思考の世界で遊べるおもちゃが見つかったw
8月27日
事業始めてから最大で2億ちょいくらいの借入を個人保証付きでしてたけど、怖いと思ったのは最初の三千万くらいまででそのあとはどうせしくじったら返せないもんなーと思いながらポンポンハンコついてた。
ただ赤字の補填や、設備投資のための借入はしたことなくて、あくまでも増加運転資本の手当てのためでしかなかったのも怖くなかった理由だと思う。
結果的に創業から10年のタイミングで全ての借入から個人保証が外れて、あれが僕のインディペンデンスデイだった。
多分上場するときよりよほど清々しく達成感あったんじゃないかなと。
個人保証なくて外部資本も入ってないとインディペンデント感が半端ないw
8月29日
株式会社のコーポレートガバナンスの仕組みを知れば知るほど、牽制関係による自律統治によって株主の労力をかけずに富を生み出す仕組みなんだなーとしみじみ感じる。
それってまんま植民地統治の方法と一緒だ。
例えばルワンダを統治したベルギーは本来民族的な区別が意味をなしてなかった土地でほぼ人造的に部族を二つに分けた。ツチ族とフツ族だ。
そして少数派のツチ族は優秀な支配階層ということにして、多数派のフツ族を統治させ牽制関係を成立させた。
このことによってルワンダはベルギーが最小限の手をかければよい状況で統治が成立した時期があった。
しかしこの人造的な分断と牽制関係がのちの80万人の虐殺をうむ民族対立紛争につながる。
コーポレートガバナンスに戻って考えれば、株主がベルギー、ツチ族が取締役、フツ族が従業員という構図だ。そして従業員同士も役職の上下や部署間の牽制関係によって統治されている。
資本主義社会の根本にもはや意識するの難しいほどインテグレートされているのが分断と牽制なんだなと改めてしみじみと感じる。
僕らの立場で資本主義の是非を議論しても意味がないので、資本主義のルールの中でこの分断と牽制がもたらすネガティブな要素をどうやって最小限に押さえ込むのか。そしてそれは必ずできるということを証明してみたいというのが個人的なテーマでもある。
8月30日
政治的な意味での「保守」というのは先の投稿でも書いた「分断と牽制」を持続的に秩序と繁栄を守る現実的で有効な手段であり、歴史の洗礼を受けている確実性の高い手段でもあるから、多少問題があっても手直ししながら活用していこうという立場のことなんだろうな。
そして政治的な意味での「革新=リベラル」というのはこの「分断と牽制」を否定し全ての人民を一体としよって平等に扱うという思想なのだろう。このリベラルの問題点は今持って人民を一体として扱ったときに持続的な秩序と繁栄のためのガバナンス手法が確立されていないので、思想としては共感できるが、現実には破綻するか独裁都全体主義に堕す事例しかないということだろう。
僕の個人的な立場は「保守本流」だと思うけれど、そろそろ「分断と牽制」以外の有効な統治手段が発展したテクノロジーを背景に確立されてこないかなというところ。
8月31日
価値を生み出す運用すべき「資本」が
Financial capital
↓
Social capital
↓
Motivation capital
に移り変わってきている気がする。
かつて金融資本へのアクセスが難しい時代には、Financial capital自体を持っていることに価値があったわけだが、それが一定コモディティ化した段階でSocial capitalさえあればFinancial capital含めたリソースは調達可能なのだから注力すべきはSocial capitalだというふうになってきていた部分もあったと思うのだが、Social capitalそのものも一定コモディティ化しているのと、Financial capitalに比べ得るとあまりに安定しない、入れ替わりの激しさなどがあることが明らかになってくる中で、そもそも「Motivation」が魅力的ならあっという間にSocial capitalを手中にでき、それがFinancial capitalも呼び込むということを目の当たりにした現在において、魅力的な「Motivation」を発見し、磨き、運用することこそ価値づくりにおいての源泉であり「資本」形成であると言える状況があるんじゃないだろか。
9月3日
ほんとスピードを上げるためにはブレーキの性能が良いことが超重要だなと思ってるんだけど、本当ここ半年はダウンヒルを駆け下りるような日々で意識としてはブレーキしか踏んでないんだけど、なかなかシビアではあるけれど事故を起こさず走り抜けられてるのでブレーキの性能とブレーキングのテクニックはなかなかのものじゃないかと思う。
9月6日
人文系の学問も、エンタメも、サイエンスも全ては経験を超える視点と理解をくれるんだよな。実体験と主観という独房から自由になれる。まさに自由の技術=リベラルアーツ。
だから今の主観で「役に立つ」と判断できて取り入れてるものが、この観点でいくと一番価値が低い。
自らの主観を超える、自分の主観から脱して今の主観では想像もできない何かを持って帰るための時間が必要だ。
それは今の主観で見れば役に立つ見通しが立たない時間。
今の主観を拡張したいなら「無駄」「役に立たない」と感じることの中にしかそのきっかけはない。
9月8日
僕らの事業を表す言葉がない。
A+B+Cみたいなやってることの羅列説明か、
XX的なみたいにアナロジーで説明するか、
もしくはポスト〇〇とか〇〇2.0とか。
つまりまだ「名前」がついてない。
でも僕らがやっていることに「名前」がついてないということは、呪われない、縛られない、支配されないってことでもある。
どう名前のないものであり続けるのか。
9月11日
経営を体系的に学びたいという言葉って時々聞くし、僕もずっと昔そう思ってたことあるんだけど、確かに経営の体系ってのは世の中提示されてるけど、それを学んでそのままやってる経営者がいたら一番やばい経営者なのでラーンした後にアンラーンしなきゃいけない。多分残るのは「自分は体系的に経営を学んだんだ」という自信くらいな気がする。
それよりもまず「会計」を簿記二級くらいのレベルまでは少なくともしっかり学ぶこと。簿記二級までできると仕分けから決算処理してPL,BS,CFを作るとか連結決算とかくらいは教科書レベルではできるようになる。
あとなんとかして規模の大小は問わないのでシステムの上流で良いので設計、特にDBの設計に関わる仕事を経験しておくこと。
あとは工場や倉庫などオペレーショナルな仕事の生産性改善の試行錯誤をしておくこと。
あとはメルカリとか転売とかでも良いから物が売れるための試行錯誤の経験をしておくこと。
この4つで経営のリベラルアーツである「会計」「システム」「カイゼン」「マーケティング」の基礎が出来上がると思う。ここが固まったらとっとと仕事した方がいいし、勉強になる仕事じゃなくてやりたい仕事をした方がいい。
9月12日
今朝ご飯食べながら妻と話していて、今の時代のD2Cアパレルブランドと、80年代のDCブランドの世界が重なるところが多いという結論に至った。あの時代から改めて学べる要素を探してみよう。ぐるっと一周したんだなあ。
9月22日
僕は自由に生きてるというより、理由を生きてる。
いつか自由に生きてみたいし、自在に生きるところまでたどり着きたい。
9月28日
不確実な未来に投資するより、既に確定している過去に投資する方が投資効率が良い説ある。「今」の時点で「過去」に投資するとは「過去」の確定している「事実」の「解釈」をアップデートするために投資するということ。
僕はベルガンティが提唱した「意味のイノベーション」の本質は「過去=コンテクスト」の解釈をアップデートすることだと思っていて、このために投資することが最も効率の良い投資だと考えている。「未来」にではなく「過去」に投資すると言う観点で考えるのは面白いと思うんだよね。
10月14日
採用広報でうちの経営者すごい実績出してるよ、うちに転職してる人こんなにすごい経歴だよっていうのをバンバン出してるのみるけど、あれだと実際優秀な人とかトラックレコードを持った人じゃなくてワナビーな人ばっかり集まってきそうな気もする。
すんごい面白がってるんだけど、全然できてなくて誰か助けてーって方がどんな規模であれ良いと思うんだよね。
面白がれてないと「凄さ」をアピールせざるを得なくなるから、まずは面白がれる状況を作り、その状況を伝え、その上で助けを求めた方がほんとに力量ある人が普通に採用ページからアクセスしてきたりするし、エージェント経由でも志望度上がる気がする。
10月21日
唯識論の本を読んでみてるんだけど、僕らが「フィットする暮らし」「健やかな事業、組織」を目指すということは、唯識的には心を整えて意識の下にある「末那識」を見通し、そこにある「我執」への囚われから少しでも解放され「阿頼耶識」を可能な限りクリアに保つことを目指すということなんだなと。
よく美しさを目指したい的なことを言っていたのは何が美しいかといえば「阿頼耶識」が美しくあることを目指してるのかもな。そしてその「阿頼耶識」を汚してしまうのが「末那識」にあえる「我執」で、それは「意識」の下にあるので心を整えて静かにしなければ捉えることができない。
捉えることができないから「我執」に振り回され結果として「阿頼耶識」がどんどん汚れてしまい、自在に振舞えなくなる。僕が生涯をかけて為したいことは「阿頼耶識」の透明度を可能な限りあげていくことなんだな。
10月23日
我々の今のこの財務状況をつくったポイントになる判断はなんだったかと振り返ると2011年ごろ利益がほとんど残らないという課題に対して、粗利率を高めようとするアプローチを無理しないとできない(たくさん買う、研究開発投資を多額にするなど身の丈に合わない勝負しなきゃいけない)から早めに捨てて、KPIを交差比率(利益率*回転率)の最大化にきりかえて、アプローチとしてあらゆる回転率を高める取り組みを実はその頃から開始しており、土台が2013年ごろには出来上がっていたこと。そしてその後力量をつけた段階でオリジナル商品の投入や広告事業開始、取扱高拡大に伴うバイイングパワー増大などの要因で粗利率が2012年から2020年までに1.5倍になったことで、確変的に状況がよくなった。
ビジネスが小さいうちに資産回転を意識した体制を組んでおくのは改めて大事な気がする。順序として粗利率に先に取り組んで回転率を後回しにしてたら、おそらく相当大変なことになっていたに違いない。
10月24日
唯識を学んでいくといかに多くの企業で行われているモチベーション施策が「末那識」にアプローチして「我執」の強さを使って人を行動させようとしているかに愕然とさせられる。「阿頼耶識」の透明度を高めることであえて目指さずともパフォーマンスし自ずと成果が上がるというあり方はないのかなーもはや出家するしかないのかw
10月27日
僕らは創業以来
ストア→メディア→パブリッシャーと自社事業の定義をアップデートしてきたんだけどやっと次のアップデートが見えた。
それはデベロッパーだ!
観光地やテーマパークや商業施設のように「世界観」をデベロップメントし、集客して事業機会を作っていくデベロッパーなんだなと。
三井不動産、オリエンタルランド、森ビルみたいなことを世界観とデジタルプロダクト、もしかしたらリアルな場を使ってやっていくデベロッパー2.0的なものになって行くんだなー
もうちょっと補足すると
例えばどこかのデベロッパーが開発した素敵な温泉街があるとして、そこが素敵な場所だったら「そこに滞在したい」というニーズと「その素敵な体験の一部でも持ち帰りたい」というニーズが生まれる。
そこで「お土産」と「宿泊」という事業機会が生まれる。
僕らも「世界観」をデベロップメントして、そこに「滞在」できるサービスとしての「コンテンツ」「メディア」と「お土産」としての物販をやっていくんだなと。
そして今「長期滞在」のニーズに応えるために、ラジオ、ドラマ、映画、プレイリストといったコンテンツに力を入れているんだなと言うことがわかりました。さらに言うと「滞在」をマネタイズしていくことに力を入れないとなと。
10月28日
僕が思う「世界観」とは何かがやっと分かった。それはコンテクストとアティチュードだ。世界観を纏ったブランドの商品を買う顧客はそのコンテクストとアティチュードを内在化し自己拡張(存在拡張と知覚拡張)を実現する。
コンテクストとは自分が作った部分だけでなく、既存のどのコンテクストから枝分かれしたのかと言う部分含めて開発することでブランドに過去の積み重ねを取り込むことができる。
そして既存のコンテクストをただなぞるだけでは満足せずに分岐しオルタナティブなコンテクスの創造する動機づけ、姿勢がアティチュードだ。
オリジナルな世界観は先人が積み重ねてきたコンテクストを引き継ぎつつ、その先に自らのコンテクストを継ぎ足して整合させることで生まれる。そしてユーザーはそのコンテクストの魅力と、オリジナルなコンテクストへ分岐させたアティチュードに惹かれ、それと同一化して自己拡張することを求めるところに事業機会がうまれる。
なので昨日も書いた僕らの事業は「世界観」のデベロッパーだというのは言うなればリスペクトする既存のコンテクストを明確なアティチュードを持って分岐させ、新しい続きを編んでいくことを生業とすると言うことなのだった。
10月30日
自分のやってることを他人の言葉、他人のフレームワークで説明すると理解してもらい易くはなるが、それは他者の世界観の中にお土産屋を出すようなことなので、よくよく気を付けないと、その温泉が枯れたら一緒に衰退しちゃう可能性が高い。
特にせっかく独自にやってたのに後から出てきたバズワードとかで自分たちのやってることを説明しちゃうことは、自社の世界観を他者に売ってしまうようなことなので慎重でありたい。
自分たちのことは、自分たちのコンテクストとアティチュードは、自分たちの世界観は自分の言葉で説明しないとあっという間に他人のものになってしまうんだよな。
11月3日
世界観の本質が既存のコンテクストからアティチュードを持って分岐させたオリジナルなコンテクストのことを言うとわかったと少し前に書いたが、そうだとしたら世界観という言葉より世界線という方がその有様を解像度高く表現してる気がする。
魅力的な世界線をデベロップメントしていきたい。
11月12日
意思決定の訓練ってどうすればできるのかなって思ってたけど、ただ任せるだけじゃなくて厳しく説明責任を課すことなのかなと。説明しなきゃという意識が漏れのない検討を促進し、説明の機会とそのフィードバックは意思決定の感想戦として機能して回数重ねるごとに精度を上げられる。
11月27日
NETFLIX本の話を聞いたりして思うのは圧倒的に優秀な人たちを集めてノールールでやるってのは本当に成果を大きくする良い方法だと思う反面、それを機能させているのは「チェック」とコンテクストに合わない人を躊躇なく「パージ」していくという部分なのだよな。
日本の解雇規制下において同じことをするのは間違いなくNETFLIXよりさらに採用のハードルを上げ、細やかなケアをしないと成立させにくい。
裏を返すと解雇規制が緩和されれば報酬も増やせるし(バッファを考えなくて良くなる)究極的な自由も与えられる(自由の用い方が成果につながらない人は解雇できるから)。
高度な知識労働をする人材と比較的高度なスキルを要さない仕事に就く人材を同じ労働者と捉え同じように守ろうとする雇用法制のズレが起こってる気がする。高度なスキルを要さない仕事に就く人(解雇によって深刻な最低限の生活が脅かされる可能性がある人)の雇用の大半が結果的に非正規雇用になってしまい解雇規制の外におかれ解雇法制が機能しなくなる一方で高度な知識労働を行う人たち(多くの場合環境や条件の変化はあれど次の仕事を見つけることは比較的容易な人たち)は正規雇用の枠組にいて解雇規制に守られている。これじゃあべこべなんだよなぁ。
12月16日
自分には志が曖昧で野心だけがあるのかもなぁ。
人に勝ちたいとか、お金欲しいとかではないけど自分一代でこんなことしてみたい、こんなものを作ってみたいっていうのしかないってやっぱり志じゃなくて野心だ。自分一代では辿り着けないけど自分の人生を賭けたいものってなんなんだろうな。48歳が考えることじゃないのかもだけど、もはや野心だけでは登りきれないなと感じるんだよな。
12月17日
イデオロギー化した理念を共有する社会が恐ろしいのは最も原理主義的でラディカルな意見を持つものが正統性を持ち、意思決定に強い影響力を持つようになることだ。フランス革命、ロシア革命、文化大革命などのいわゆる理想主義的でリベラルなイデオロギーを掲げた勢力が押し進めた社会変革においてとてつもない痛みが発生したのはもはやそれを始めた人でさえコントロールできないくらい常識やバランスを無視した原理主義的でラディカルな主張を排除することができない構造にある。イデオロギーが無謬だという前提に立つとより原理主義的解釈が圧倒的な正統性を持ってしまうからだ。
そして数十年から100年の辛い痛みの時期を社会全体で味わい尽くして、結果的にある種の中庸な立ち位置がやっぱり大事だというコンセンサスが取れて行く。歴史を見てると何回これを繰り返すんだろうと頭を抱えるがこれからも繰り返すのだろうな。
いかに保守主義が強い時代にそれにあぐらをかかずに社会を構成する大多数の人に希望を持たせ続けられるかが辛い痛みを可能な限り遠ざけるためにやらねばならないことだ。むずかしいなぁ。
12月21日
「健全さ」「健やかさ」って言い換えれば「サスティナビリティ」ということだと思うのです。だとすれば「サスティナビリティ」を備えた自然界のエコシステムは食物連鎖などの厳しいシステムに支えられてその健全さを保っているし、地球環境のサスティナビリティを担保するためには人間の側に厳しい制約を課する必要がある。
つまり「健全さ」=「サスティナビリティ」=「厳しさ」ということも言えるんだよなと。
じゃあなぜ厳しいのに健全さを求めるかというと、「サスティナビリティ」がないということは「希望がない」ということだからだ。
つまり「健全さ」=「サスティナビリティ」=「厳しさ」=「希望」なのだ。
今が良ければそれでいいというある意味「刹那」を求めることは決して悪いことじゃない。
でも僕らは「フィットするくらし、つくろう。」というミッションを「自由」「平和」「希望」を会社が備えることをによってそれができるエコシステムの中心になることをビジョンとして掲げてる。
だから「希望」を捨てて「刹那」の「楽」や「快」ではなく「厳しい」が「希望」がある「健全さ」を希求するんだな。
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