2022年Facebook投稿抜き書き

誰にも頼まれていないのに毎年やっている一年分のFacebook投稿の抜き書き。もう6年目w

1/4
DXとESGの必然について。

昨年はDXとESGが多くの人にとって完全に我がことになった年だった。

ESGの流れがこの先どうなるか、そしてその流れにおいてDXが何を意味するかを考えてみた。

思うに今のESGの流れは全てのバリューチェーンにおいて環境や人権に対して問題のある状況を看過していないということをエビデンスを持って証明することが義務になっていくだろう。

これは企業がお金の流れを数十円であっても証跡を残し記帳し申告することが義務付けられていることや、社員の労働時間や労働環境を細かく記録し管理することが義務付けられていること、下請法の遵守、反社会的組織との関係を持たないことなどコンプラの遵守とその証明が義務付けられていることなどと同じになっていく。

つまり企業は経理部、人事部、法務部に続いて「ESG部」的な管理ケイパビリティを持たなくてはならない日が来るだろう。

しかしながらグローバルで長いバリューチェーンにあらゆる人と企業が関わっているものを、素材や工程についての証跡を集め申告することは会計や労務以上の膨大なコストが要される可能性が高い。しかもこの活動自体は義務になった時点で企業のブランディングに寄与したりといったことは全く期待できなくなりただのコストになる。

つまり普通に事業をするだけで必要になるコストが確実に上がり、利益率が下がることが想像できる。

このような環境下になる前にDXを中心に経営効率を高めて十分なマージンを確保できるようになっている会社と、そうでない会社の間に大きな格差が生まれることが考えられる。

また同時にこの世界的なバリューチェーンにおける証跡の収集、管理、保存という仕事自体を効率化させるためには、関係する各社が単にアナログでやっていたことをデジタル化するというレベルに止まらない事業全体の成り立ちそのものを変革するレベルで変革することが求められる。

さらにいえばそのような変革ができている企業だけでバリューチェーンを構築できているかどうかが各社の収益性を高めることとなることから、対応できてない会社がそもそも市場に参加できなくなることが想像される。

まだ本格的な変化が始まったところなのでこういう世界になるタイミングがいつかはわからないが、少なくとも足元でDX的な取り組みを進めていないことが大きなリスクになることが見えてきているのでしっかり取り組んでいきたいですよね。

1/5
今年50歳になる今、年をとると人が昔話をしたがるのは、過ぎ去った昔のことはほぼ全て「楽しかった」「学びがあった」「良い思い出」になっており、話すことでそれを追体験できることが快楽だからなんだな。別に人にすごいと思われたいとか、マウント取りたいとかではなく、ただ過去を物語ることで、過去を追体験したい。そしてそうやって過去の苦労を含めたさまざまな出来事を超えて、それが「良い思い出」になっていることを改めて実感することで「不確実な未来」へ向かうエネルギーを得てるんだなとも。

若い人だと「色々あったけど全部学びになった」「結局面白かった」みたいに振り返れるほど各エピソードから時間的な距離が離れていなくて、過去を振り返ることはむしろ生々しい記憶であるが故に苦痛だという人も多いと思う。

ただ50歳だと30歳の頃の記憶は20年前、40歳の記憶でも10年前の記憶だから十分な距離がある。

これが30歳だと20年前の記憶にできるのは10歳までの経験だし、わずか10年でも20歳までの記憶だから、語って追体験してエネルギーを補充できるような経験自体がほとんどないことになる。

聞かされる方がつまらない話になって年寄りの昔話は、、みたいに嫌われるってことは大いにあり得ると思うんだけど、それはマッチングの問題なので。

なので人生の後半戦を迎えた我々はもっと昔話をする機会をたくさん持つことで、不確実な未来に向き合うストレスを癒し、エネルギーを補充するのも良いのかも。ちゃんと需要供給がマッチする場でね。

1/5
僕は27歳くらいの時に金持ち父さんの本を読んで、従業員、専門家、事業家、投資家の中で一番なれたら良いのは投資家で、良い投資家になるためにまず事業家になるといいよって書いてあったから「起業しよう」ってなったというのは身近な人はみんな知ってる僕のミーハーエピソードなんですが、最近になって「っていうことは投資家を目指してたってことなのか?」となってる。今までいっさい考えたことなかったテーマなのでそもそも「投資家」ってなんだ?ということから考えてみたいと思います。

1/10
一気に変えるアプローチをしはじめたときに、メディアの観衆も称揚するけど、ドラスティックにぶち上げた大きな現状変更の取り組みは外科手術と一緒で深刻なダメージと引き換えに命を繋ぐような取り組みなのでやらずに済めばそれに越したことはない。
現状と過去を肯定的に受け入れ、それを土台にしつつ絶え間ない解きほぐしと、漸進的恒常的な改革で、振り返ると大きな進化(変化ではなく)を遂げたとなっている状況を心がけたい。
制度や仕組みを変えたところでそれは変化でしかなく、進化にはやはり絶え間ない磨き込みの時間の蓄積が必要。
それは外科手術をして患部を取り除いても体力低下と引き換えに致命的なリスクを排除した(かどうかもかなり時間が経たないと評価できない)に過ぎず、そこから強く機能する体とそれを維持する生活習慣を作り上げる必要があることに似てる。
変革のアプローチしか知らない事は全ての問題に外科手術で対処しようとする事なので、時間をかける覚悟を養って進化のアプローチをも身につけていきたい。

1/11
息子がマイクラのハイピクセルの中で、素材を加工して売りに出して収益を得るのにはまり、

1)自分で収集した素材を加工して売りに出す

2)素材はマーケットで仕入れることで量産化

3)プライシングや投入タイミングや供給量の調整などマーケティング的なことをやって収益性を高める

4)競合がたくさんでてきて価格競争

5)価格競争に嫌気が差して大規模農場を作って素材供給ビジネス(第一次産業)に乗り出し、オペレーションの自動化も突き詰めるも、利幅の余の少なさに絶望して撤退

6)新たな加工技術に投資してより高付加価値の製品をつくって製造業にフォーカス

となかなか教科書的な事業運営の演習ができてて面白い。

まじで一日中めちゃくちゃ真面目に「仕事」しててすごい。

1/12
スーパーって粗利の低さを効率の良さと回転率の高さで補ってビジネスモデルが確立してしてるので、決済とシステム利用料を負担して間でネットスーパー化したところで収支が合わないんじゃないかなー

ネット専業のモデルをつくって新たな粗利基準でプライシングすべきだけど、それが店舗のスーパーと比較して価格競争力のあるものになるのかとかはかなりぎもんなきが。

高くてもよい一部の富裕層向けサービスにしかならなそう感。

1/14
ツイッター見てたら自分がネットにデジタルデータを公開しているイラストレーターの人が、それを誰かが勝手にNFTのマーケットに出品しているという被害にあってることを報告しているのが出てきた。

確かにこれだけ膨大にデジタルデータが氾濫している中で、勝手にNFT化して出品してしまう相手に個々の作家が対抗する手段ってほとんどなさそうな気がしてしまうがどうなんだろう。

1/17
欲望の資本主義2022をオンデマンドで見たけどめちゃくちゃ良かった。特に後編のセドラチェクがほんと頭良すぎ、成熟しすぎで真の保守主義とは何かをめちゃくちゃ体現した議論してて最高だった。

いきなり制度設計をドラスティックに変更するのではなく、現状一定機能してきた精度を時間をかけて手直ししていくことの大事さをわかってるかどうかって結局考えてるだけじゃなくて、行動し、体験し、反省してきたかに尽きる気がする。

番組の中でシュンペーターの

「資本主義に取って代わるものがないのは、資本主義が変わり続けているからだ」というような言葉が引用されてたんだけど、はほんと重要な真実を射抜く言葉だなと思う。

1/19
生産性が上がってもなぜ仕事が減らないのかをずっと考えてたんだけど二つのパターンあるかなと
【競争が仕事増やすパターン】
1)生産性が上がる

2)上がった生産性で競争力を高めてより高いシェアを得ようとして、品質やサービスの質や提供量を高めるプレイヤー出てくる

3)各企業が生き残りをかけてそれに追従する

4)社会全体で仕事増えて生産性が高まった分が相殺される
【行政や社会的要請が仕事増やすパターン】
1)社会全体の生産性が上がる

2)社会的責任をより多く果たす余力が生まれる

3)余った生産性でより多くの社会的な責任を果たすプレイヤーが出てきて評価される。(コンプラ、環境、ガバナンス、福利厚生、D&I等の分野で)

4)行政や社会から義務として果たすべき社会的責任のレベルが高まる

5)社会全体で仕事が増えて生産性高まった分が相殺される
よく生産性高まってるのに一人当たりの働く時間が減ってない!ブルシットジョブだ!みたいな話があるけど、体感的にはそれもあるにはあるけど、本質はそこではないのかなと。
実は数十年単位でみると、品質、サービスレベル、各職能に求められる技能レベルは大きく上がってるし、行政や社会が企業に求める義務や責任の量とレベルもかなり上がっている。
なのでそもそも当たり前のレベルが上がっていて、企業が生き残るためには結局最大限のリソースを拠出する必要があるんだなと。
要は競争環境にあるのでお互い賭け金を釣り上げあっている状況がある上に、行政や社会も企業に引き受ける余裕を見出したら要求するものも大きくなるという二重構造の中で、どんなに生産性が上がっても一人当たりの仕事量は結局減らないんだなとわかった。

1/19
よく自分より優秀な人を採用せよって言うけど、それはそうではあるんだけど、個人対個人、会社対個人のどちらも相手の方が力関係的に上位にあるという人を採用するということは、ある意味冊封体制の国家をギリギリの政治力を持って成立させることを目指すことになる。

一方で力量的に成長余地がある人たちと組織を作るってことは中央集権の官僚国家をつくるということだ。

政治力に長けた人は冊封体制を維持するのに必要な力量があるし、冊封体制は成長を加速することに向いているので、早く成長できる。

一方で冊封体制は個々の地域に封じられた諸侯との間の権力闘争を王や皇帝が継続する必要もあり、崩れる時も早い。

一方で中央集権の官僚国家をつくるということは、既存の実力者とリレーションを作ることで国を育てるのではなく、人材の選抜、育成、配置を中央でコントロールする国家をつくることなので仕組みづくりに長けた人が向いている。うまく立ち上がれば持続的な成長が期待でき、崩壊のリスクは冊封体制よりは少ない。

ただしそもそも成立するところまで辿り着くのが難しい。

どっちが良いか悪いかというより、自分がどんな組織づくりに向いていて、どんなフォーマットで取り組んでるのかを理解することで一貫性があある取り組みができるのかもしれない。

1/24
僕はシニシズムって嫌だなと思ってたんだけど、自分がそうなった経緯とかを思い返してみると、ペシミストで傷つきやすいから自分の心を守るためにシニカルなスタンスを身につけて、シニカルを突き詰めた結果として「シニカルさ」さえ「シニカル」に見るようになって、一周して斜に構えなくなった気がするので「シニカルに世界を見るなよ!」とアドバイスするより「君はまだシニカルのレベルが低いね」と言ってあげた方が斜に構えなくなる気がしてきた。

1/26
ネフリの「その年、わたしたちは」の最終回を見終わってしまった。。

最高だった。。

ロスや。。

1/27
銭湯の良さってなんの共通点もない人間同士が、心地よく、負担なく、能力や性質の要求もなく、ただ「マナー」というルールさえ踏まえていれば「ただ一緒にいる」ができることなんだろうな。

一人で銭湯を独占できても全然嬉しくなくて、混みすぎない程度には人がいてくれた方が心地よい。

なかなか他の場所で「ただ一緒にいる」ができるのって難しい。

 2/1
NFTでデジタルコンテンツのどれが本物かが特定できるってのは理解しているんだけど、「海賊版で良い」というニーズを満たすためにコピーすることは防げない。

なんならコピー品を別系統のNFTで登録されたボクシングの世界チャンピョンが団体ごとにいるみたいな感じで本物が複数あるみたいなことができたりしないのかな。

プラットフォーム側がアップロードコンテンツにNFT必須にしたとしてもそもそも正しい手続きNFTに登録したかとか判定しようがない気がするもんな。

なんかDVDの頃からある正規版と海賊版みたいな世界と決定的に何が違うのかがよくわからんなー

2/2
10日ほど前に生まれて初めて美容クリニックでシミ取りの施術を受け、ダウンタイムを経て確かにキレイに取れました。

ここから日焼け止めしっかりするのと、ひと月後くらいに再発することも多いらしいのでそしたら塗り薬で地道にターンオーバーを促進しないとらしいのですが、まずはシミは取れることがわかりました^ ^

2/2
「丁寧な暮らし」も、「意識高い」も、「キラキラ」も、その始まりにおいては他者をコントロールする能力も権力も持たない弱者が唯一コントロール可能な自ら(の行動や容姿や思考等)を変えることで世界を変えようとするプロテストだったはずなんだよね。そんな切実で尊いものを嗤ったり、蔑んだりできる人って僕はどうかしてると思うよ。

確かにそこを一定通過して年を重ねてしまった僕からすればかつての自分を見せつけられるようでくすぐったく感じたりすることはあるけど、簡単にバカにしたり、軽んじたりしたら絶対だめだと思うんだよね。

2/4
僕が望んでるのは他者や世界をもっと信頼してリラックスできるようでありたいってことなんだよな。フィットする暮らし(人生)をつくりたい。

友人からサイヤ人と言われるほど喧嘩腰だった(怯えた小動物みたいな)時代から、本当に四半世紀かけて少しづつ世界と仲直りし続けてきた気がするけど、いろんな本とかを読んでるとまだまだ全然で愕然としちゃう。

おじいさんになるくらいの頃にはもっと自分も心地よく、他者にとっても心地よいあり方に辿り着けてると良いなあ。

3/8
「その年、わたしたちは」を見終わってからロスになり過ぎて韓国ドラマ見れなくなってたんだけど、「二十一、二十五」が最高すぎるので、またどハマりしてる。

世界は美しいなー

3/17
働く場と暮らす場が一体になったような商業施設をつくりたい。昔の青山にあったイデーみたいな場所にオフィスとかスタジオがくっついたような場所。

でもどうやって土地探していいか、誰とどうやったら良い建物を建てられるのかとか、そもそもどのくらいの予算が必要なのかとか必要なケイパビリティがなさすぎてどうして良いかわからない。

スノーピークさんにとっての新潟のHQのような場所が僕らにもそろそろ必要だなと。

3/18
月間再生数320万回、平均視聴時間4.5分のYOUTUBEチャンネルの広告価値をGRPに換算するのを試してみる。
 A)平均視聴時間270秒÷スポットCM15秒=18
 B)関東+関西+中京で放映した場合の視聴率1%辺りの世帯数(≒視聴者数)35万世帯
(320万回再生×A)÷B=164
月間164GRPのcmを打ってるのと同じくらいの広告効果があるのではないかという仮説。
つまり視聴率8%くらいの全国放送番組に20回くらい毎月CM打ってるくらい。
ちなみにYOUTUBEのこの期間のユニーク視聴者は86万人なので同じGRPでリーチできる人数はYOUTUBEの方が多そう。

3/25
「資本主義」に相対する自身のポジションをどうとるかを宗教改革に準えて考えてみると、

「資本主義」がダメだから「共産主義」あるいは今はなんと形容するか合意形成がなされていないが資本主義ではない何かという意味での「ポスト資本主義」という立場が取り沙汰されるが、「カソリック」への疑念や抵抗から生まれた「プロテスタント」が生まれる宗教改革にヒントを得ることができる気がする。

宗教改革が求めたのはカソリックがダメなんであってキリスト教がダメなわけじゃない、本来のキリスト教の教義に戻ろうという思想だ。キリスト教がダメだから〇〇教に改修しようという話ではなかった。

さらにいうとカソリックの世界をプロテスタントが塗り替えて取って代わったわけじゃなく分派した、今流に言えばフォークしたのだった。

これを現代の資本主義に当てはめると「資本主義」は悪くないが「金融資本主義」には懸念があるという時に、それをただ変化させようとする例えば「〇〇資本主義」ではなく、資本主義の起こりと思想の原点を改めて研究して「原点回帰」の思想を改めて形成し「本来の資本主義」に立ち返ろうという運動を形成することで現状の金融資本主義を打開するアプローチができないか。

このアプローチの良いところは資本主義社会の中で広く合意形成することが可能なことだ。

強烈な思想を持った創業者の作った会社が巨大になり、思想が薄まり、ゆがんだ時に改革の旗印として「原点回帰」を掲げるプロジェクトはただ「ここではないどこかへ」を掲げるプロジェクトより広く合意形成しやすい。

なので資本主義をより現代の社会の要請に会う形にアップデートするためのアプローチとして改めて資本主義の起こりと本質を深く研究し、そこに含まれる善良さ、公正さ、堅牢さのような良き側面を抽出しその「原点」に帰ろうとする運動にすることで超えられないか。

3/29
売上や利益の規模、時価総額、人気や知名度がいくら大きくなっても「オーセンティック」には辿り着かない。

時間をかけて、一貫性のある成長と成熟を重ねて少しづつ社会の中の新たな「オーセンティック」として認められていくプロセスを踏んでいくしかない。

僕は自分達のプラットフォームやブランド、経営手法が今はまだ「時代の徒花」で終わる可能性が高いと思っていて、これをなんとかいつかの将来には新たな「オーセンティック」として社会に受け入れられるものにすることがやりたいことなんだな。

4/1
オーセンティックについて考えれば考えるほど、効率、安全、持続可能性、収益性においてバランスを取ろうとすると、どんどんそこから離れていく感。
いい事業でありつつオーセンティックであることの難しさ。

4/4
経営ってある程度から先は、何が長期的に見て正解かなんて判断つかないから、美意識というか、こういうのはやだとかこうありたいみたいなのがないと一貫性のある経営が難しくなる現象あるよね。

合理的じゃない決定も含まれるが一貫しているのと、一貫していないが一つ一つの意思決定は合理的であるのと、どちらか選ぶとしたら僕は前者の方が好み。

4/22
ウクライナ戦争が長引けばここ数年で排出をおさえたカーボンをもしかしたら同じかそれ以上に排出してしまいそうだ。

しかも脱炭素ムーブメントをリードしてきた欧州各国において地球環境以上にそこにある危機として安全保障の問題が優先順位が大きく上がったことによる相対的な優先度低下は中期的にかなり影響するのではないか。

4/22
web3が真に分散型であり独占が困難なら、他に先駆けて手を付ける必要はないはずなんだよな原理的に言って。

真に分散型なら各々が必要なタイミングで手をつけてもその時点で寡占や独占は起こっておらず、後発フレンドリーなはず。

でもweb3を先導していて今最も状況を解像度高く理解している人たちがいち早く取り組もうとしてるのは、やはりそこに先行者利益による独占や寡占の構造がつくれる機会を感じてるからじゃなかろうか。

1も2も3も結局新しい技術やコンセプトで既存の独占構造をディスラプトして新しい独占構造をつくったってことになるんじゃないかな。

人類に自律分散はまだ早いのかな。

自由、平和、希望を経営方針としてる僕はなんとか自律分散社会になってくれないかなと心から思ってるんだけど。

4/26
よくレンガを積んでる職人が「偉大な大聖堂を作ってる」って思って仕事しているから喜びがあり、生産性も高まるみたいな話を聞くし、確かにそうだろうと思うけど、それ以上に大事なのは、適切な報酬が支払われていること、尊敬できる気持ちの良い仲間と働けていること、フェアで有能なリーダーのもとで働けていること、仕事に対する適切なフィードバックが短いサイクルで返ってくることな気がする。

 4/30
ユニクロのブランドコラボの盛り上がり見てると、もはやブランドはユニクロのモノづくりのプラットフォームを使ってデザインだけする存在になってく世界線なのかな。
これってOEMがひっくり返った感じで面白い。
販売と製造のプラットフォームを提供していて企画だけ、もっというとIPだけ仕入れる感じ。

5/3
高一の息子と近所のトレジャーファクトリーで古着のTシャツ探し。

ファッションってそれぞれのアイテムのかっこよさと持ってるワードローブとの相性などを瞬時に判断して大量にある選択肢からどんどん美しくなる選択肢を選んでいく作業なので、僕は美意識の教育には最もとっつきやすく、本人のモチベーションも上げやすく、その後の人生においても役に立つ経験だと思ってる。

かっこよくなるには、自分を知って、さまざまなインプットで自分のかっこいいやかわいいのイメージをつくって、目の前にある選択肢からそこに近づいて必要がある。

実はものすごい知的でクリエイティブで哲学的なアクティビティだよね。

今日は息子が3枚ぼくが1枚買いましたー

5/6
新卒採用を自社サイトのみで募集して今日が本エントリーの締切なのだが、プレエントリー→説明会→本エントリーがほぼ人数が減衰せず想像以上にたくさんの学生さんに応募していただけた。

提出してもらったエッセイを読んでいると、とにかくYouTubeやPodcastで僕らのことを知ってくれてる人がすごく多いのと、男子も女子もお母さんの勧めで僕らを知ったっていう人が多い

5/8
あと3ヶ月で50歳になるのだが、髪型もファッションもメガネも車も遊びも聞く音楽も生活習慣も49歳、50歳の2年でガラッと変えてしまおうと思って色々やってる。2年かけるとほとんど誰にも気にされないけど、前と比較すると自分的にはすごい変化。思えば40歳になった頃もそういうことしてたなー

5/9
企業には既に消費税、所得税、住民税などを徴収する能力を保有しているので、あとはそれを国や自治体に収めることを一部もしくは全部減免する代わりに公共サービスを担うことを引き受ける地方自治ならぬ企業自治みたいな仕組みができるとどうなるだろう。
もともと企業が社員の健康管理のために健康保険料の負担や健康診断の実施や産業医の設置等さまざまな福利厚生サービスを提供してきたし、ワクチンの職域接種がめちゃくちゃ機能したことを考えると、もはや財源さえ配分すれば社会課題も企業が担う方が合理的になっていく世界線。
企業は公共サービスを担ってより効果的にその責任を果たすことによってブランド価値が向上し生活者からの支持が高まるりつつ、必要な財源は国から配分される的な。

5/11
昨今のパーパス論については「綺麗事」「ポピュリズム」という観点から懸念が示されてるみたいですが、企業に「利益」が必要なのと同じくらい、「大義」や「理想」が必要だからこそプーチンがナチズムや正教や編集された歴史を持ち出してまで自分の正当性を主張する訳だよね。

現代的自我を持った人間は勢いや威圧や利益だけではモチベーションを維持できず「理想」や「大義」が必要なことは好き嫌いを超えた世の原理だからその原理に対して現実的に付き合っていく必要がありますよね。

ただ原理というものは「原理主義」のようになると「思考停止」して極端な理想主義に走ってしまうものなので、そこは精神論や理想論だけじゃなくちゃんと地道に事業を推し進め利益を生み出すことの重要性も理解すべきなのは当然だと思います。

6/1
ここ2ヶ月くらいで急に美容とか、ヘアスタイルとかアクセサリとかに急に興味が出てきて、毎日いろいろなYOUTUBEを見てる。

去年の今頃は思い立って毎日2時間英語の勉強をしてたり、25年ぶりくらいに車を買ったり、全く興味がなかった韓国ドラマやBTSにどハマりし出してた。

こうやっていろんなことに興味を持つんだけど、どれも長続きはしない。

だけどそういう状態や、何かに興味を持ち始めて板についてないニワカな感じの自分が多分一番好きで、そのダサいところに可愛げがあるよな(自分で言うなw)と思ってる節があるので、どんどんいけちゃうのはやっぱある意味才能なのかもと流石に思ってきたw

6/10
消費者のニーズが多様化しているという言葉があり、実際そうなのだろうけど、その表現の解像度はまだ全然低くて、

人々が多様なコンテンツに触れる機会を得ることで自分の望みや好みをより明確に意識化できる機会を得て、自分は何を望み、何を好むかを主体的に選べる人が増えた結果として今まではニッチとして扱われていたようなものにもそれなりに大きなニーズが集まるようになったり、元々大きなニーズがあると思われていたけど単に自分の望みや好みが掴めない人を上手にコントロールして扇動していたことで生まれていたような分野は覚醒した人から順番に離れていって相対的にニーズが減少していったことで「消費者のニーズが多様化している」と解釈し得る状況ができていると。

でも本当に起きていることは自分が何を望み、何を好むかに自覚的な人が増えて、無自覚な人が減っているということ。その割合がどちらが多いかとかはわからないけれど割合が確実に変化したってことなんじゃないかな。

そうなると新しいビジネスチャンスは自分の望みや好みがわかっている人たちに対して、「私もそれ好きです!例えばこういうのも好きじゃないですか?」と即時に返せる各カテゴリの美意識を強く持つ人たちがものにしていく。

自分の好みや望みが意識できてない人たちを効率よく扇動していくことが上手だった人たちの活躍の場はたくさんあると思うけれど相対的には減っていくだろうな。

6/13
昨日出席したカンファレンスで意思決定について語られていた整理がすごく面白くてそのことをずっと考えている。

早く意思決定するのが大事だと言われる場合の「早く」は「early 」ではなく「quick」であると。quickに意思決定できれば、それができれば 意思決定のタイミングをlateにできる。つまりギリギリまで待ってクイックに意思決定することで精度が上げられるってこと。

ここ結構間違えて「early 」に意思決定してしまってる事例多そう。

6/14
先日結婚して丸20年の結婚記念日だったのだが、毎年のことだが翌日気づいて、今までありがとう!今年もよろしくーみたいになったw

うちは結婚当初というか付き合ってる頃から子供含めて誕生日とか結婚記念日とかのイベントはほぼなく、それでギスギスもせず、そういう自分と価値観や暮らし方が似ている相手だったからこそ、特に波乱もなくあっという間の20年になったんじゃないかな。

大分県からビスポークの靴作りを学びにきていた学生だった妻と、20代後半の起業準備中という体のただの無職の僕で結婚して、最初の新居は家賃7万円で同じ棟にガチンコファイトクラブに出てた人が住んでるマンションだった。

次の20年はどうなるかな^^

7/10
企業間での留学的な人材交流は、留学する側の提供するものがスキルセットで、学びたいものがマインドセットの場合はうまく行きそうだけど、逆に得たいものがスキルセットで、提供するものがマインドセットだとよほど硬直化した組織でもない限り受け入れる側のメリットが見出しにくいだろうな。

8/5
本日東証グロース市場に上場させていただくことができました。

たくさんの支えてくださった皆さま、本当にありがとうございます!

初値も無事公開価格を超え、その後も極端に上振れすることなく本当に想定通りのコンフォートな値動きで1日を終えることができ、まずはホッとしております。

上場企業としてあらたにステークホルダーとして加わってくださった投資家の皆さまと、どうやったらフェアに仲間としてやっていけるのか。この問いに自分たちなりの答えを見出したいと思っています。

まず何より自分が投資家の皆さんから上手、下手は置いておいて少なくとも「フェアだな」と信頼してもらえるような経営者になりたいです。

今後色々あるとは思いますが、自分たちにフィットした居場所を資本市場の中でもきっと見出せるはずだという希望を胸に来週からまた頑張ろうと思います。

引き続き暖かく見守り、支えていただけたら嬉しいです^^

8/5
創業経営者以外の唯一の株主だった父にはこのタイミングで全株売り出してもらいました。

出資をお願いしに行った時、どうせ失敗するだろうけど、お前は大学に行ってないから学費だと思って出してやるよと数百万出資してもらいました。

そして一年も立たないうちに案の定最初に手がけた事業が立ち上がらず、何もできないままキャッシュアウトしそうになって、もうすぐ会社をクローズすることになりそうだと報告に行った時も、まあいい経験になったんじゃないの?と言ってもらい、ホッとしたのを覚えています。

そこから北欧、暮らしの道具店をはじめて15年、投資家としての父に大きくリターンを返せたことが本当に嬉しいです。

9/15
文化祭でクラスの出しの企画と進捗の責任者みたいになってしまった息子の振り返りの反省点が面白い。
自分は良きリーダーであるために、よく考えて、タスクを分解し、適材適所でそれをクラスメイトに振り分けた。さらに意思決定が滞らないように進行中には教室に常にいられる状況をつくって判断を求められたらすぐに対応した。
結果クラスメイトのモチベーションは高く、協力的になったが、自分で決めたり判断して自走できる人がいない状態になった。
リーダーが機能しないクラスは結果それぞれが自分なりに考えて動く形になってるのを見ると、ああいうふうになりたいのになれてないのが残念。
早い段階で部長を何人かつくるべきだった。
これってマジで起業した人がミドルマネジメント層を形成しなきゃと思うタイミングまでにみんな直面するし、なんなら有能なリーダーほど直面する課題やないかーいと思いました。

10/1
去年くらいから突然ジュエリーに興味が出始めて、どんどん買って付けてるうちにいっぱい付けたい欲に歯止めがかからない感じというか、いっぱい付けた方が自分ではカッコいいなという感じになってきてて、日に日につける数が増えてるのだけど、いままで不思議に思ってたピアスいっぱいする人、タトゥーいっぱいする人、整形いっぱいする人の気持ちが初めてわかった。

50歳になる前の歳から、40代の自分とは違うスタイルを2、3年で作ろうとしてるんだけど、ジュエリーは上手くはまれた気がする。

10/4
2021年7月期に続き22年7月期も期中の全社員に占める産育休取得社員比率が20%弱だったらしい。

もはやどうやって事業が成立し、成長しているのかわからないレベルじゃない?

みんなすごいわ。

10/20
「科学的」であることと「モダン」であることは違うんだということの発見が僕にとってはかなり強烈な気づきだ。

僕は経営のような自然科学じゃない領域を「科学」的に扱おうとするすることに対して初期のgoogleをハックして検索順位を上げようとすることに近くて、テクノロジーが十分に成熟したときに通用しなくなるやり方だと考えている。

一方で「モダン」は「科学」とは違う進化の概念だと思っていて、をモダナイズすることで次の地平が開けるんじゃないかと考えている。

それが

「産業革命による粗悪な大量生産」→「アーツアンドクラフツ運動」→「バウハウス」→「大量生産品のモダナイズ」みたいな流れに、希望を持っている。

10/23
科学的でないが、モダンである。

科学的ではないが、合理的である。

科学的ではないが、再現性がある。

これは全て論理上成り立つのに、なぜか多くの人の視界から盲点のように消し去られている。

普通のことなのに、この領域を活用すると魔法、もしくは偶然のように捉えられる。

実践の中からこの領域の体系を見出していきたいな。

11/3
最近会う方に肌が綺麗になった、若返ったと言ってもらうことが増えた。

医療的な何かをやってるのか?と聞かれるんですが、それは最初にレーザーでシミ取りしただけで、それ以外はまだ未体験。

ただとにかく効果があったことは

1)正しく洗う

2)十分な保湿

3)徹底的に日焼け止め

の3つだなと。

1)に関しては毎日日焼け止めをしてることもあり、からなずオイルクレンジング→洗顔(ネット使って十分泡立てて)をやること

2)については洗顔後最短で保湿

3)については一日中家にいる日も季節問わず日焼け止めを塗布

って感じです。

やってる本人は正直あまり効果を感じておらず、やればやるほど欠点の方が気になるもので、そういう意味でも際限のない分野だなと思っていますが、僕にとっては運動する習慣を持つよりは楽で続けられるので、これはしっかり続けていこうと思います。

11/4
僕らはデジタライゼーションされた世界にあってのアーツアンドクラフト運動における「リバティー商会」なのではという仮説が降りてきて、リバティー商会のことを調べたいのだけど、リバティープリントのデザインの話の本ばかりしかない。

歴史とか伝記とか自伝とかそういうの読みたいのに!

11/22
自由ってのは自分にとってフィットする不自由(責任と権限)を引き受けるために、不本意な不自由を避けれるケイパビリティのことだとするならば、最後までずっと自由だっていうのは、最後までお金を貯め続けて使わずに死ぬみたいなことなのかもしれないな。

選択してこそ(フィットした不自由に行き着いてこそ)の自由なのかもね。

12/9
スラムダンクをなぜか京都で。

なるほどこうやって映画ってつくるのか。

すごいな、すごすぎるなと感心した。

でも何より、夢中になってみて、みてる間に体の内側から、その芯の芯から勇気とエナジーが湧き上がってきて、これをやってやりたい、自分たちならできるみたいなほんとに自分の感覚なのか?これは?と思うほど強い感覚を胸に抱いて映画感を出た。

20分くらい京都の街を適当歩いてホテルに戻ったんだけど、僕は本当に50歳なんだっけ?17歳じゃなかったっけ?って感じの興奮が冷めない。

明日朝起きたら多分また50歳の僕に戻ってると思うんだけど、これが映画、アニメ、アートなんだな。

すごい。凄すぎて、なんも言えねー

12/13
AIでかように人間が書いたとしか思えない文章が一瞬で生成できる状況になるともはやテキストコンテンツの自動生成による爆発、および検索エンジンからはAI生成によるものか判別困難と言う状況に至ると、検索エンジンの成立前提の崩壊を招きかねないのかもなぁ。

12/19
松下幸之助はカリスマ創業者だったのに承継がうまく行ったのは元々体が弱くて、在任時から権限移譲しなければ責任を果たせない弱さを抱えていたからでもあるという話を聞きかじって、めちゃくちゃ腑に落ちた。

「弱さ」というギフトあるよな。

12/19
クラシコムにおけるリーダーシップの構成要素は以下の4つに腑分けできた。

1)MVVとベクトルのあった動機

2)メタ認知力

3)クリエイティビティ

4)セルフコントロール

12/20
僕が昔から社員に熱狂を求めないのは、それらは「メタ認知」の向上を阻み、なんなら逆行させるからなんだな。

メタ認知が向上すればするほど熱狂や忠誠心がなくても正しく行動し、環境に適応し、成果を上げることができるはずである。

「ホワイトすぎて成長できない」みたいな議論も出てきているが、僕はホワイトさはメタ認知を向上させるために有益だと思っていて、メタ認知向上によって余計な力を使わずに成果を上げられることを実現できるはずと考えている。

メタ認知は成長ではなく成果を実現する。

成長ではなく、そこに発生するのは同じスキル、同じ資質の人がより多くの成果が上げられるようになるという「変化」だ。

「なんであの人は成果を上げられるんだろう?」と不思議に思われる。本人も「別に普通にやってるだけだし、そこまで高いモチベーションもないし」みたいに思ってるけど成果が上がるみたいな状況が起こる。

僕らが社員に対してできるアプローチは、経営の視点、同僚の視点、顧客の視点、社会の視点、歴史的文脈の視点などを提供し、社員が自分の認知を様々な視点で客観視し、正しく扱えるように支援することだ。







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