続「ちゃんと考える」と「ちゃんと決める」
先日「ちゃんと考える」と「ちゃんと決める」というタイトルのノートを書いた。
改めて読み直してみると、「ちゃんと考える」と「ちゃんと決める」をどうすれば出来るようになるかが、ふわっと書かれているがそもそも「ちゃんと考える」とはどういうことなのか、「ちゃんと決める」とはどういう意味なのかの定義の部分が吹っ飛ばされていて気持ち悪い。
これはやっぱり意図的で「ちゃんと考える」に含まれる事はあまりに多岐で、複雑で、なかなか文章で説明出来る自信が無い、出来たとしてもめんどくさい。。そういうバイアスが自分の中に働いた事は否めない。
しかしこういう事を「言葉で説明出来ない」と言って説明を回避する事が「ちゃんと考えない」という事で、自分の能力では不十分かもしれないが、ひとつ過不足無く説明出来るかどうか考えてみようじゃないかというのが「ちゃんと考える」姿勢だと思うし、ちゃんと考えた事をある時期に(効果が最大化するタイミングで)不完全であっても表明すると決める事が「ちゃんと決める事」なのだ。
「ちゃんと考える」と「ちゃんと決める」のプロを自称する僕としては、考えて、なんらかの表明をしなければいけないよな。。。と思いこの稿を書いている。
思うに「ちゃんと考える」には主として3つの種類の思考軸が必要だと思う。
1)哲学思考
2)歴史思考
3)科学思考
である。
まず第一に哲学思考だ。
wikipediaをみると哲学について
「問題の発見や明確化、諸概念の明晰化、命題の関係の整理といった、概念的思考を通じて多様な主題について検討し研究するもの」
とある。
今考えている「ちゃんと考える」を例にとれば、
そもそも「ちゃんと考える」とはどういう事か?
「ちゃんと考える」と「ちゃんと考えない」の間にある相違点は何か?
そういうった「問題」を発見し、あまたある要素を表出化させ、それを整理して抽象化する事で本質的でシンプルな回答にたどりつこうとすること。
これが「ちゃんと考える」のスタート地点だと思う。
またその回答にたどり着くための道具として歴史思考がある。
哲学思考で生み出された「ちゃんと考える」とは何か?を探求する上で、過去の歴史を振り返り、「ちゃんと考える」を実行したと思われる様な事例や、それがもたらした影響を出来る限り掘り起こし、それらの事象が持つ共通項から「ちゃんと考える」が満たしているべき条件が得られないかを試みる事だ。
また近代以降において真理を探究する手段として重要な位置を占めている科学思考もないがしろに出来ない。
ここで言う科学思考とは定量的に測定が可能な事実から、哲学思考や歴史思考によって生み出された仮説を評価する思考である。
「ちゃんと考える」がみたしている要素として上げられた仮説を、定量的に評価出来るポイントを探し、同一軸で定量的に評価し、仮説を採用したり、排除したりするような事をする。
この流れで理解出来るように、ちゃんと考えるのスタート地点は「哲学思考」による「命題の発見」である。
命題を発見し、論点を整理し、定義を明確にして行く過程に置いて、歴史思考や科学思考により仮説を評価し真理に近づくのである。
僕が考える「ちゃんと考える」の大枠は上記の通りだ。
加えて「ちゃんと考える」ための心構えが二つある。
1)出来る限り早く考え始める
2)真理はあると信じる
出来る限り早く感がはじめる事だ。「ちゃんと考える」には時間がかかるし、特に哲学思考の段階では、意識的に考えていても答えなど出てこず、胸の内に命題をずっと暖めておくとある日急に命題がいつか明晰になるという事が多く、可能な限り考えるための時間を確保する事が重要で、その為には早く考えはじめている事が重要だ。
野球の守備でも早くから打球が飛んでくる位置を予測し、その位置にあらかじめ移動していともたやすく補給する野手も入れば、動き出しが遅く華麗に見える横っ飛びで補給するような野手もいる。僕のように「ちゃんと考える」のプロではあるが「ちゃんとやる」のプロでない人は、横っ飛びなど出来はしないので、出来る限り早く考え始めなければ成果は生み出せない。
まだ誰もそれを問題と思っていないうちに問題を発見し十分に考える時間を確保する事が大事だ。
また十分考える時間があるものの、あまりにいろんな事を考えているとそもそも考えて答えがでるのか?と思い不十分な考えで思考をやめてしまう事がある。
こういう事態をさけるためにも自分が探り出せるか否かに関わらず、真理は必ず存在している事を信じる気持ちが必要だと思う。
さて、次に「ちゃんと決める」である。
僕が思う「ちゃんと決める」は上で書いている事と逆説的に聞こえるかもしれないが、「ちゃんと考える」が不十分であっても一応の結論を出した方がメリットがあるタイミングに至った時に、「採用」「不採用」「継続審議」の3つのいずれかの結論を出すことだ。
「ちゃんと考える」はある意味無限であり、「ちゃんと考える」事自体が目的でない限り、「ちゃんと考える」が不十分な時点ではあっても、何らかの決定を下さねばならないタイミングは存在する。その際に「ちゃんと考える」が不十分であっても何らかの決断を下し、ある程度のアベレージで後悔の無い決断を下せる人が「ちゃんと決める」のプロだと思う。
そして前述したように「決める」には
「採用」
「不採用」
「継続審議」
の3種類があり、このうちで最上のものは「継続審議」である。
合理的に考えて「継続審議」に出来る案件は、すなわちまだ「ちゃんと考える」に時間を使える案件であり、不十分な思考で行動するリスクにさらされないわけなので、常に最上の決断だと思う。
世の中で「継続審議」が不当に低く評価されているのは「継続審議」が実際には「不採用」扱いと同等になっているからであり、「ちゃんと決める」の機能の中には「継続審議」を本当に継続する仕組みや力が求められる。
残りの「採用」「不採用」の決断は同等のリスクがある。
「ちゃんと決める」のプロになるためには、「容易には決めない」事も大事だ。
沢山決めてるように見える人も、実は個別の案件は5年前から、10年前から考えていて、それを順送りに決断してるから次々決断、実行してるように見えるだけな事が多い。
「ちゃんと決める」が身に付いていない人が、そういう人の表面だけをみて短期間に次々に「ちゃんと考えない」で決断を下せば当然だがどこかで必ず取り返しのつかない失敗をしてしまう。
書きはじめてそろそろ30分くらい経って疲れてきたからそろそろ終わりにしようと思うが、先の稿に足りていなかった「ちゃんと考える」とは何か、「ちゃんと決める」とは何かという命題について、「ちゃんと考える」にトライしつつ、不十分であるが「採用」して公開してみることにする。
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